第17話 君は間違いなくヒロインだ

 朝、昇降口で上履きに履き替えたところ、背中を叩かれて、驚いて振り返ったら、そこには一人の男子の姿があった。


「……さぶろうくん?」

「誰だよそいつ!? 俺は倉木くらきかける、同じクラスの」

「ご丁寧に自己紹介どうも……」


 うっかり昨日名付けた名前で呼んでしまったら、律儀にツッコミを入れてくれた。しかも丁寧に自己紹介を添えて。いい人かもしれない。


「おい、なんでそこで行っちゃうんだよ! 東雲」

「あっ、東雲凪と言います」

「いや、知ってるし、自己紹介が聞きたくて呼び止めたわけじゃないから……」

「はあ……」


 どうやら、自己紹介を返していないことを怒ってるわけじゃなさそうだ。だとしたらなんの用だろう。


「お前って面白いやつだよな! 昨日のツッコミ面白かったよ!」

「それはどうも」

「俺に冷淡すぎないか!?」


 そう言われても、ろくに会話したことがないから、『さぶろう』と名付けたのだし。どうやら、よそよそしい『男子生徒』呼びは可哀想だと思った俺の優しさは彼に伝わっていないようだ。


「えっと、なんか用?」

「いや、お前と友達になりたくてさ」

「やめて……友達になりたいって自己申告されると鳥肌が立つ……」

「俺のことは呼び捨てで名前で呼んでいいぞ! 『かける』ってね!」

「あの、俺の話聞いてる?」

「その代わりと言ってなんだが、俺もお前のこと―――」


 かけるは、口角を少しあげ、白い歯を露わにしながら、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。


「―――『少尉』と呼んでいいか?」

「いいわけなかろう!!」


 脊髄反射でツッコミを入れて、はっとする。いくら相手がおかしいからと言って、渾身のツッコミは悪目立ちする。


「あはは、お前ってやっぱおもしれぇやつだな!」

「はぁ……そちらほどでは……」


 さぶろ……もとい、かけるくんがほがらかに笑うと、昇降口で靴を履き替えている生徒たちからちらほら笑い声が聞こえてきた。

 どうやら俺とこいつのやり取りは面白かったらしい。


「まあ、これからよろしくな、少尉」

「善処する……」




 朝からどっと疲れた気分で、ゆっくりと教室に向かうと、教室の中から楽しそうな会話が聞こえてくる。


「ねえねえ、ここのシーンの照明はもっとロミオにスポットを当てたほうが良くない?」

「そうだな、確かにジュリエットに話しかけるシーンだけど、ロミオの見せ場だよな」


「おい、小道具作成班の差し入れだれか買ってきてよ!」

「差し入れは自分で求めるものではないぞ! 佐藤!」


「楽々浦さん、台本書き上げたから、チェックしてもらえる?」

「この時代で紙渡すやついる!? iP○dはないのか!? iP○dは!!」


 ほんとにいいクラスに恵まれたと思う。グループやぼっちはいるものの、ラノベでよく見かけるスクールカーストというものは存在せず、どこか和気藹々とした雰囲気に包まれている。

 今日から本格的に授業免除で文化祭の準備が始まるから、みんなはどこか楽しそうに作業している。

 

 一際異色な会話もあったが、気にしない方が精神衛生上よろしかろう。

 ちなみに校則では、iP○dの持ち込みは禁止されている。


「よっ、少尉」


 先に教室に入ったかけるくんは俺を見つけて、嬉しそうに話しかけてきたが……。


「誰が少尉だ!! 少将と呼べ!!」


 別の人と話していた楽々浦さんが先に反応してしまったせいで、普通に気まずい……。


「あはは、すまんな」


 苦笑しながら俺に謝ってくるかけるくんに、どこか苦労人のような印象を覚えて、わずかだが親近感が湧く。


「東雲くん、遅い!!」

「普通に登校してきたんだけど?」


 そんなかけるくんを見ようともせずに、楽々浦さんは俺に文句を言ってきた。

 状況が状況なら、デートに先に着いた健気で甘えん坊な彼女の類いを連想してしまうのだが、残念ながら楽々浦が相手ならそれもできない。


 黙っていれば美少女なのに、声帯を潰していれば可憐と思えるのに、永眠していれば伝説になれるかもしれないのに……色々ともったいない。


「文化祭の準備期間中に普通に登校してくるていたらくなやつがいるか!?」

「不登校のやつらに謝れ!!」


 そんな俺と楽々浦を見て、かけるくんは「少尉ってやっぱ面白いわ」と言っていたのは少し気恥ずかしかった。


「遅刻するやつに謝るほうが先だろうが!!」

「なんで謝る本人が威張るんだよ!!」

「わははっ」


 ほんとに、舌がなければわりと完璧な美少女なのに……楽々浦は。


「君の言い分は分かった……でも、ジュリエットを待たせるロミオはどこにいるんだ?」

「ジュリエットの屋敷に侵入するのに、時間がかかるんだよ!! ロミオの苦労分かってあげて!!」


 楽々浦にツッコミを入れながら、先程目で捉えていた人形姫の姿に視線を送る。

 彼女もいつもより早く登校しているみたいで、台本は昨日の今日でまだないが―――というか誰かさんのせいでチェック作業が捗らないけど、人形姫はほかの役者と『ロミオとジュリエット』の名ゼリフを練習していた。


「私がもし死んだら、ロミオをもらっていいわ……ばらばらにして……小さな星にして、プレゼントしてあげる……それでもあなたは喜ぶのかしら」


 人形姫は美しく澄んだ声で、ジュリエットのセリフと思われるものを披露していた。

 聞いていたクラスメイト達はぱちぱちと拍手して、彼女に素直な賞賛を送る。


 今この瞬間、彼女は学校でも少しだけ人形ではなく、普通の女の子のように見えた。

 それがすごく輝いていて眩しかった。


 なぜかジュリエットのセリフなのに、それが最初から人形姫自身の言葉のように感じてしまうくらい、彼女の声色とセリフは合致していた。

 そう思うとなぜか悪寒がして……。


「ああ、ロミオ、ロミオ……どうしてあなたはロミオなの……?」


 俺に気づいたのか、人形姫はそっと俺の方へと近づき、ジュリエットのセリフを述べながら、少しうっとりとした顔で俺を見上げた。

 それはまるで、ほんとにジュリエットに見つめられているかのような錯覚を起こさせ、心臓の鼓動をおかしくする。


 本物のジュリエットなんて見たことはないけど、たぶん今の人形姫はジュリエットよりも美しいだろう。


 こんな光景を見ていたクラスメイト達は息を呑み、驚き果てていた。

 それもそのはず。表情がないゆえに、『人形』と呼ばれている人形姫は今、恋する乙女のような鮮やかで艶かしい顔をしているのだから。


「ロミオ……その名前を捨ててほしい……あなたの名前はそれじゃない」

「うん、俺は東雲って名前だしな」


 ジュリエットのセリフに対するそんな俺のおどけた返事に不服なようで、人形姫は頬をぷっくりとさせた。その様子は慌てて皮を剥かずに、栗をそのまま二つも飲み込んだシマリスのようだ。

 皮が剥かれていない分、頬の膨らみ具合も半端じゃない。


「東雲くんの……ばか」


 小さく呟かれたその言葉は俺だけが聞こえる声量だった。


 クラスから笑い声や感嘆の息が上がり、俺は少し嬉しくなった。

 人形姫は今、まぎれもなく、このクラスのヒロインなんだ。

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