第16話 ポンコツな抱き枕

「……東雲くんって、メイドが好きなんですか?」


 人形姫の家の最寄り駅に下車して、彼女の歩幅に合わせながら肩を並べて歩いていたら、上目遣いでじっと見つめられた。

 身長差的に、彼女が俺の顔を直視するのに、自然と上目遣いになるので、意図的に作られた人工的なあざとさは感じられず、愛くるしさが胸を包み込む。


「なんでそう思った?」


 彼女の突然の問いかけに、俺は首を傾げる。


「文化祭の出し物……メイド喫茶にしようとしてたじゃないですか」


 そう言いながら、人形姫は少し不満げに、俺を睨みつけて、小さな手で拳を作り、俺の肩を叩いた。


「うーん、漫画の影響かな」

「そんなにエロい漫画いっぱい見てたのですか!?」

「今すぐ出版社諸々に謝ってこい!!」


 俺は断じてメイドをエロい目で見ていない……たぶん。名誉毀損にもほどがある。

 ほんと、学園物で文化祭の出し物をメイド喫茶にした漫画を描いてる先生方に大変失礼である。


 俺のその答えに納得していないようで、人形姫は少し瞳を伏せた。

 これは彼女が拗ねてる時の仕草だと、一ヶ月一緒にいて分かったことの一つである。


「まあ、栗花落のメイド姿が見てみたいってのもあるかな……」

「私のエッチな格好が見たいんですか!?」

「今すぐメイド服を生産しているアパレルメーカー全員に謝ってこい!! ていうか俺に謝れ!!」


 ご機嫌を取ろうとして、とんだ誤解をされてしまったものだ。

 人の価値観にとやかく言うつもりはないが、実害が出たとあっては、それも考えものである。


「ごめんね」

「分かったならよろしい」

「いや、東雲くんが私をエロい目で見てるんじゃないかなと思ったことに対してじゃなくて……その、東雲くんをロミオに推薦したことが申し訳なくて……」

「まるで、俺がお前をエロい目で見てるのが事実であるかのように語るな! 頑なにそれに対して謝るのを拒否するな! てか申し訳ないなら最初から手を挙げるな!」

「ううぅ……酷いです……」


 軽く手で目尻を擦りながら、人形姫は声のトーンを低くする。


「……嘘泣きは辞めろ」

「えへへっ、バレましたか?」


 涙どころか、H2Oエイチツーオーすら滲んでいない人形姫の目を見て、ため息混じりに吐き捨てると、人形姫はいたずらが親にバレた子供のように破顔する。

 それは満開まではまだ少し時間があるひまわりのようなあどけない笑顔だった。


「それにしても、ロミオか……」

「どうしましたか?」

「いや、HRの時のお前の言い方が気になってさ。ジュリエットは『役』って言ってるのに、ロミオにはそれがないから」

「あっ……」


 小さく声を漏らして、みるみる人形姫の新雪のような白い頬が紅色に染まっていく。


「なんか理由でもあるのか?」

「その……それはその……演劇じゃなくて……ちゃんと東雲くんにロミオになって欲しいから……」


 自分の言ってることを恥じらってるのか、人形姫の頬は紅色を通り越して、真っ赤になっていた。


 彼女の言ってることの意味を深く考えないように、俺は頭からその言葉を追い出す。勘違いはしたくないし、するつもりもない。

 それに、もし万が一それが勘違いではなかったら……お互いにとってもっと辛いことになるだろう。


「……俺は日本人だ」

「人種の話じゃないですよ!!」


 だから、茶化した……。




 人形姫の部屋に入ると、大きく伸びをして、ベッドに座り込んだ。

 そう寛げるくらいには、ここにはもう何十回も通い詰めてる。


「今日はどんなパジャマを着せようかな〜」


 タンスを開けて、デートの前に服をあれでもないこれでもないと見比べる乙女のように、嬉々とした様子で、人形姫は俺に着せたいパジャマを物色する。

 いや、一応乙女ではあるのだけれども……。


「はぁ……俺はお前の着せ替え人形じゃないぞ?」

「ケチなこと言わないでください。減るものではないじゃないですか」

「……それ、普通に男がいうセリフだぞ?」

「私にエロいことしようとしてます!?」


 ほんとに驚いた様子で、人形姫は目を大きく開いて俺から少し距離を取る。

 ちょっと傷つく。


 なんでそうなる……?


 人形姫のシナプスは壊れているのか? だとしたら、もう救いようがない……アーメン。


「その顔……失礼なこと考えてますよね?」

 

 どうやらこの一ヶ月で、俺だけが人形姫のことをたくさん知ったわけではなく、その逆もしっかりと行われているようだ。

 次に失礼なことを考えるときは、無表情を心がけよう……『無』に、俺はなるんだ。


「てか、なんとかならないのか……それ」


 人形姫の目の前にあるタンスを見て、俺は前々気になっていたことを質問してみた。

 決して都合が悪くなって話題を逸らしたかったからではない……。


「なにぃ?」


 何度聴いても、鈴のような可愛らしい声で、人形姫ははにかんで、俺の方を見る。


「俺の下着をその……栗花落の下着の隣に収納するのはちょっと……」


 そう、夜も泊まるようになってから、俺は何度もコンビニで下着を買っていた。さすがに泊まる気満々と言いたげに、自宅から下着を持ってくることはできないから。

 気づいたら、人形姫の家にある俺の下着は増える一方だった。


 さらに悪質なことに、彼女はそれらを自分の下着を収納する場所の隣に畳んで仕舞っていた。

 年頃の男子が自分の使用済みの下着(ちゃんと洗濯したあとのやつ)を、同級生の女の子に手ずから畳まれるという羞恥プレイを味わわされている気分だし、自分の下着を取ろうとしたら、嫌でも人形姫のそれが目に入っていたたまれなくなる。


「いいお嫁さんになれると思いませんか〜?」

「いい家政婦にはなれると思う」

「私の進路が今勝手に決められてませんか!?」


 ナポレオンの辞書に『不可能』という言葉がないように、どうやら人形姫の辞書に『皮肉』という言葉は存在しないらしい。

 ちなみに、褒めてはいない。




 いつものように、後ろから抱き寄せて、顔を人形姫の栗色の髪に埋めると、フローラルの香りがふわっと鼻を優しく刺激してくれる。

 いつの間にか、枕は二つに増えて、かと言って、二つ目の枕はまったく機能していないくらい、俺と人形姫の距離は近かった。


 彼女の安心感を少しでも多く覚えたくて、彼女の体温を少しでも強く感じたくて……。


「東雲くんって暖かいね……すごく安心する」


 そして、それは俺だけが思ってることではなく、人形姫も思ってることでもあった。


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