第5話 人形姫のオムライス

「なあ、やはり着替えちゃだめ?」

「家で制服姿は変と思いませんか?」


 起きて、色々あったあと、人形姫は晩御飯を作ってくれるという。

 そろそろ家に帰らないと、と言った途端、あからさまに寂しげな表情になったので、甘えることにしたのだが、この格好はどうしても……人形姫のパジャマを着たまま、俺はリビングのソファーに座らされている。


 俺が細身だからか、袖は通せたが、男女の身長差やらで、見た目的に手の方も足の方も七分袖、丈になっていて、服全体がぴちぴちだ。

 恥ずかしいどころじゃない。なんかの罰ゲームとすら思える、羞恥心を煽りまくる格好である。


「人の家なら変じゃないと思うけどな」

「人? ……東雲くん、私の名前言ってみてください……」


 なんかまずいこと言ったのか、人形姫は調理の手を止めて、つかつかと俺の前に歩んできた。かと思ったら、いきなり鼻が触れ合いそうな距離に顔を近づけてきて、名前を言ってみてという変な注文を突きつけられた。

 鼻が触れ合いそうな距離だからか、彼女の栗色の髪のフローラルの香りとか、ボディーソープなのか本来の匂いなのか分からない淡いミルクの香りとかが、人形姫が吐き捨てた甘い吐息と綯い交ぜになって俺に襲いかかってくる。


 人形姫はソファーに片膝を付いて立っているので、自然と顔が上の方に来る。おまけに、なぜか不機嫌さを滲ませた顔が、美少女だからか、少し凛と見えた。調理の為に耳にかけた髪は一房だけ垂れてきて、とても扇情的に見える。

 後ろの壁に手を付いてるから、傍から見れば、俺が人形姫に押し倒されて、壁ドンされているような、そんな光景の出来上がりである。


 男女逆転とも思えるそんな状況に、倒錯的な格好良さを人形姫に覚えつつも、俺の体は少しおののいている。


「えーと、栗花落さん?」

「今更『さん』付けですか?」


 ご満足頂けてないようで、人形姫の目が更に鋭くなっていく。鼻が触れ合いそうな距離という言い方を嘲笑うかのように、彼女の鼻の先端が俺のそれにぴったりとくっついている。


「もう一度聞きます。私の名前はなんですか?」


 パジャマをオシャレな部屋着に着替えた人形姫は白いレースをあしらったキャミソールの上に同じ白い薄いカーディガンを羽織り、グレーのゴムベルトが付いてるショートパンツだけを履いていた。

 ただでさえ、その格好が俺の理性を恋愛感情の有無に関わらず崩壊させようとしているのに、至近距離で囁かれると、色々な感情が生じて、思考が迷子になる。


「つ、栗花落です?」

「なんで疑問形なんですか?」

「栗花落……」

「よく出来ました」


 名前を呼んでみると、人形姫はぱぁっと明るい笑みを浮かべた。


「な、名前を答えたから、そろそろどいてくれない?」

「ここからが本番です!!」

「えっ?」

「人の家じゃなくて」

「じゃなくて?」

「誰の家で制服姿は変じゃないと言いましたか?」


 頼むから、もうどいてくれ。


 これは俺の本心だ。その部屋着は、キャミソールにショートパンツは男のロマンというか、それを人形姫みたいな新雪のように白い美しい女の子が着ているならなおさらだ。

 正直、もう息が苦しい。心臓が悲鳴を上げている。本能的にドキドキが止まらず、困惑している。


 押し倒して、えっちなことしたいなんて気持ちは起きず、ただただ可愛すぎる目の前の女の子を抱きしめたいという気持ちに駆られる。かと言って、抱きしめたらこの動悸が収まるかというと、そうでもない。

 多分、人形姫のその格好を意識すればするほど、愛でれば愛でるほど、どうしたらいいか分からなくなる。

 まるで未知と遭遇したような、対処法を知らない無間地獄である。


「……栗花落の家で……制服着てるのは……変です」

「よろしい」


 敗北を認めたように、たどたどしく人形姫が言わせようとしてることを口にすると、人形姫はこれでよし、というふうに、俺から離れてキッチンに戻って行った。


 ソファーでぼんやりと部屋着の上にエプロンを着けた人形姫の背中を眺めていると、さっきの添い寝の出来事が思い起こされる。




「で、その足はなんだ?」


 人形姫の頭を抱きかかえて、撫でていると、彼女はまた自分の足を俺の足にくっつけてきた。


「東雲くんと、足繋ぎたいなー、なんて」

「……ばかか、お前は」


 予想外の返答に、俺は思わずため息をついた。


「ばかだと思われてるんですか!?」

「今思った」

「なんでですか!?」

「足を繋ぐって発想、斬新だなって」

「ざん……しん? それは褒めてるんですか?」

「褒めてないよ」


 言い終えるやいなや、俺の足の甲に鋭い痛みが走る。

 感覚的に、人形姫は足の指でつねったのが分かる。ずいぶん器用なやつだ。


「何するんだよ」

「なにも!!」




 そんなやり取りもあったなあ、と思い返してるうちに、人形姫はテーブルに料理を並べ始めた。

 

「東雲くん、こっちへどうぞ」


 食卓の椅子を後ろに引いて、俺を手招きする人形姫。そして言われるがままに椅子まで移動する俺。

 調理するところを眺めていると、新婚さんみたいという感想が出てきたが、今は熟年夫婦のそれである。


「なっ、これってなに?」


 テーブルの上に置かれた料理に目をやると、キャベツを中心としたサラダとコップに淹れられた湯気の立つ芳しいお茶、そしてレタスとブロッコリーを盛り付けに使われたオムライスだ。

 食べられるかという点に関して、全く心配していない。美味しいかというと、まだ食べていないが、美味しいだろうという出来栄えである。

 

 しかし、ケチャップでオムライスに書かれている文字は気になるものであった。

 『意地悪』の三文字の下に、ご丁寧に『♡』まで付けてある。


「ケチャップだよ?」

「いや、素材の話ではない」

「あっ、読み方? 『い・じ・わ・る』だよ?」

「ばかか、お前は……」


 素材の話でもなければ、読み方の話でもない。というか、俺漢字読めないと思われているのか……高校一年生にもなって、『意地悪』も読めないとしたら将来がかなり危うい。


「そういうところ、意地悪ですよ?」


 人形姫は両手で頬杖をついて、にこっと満開のひまわりのような笑顔を浮かべながら、鈴を張ったような目で俺を見つめていた。

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