第18話 人形姫の演技

「二人とも、近いぞ!! もっと原作を尊重せんか!?」

「いきなり本番はじめないで!?」


 人形姫と黙って見つめ合っていたら、楽々浦はムッとした感じの声色で不満を撒き散らした。

 これが楽々浦のセリフじゃなかったら、傍から見れば、二人の世界に入っているカップルを冷やかしているように聞こえるだろう。


 楽々浦じゃなければだが……。


 ロミオとジュリエットは無理やり離されたから、地上にいるロミオとベランダの手すりを掴んでいるジュリエットの距離は、決して俺と人形姫のように近くはないのだろう。

 楽々浦が言った『原作を尊重する』ってのがこういうことだろう。


 楽々浦の言わんとしてることが分かってしまう自分が無性に悲しい……。


 このやり取りを理解した人は案外多くいて、人形姫と俺の周りからクスクスと笑い声が立った。

 それが気恥ずしかったのか、人形姫は少し頬を桜色に染め、それがまた男子たちの視線を奪った。


「なあ、ジュリエット、お前が飲むはずの毒薬、楽々浦に飲ませていいか?」

「ええ、喜んで」


 少しぞっとするような微笑をたたえて、人形姫は架空のドレスの裾を掴んで一礼する。


「勝手にあたしを殺すな!!」

「大丈夫、あれは仮死状態にするだけのやつだから」

「ロミオが知ったらいけない真実だろうが!!」


 うふふと人形姫が声を出して笑った。その姿を、俺はいつも近くで見ていたが、教室でこんなに楽しそうに笑う人形姫は初めて見たんだ。じーんと胸が熱くなって、喉の奥底から何かが込み上げてくる。

 こういう時だけ、少し楽々浦に感謝の気持ちを抱いてしまう。彼女のおかげで人形姫は学校でも笑っている。いや、それはさすがに言い過ぎかな……半分? 四分の一? くらいは楽々浦の功労かもしれない。


 確かに、ロミオがジュリエットが飲んだ毒薬が、ただの仮死状態にするだけのものだと知ったら、自害してしまうような悲劇は生まれなかっただろう。

 仮死か……ちょっと羨ましいなあ。なぜなら、俺はほんとのだから……。


「良かったな、少尉」

「なにが?」

「この戦争が終わったら俺は結婚するんだ! ってやつさ」

「死亡フラグじゃないか……」


 ったく、分かってるよ。

 かけるくんの言いたいことくらい……。


 でも、違うんだ……俺はただ、人形姫が普通の女の子みたいに振舞ってるのが嬉しいだけなんだ。




 渋々印刷された台本を手に取り、目でチェックしていく楽々浦。

 その様子だと、冗談でも嘘でもなく、ほんとにiP○dで閲覧したかったらしい。

 何度も言うが、うちの高校は、iP○dの持ち込みは禁止されている。


「よし、ダコール!」

「……ダコール?」

「フランス語でオッケーって意味だ!! 何故分からん!! それでも台本担当か!?」

「不勉強ですみませんでした……!」


 楽々浦に叱られて、台本担当の国語の成績が優秀な女の子が慌てて謝る。彼女からしたら、『ダコール』の意味を知らなかったのは、ほんとに恥ずかしいことのようだ。

 でも、大丈夫だよ……『ダコール』も『オッケー』も国語じゃないから。


 楽々浦からオッケーをもらったので、台本担当の女の子が教室を出て、職員室に向かう。

 しばらくすると、職員室でコピーしただろう台本を役者全員と演出担当の人に渡した。


「……とりあえず、セリフの練習する?」

「……はい、お願いします……」


 さっきのかけるくんの言葉もあって、俺は少し気恥しくなって、とりあえずこの状況を打破しようと、人形姫に提案してみる。

 俺に釣られるように、人形姫も瞳を伏せて、小声で応えてくれた。


「ジュリエット、君のほんとの気持ちを教えてくれ……」

「声が小さい!! そんなんじゃ、ジュリエットに届くわけないだろう!!」

「ジュリエットの耳が意外とめちゃくちゃいいかもしれないじゃん!!」


 またお前か!? 少将ーーー!!


 こっちは恥ずかしさを堪えて、精一杯セリフを吐き出したのに、茶化すなよ……。


「うむ、今のツッコミの音量で頼む!!」

「ツッコミを撒き散らすロミオがどこにいるんだよ!!」


 内心でため息を吐きながら、人形姫のセリフを待つ。

 『ロミオとジュリエット』は悲恋であって、決してコメディではないのだ。


「ああ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの? 私はの娘……あなたはモンタギューの息子。どうして私たちは出会ってしまったの? どうして愛し合ってしまったの……?」


 見惚れていた……。


 目の前の少女は、人形のように無機質でもなく、ひまわりのような笑顔を浮かべる女の子のように無邪気でもない。まるで恋焦がれる一人の熟れた女性のように、その瞳は情熱を孕み、声は力強さを含んだ。

 これはほんとに演技なのか……? そんな疑問が胸を通り抜けた。


 まるで、今まで隠していた感情を爆裂させるかのように、人形姫がこの瞬間、ほんとにジュリエットそのものになったような感覚が俺だけでなく、周りにいる者たちを圧倒させた。

 その目は真っ直ぐに俺を見据え、なにかを訴えてくる。それは彼女が想像しているジュリエットのものなのだろうか……それとも、彼女自身のものなのか。


の娘が失恋するなんて、笑えないよ……」

「あっ」


 自分がセリフを間違えていたことに気づいて、人形姫ははっとする。

 そして、恨めしげな目で俺を見つめてくる。


の……いじわるぅ」

「じゃ、俺には関係ないね」

「もう!」


 小さな手で作られた拳は、殺傷力は皆無だが、それによって殴られた胸は心臓を巻き添えにして、俺の呼吸を苦しくする。


 今この教室はまるで俺と人形姫の二人だけが存在するような、そんな不思議な感覚を覚えた。

 反撃するつもりはないが、ここは台本にあるジュリエットのセリフを借りさせてもらおう。


「君のキスで……」


 すると、人形姫は慌てて口を手で覆って―――


「私は生物兵器じゃないもん!!」


 ―――と少し怒ったのだった。

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