第19話 ヤンデレ疑惑、深まる
「……毒殺出来ませんでしたね」
「誰を?」
「楽々浦さん」
「チャンス窺ってた!?」
今日の文化祭の準備が終わった帰りに、人形姫の最寄り駅から彼女の家へ向かう途中で、一瞬意味が理解できなかった言葉を投げられた。
「だって……東雲くんが毒薬欲しいって」
「冗談って言葉知ってる!?」
「東雲くんのためなら、私なんでもするわ〜」
「やめろ!! あんなやつにだって生きる権利はあるんだ!!」
今頃楽々浦がくしゃみをするような会話をしながら、川沿いの道を二人並んで歩く。
道の端には、桜並木が植えられていて、春になったら、きっと満開の桜に人々の目は奪われるだろう。
11月に雪が降らない町で、葉っぱ一つない木の枝の上に積雪はなく、日本のわびさびを感じさせる。
ただ、そんな景色と裏腹に、俺の心はざわついてる。
なに? 今のやり取り……なんか怖い。
「ふふっ、東雲くんこそ冗談が通じてないじゃないですか〜」
「そんな人の命がかかってる重すぎる冗談があってたまるか!?」
人間の特性は、言葉が話せることだ。それは人間の感情を形にし、大切な者と結びつき、家族、社会、ひいては国家を作っていく。それほど、言葉は人間そのものであると言っても過言ではないだろう。
何が言いたいのかというと、同じ意味でも、表現の一つによっては、受け取り方が全然変わってくるということだ。それほど、言葉は人間の意識と直結し、表現次第で人の感情を揺さぶることが出来る。その表現を重くしちゃうのがヤンデレの定義なんじゃないだろうか……。
まあ、大したこと言ってるけど、ようは今の人形姫の言動がめっちゃくちゃこわいってことだ。
「何考えているんですか?」
「栗花落の定義だ」
「私はなんですか?」
「こっちが聞きたいね……」
考え事で呆けていたら、人形姫は目をぱちぱちさせて、不思議そうに俺の瞳を覗き込んでくる。
まさかここで自分とはなんなのか? という哲学の秘奥とも言える質問が聞けるとは、少し感動に似た感情すら覚えた。
でも、そんな少し天然が入っている栗花落のことを、俺は好ましく思っている。
「栗花落ってシフォンケーキの匂いがするんだね」
「私が臭いってことですか!?」
「シフォンケーキに謝れ!! そして、全国のパティシエに謝罪しろ!! ついでにパン工場にもな!!」
いつものフローラルの香りに、少しだけシフォンケーキを思わせる匂いが混じっていた。甘すぎず、濃すぎず、心地よい
いつも抱きしめて寝ているのに、人形姫から漂っていた彼女自身のミルクのような香りに名前を付けることが出来なかった。でも、この瞬間、それが俺の中でシフォンケーキの匂いとして認識された。
これといった理由はなく、敢えていうと、ジグソーパズルの最後の一ピースがハマった時に、全体の絵がはっきりと認識出来た感覚に近い。
今まで知らなかった人形姫のことを、少しずつだが、ちゃんと知ることができた喜びが胸の中に芽生えた。
「その……好きな匂いだよ」
「え?」
俺の言葉を聞いて、人形姫はどこか信じられないような顔をした。
「褒めてるんですか?」
「褒めてるよ」
「頭大丈夫ですか?」
「感動的な場面で普通に悪口言わないでくれる!?」
俺としては、やっと素直に少し自分の気持ちを伝えられるようになったというのに、ここで感動されても、俺としても文句はないのだ。
それなのに、『頭大丈夫か?』はないだろう。『頭大丈夫か?』は……。
今までこんなこと言ってこなかったから、自業自得とも言えるけど、女の子は俺が思っている以上に複雑で分かりにくい生き物なんだなと
「愛してるわ、愛してるわ、愛してるわ、東雲くん」
「いきなりジュリエットにならないでくれる!? しかもそこはロミオじゃないのか!!」
「東雲くんなら、ジュリエットも心変わりすると思いますよ?」
「ジュリエットってそんなに軽い女だった!?」
「これでいいですか?」と、悪戯っぽい笑顔をたたえて、目を輝かせる人形姫。
うん、俺が求めてる感動的反応はそんなんじゃないけどね? それはただのヤバいやつだから……。
ジュリエットもこんな名誉毀損をされて草葉の陰で、怒りで歯ぎしりしてるのではなかろうか。
「やはり、栗花落ってヤンデレ―――」
「―――そんな疑いの時効はもうとっくに過ぎてます!!」
「疑いに時効なんてないんだよ!!」
ぷうっと頬を大きくして、ネザーランドドワーフみないな顔立ちになる。ちなみに、うさぎはげっ歯類ではないらしい。
そんな人形姫の愛らしい顔が保護欲を刺激し、一生その姿を守りたくなってしまう。彼女には、いつか
「私を取り調べるんですか……?」
「うん、栗花落の部屋でね」
「あら……エロいことしようとしてるんですか?」
「そんな気があるなら、とっくにしてるよ」
「……いくじなし」
君に対して、そんな欲望がないわけじゃない。ただ、それは劣情とはちょっとだけ違う。だから、俺にはコントロールできた。むしろ、俺だからこそできるというほうが正しいのだろう。
なんて、人形姫には絶対言わないけどね……さっきの言動で、ひょっとしたら俺のほうが被害者になるかもしれないから。
「自分の気持ちをもっと大切にしろ。いつか運命の人と結ばれたとき、後悔することになったら嫌だろう?」
「気持ちを大切にしてるからこそ……」
人形姫の声がどんどん小さくなり、後半は聞こえなかったが、彼女はちゃんと自分の気持ちを大切にしているのなら、俺としても安心だ。
「春は花見しに来ようか」
「え?」
「川沿いにある桜並木を
やっと俺の言ってることを理解出来たのか、人形姫は逸る気持ちを必死に抑え込んで、小さくはにかんだ。
「はい!!」
そして、今度は満開のひまわりのような笑顔を俺に向けた。
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