第4話 人形姫と触れ合う足
寝起き特有のまどろみの心地良さを感じながら、俺は鼻腔を優しく撫でてくれるフローラルの香りをゆっくり吸うと、胸の中がじーんと温かくなっていく。
手のひらは湯たんぽに温められているみたいで、湯たんぽというにはあまりにも柔らかくて、指に力を入れると沈んでしまうようなそんな心細さがある。
初めての感覚に戸惑いを感じながら、久しぶりによく眠れたことに満足感を覚える。
そういえば、今回は
そんなことを朧げに考えていたら、ふと足の違和感に気づく。
硬いような、柔らかいような、温かいような、くねくねしたような感触が俺の足から脳に伝わってくる。
その感触の発生源を足でつつくと、そやつはくすぐったそうに捩って、またぴったりと俺の足にくっついてくる。
ちょっといいか……。
俺、なにしてんだ……。
覚醒に伴い、記憶がはっきりしてきて、現状認識ができた頃、俺は今すぐ頭を抱きかかえたい衝動に襲われた。
一億歩譲って、二年くらい深く眠ったことがなかったからといって、起きてる時は全然現実味がなかったからといって、普通、クラスメイトの女の子と添い寝するかな?
電車で眠ったときに感じた安心感をもう一度味わいたいとか、人形姫の懇願するような目が痛ましげに見えたからとか、そんな理由で学校一の美少女を抱きしめて眠っていい理由にはならないと思う。
睡眠不足で知能が働かないからって、『お前は俺の抱き枕だから』とどこの王子様だよみたいなセリフを吐くかな?
しかも、先程分からなかった足の感触が、今は嫌でも鮮明に浮かび上がった。その感触の発生源、そやつは人形姫の足だ。
ピタッと俺の足にくっついてる人形姫の足は感覚的にすごく華奢で、おそらくというか確実だけど、俺の足の甲を自分の足の裏で包み込むようにしている。時々、足の指で俺の足を小突いてくれる。
今の状況を理解したあまりの気恥しさから、俺は本能的に現実逃避するように、人形姫に声をかける。
「あのー、ビッチ姫」
「起きまし……人形姫だよ!!」
「……その二つ名、自分でも気に入ってんの?」
「うぐっ……違いますし、そう呼ばれてるの知ってるだけですし……」
我ながら男としては、情けないと思うが、これは手を繋いだとか、よろけた弾みで抱きしめたなら潔く謝っただろう。だが、こんな全身が密着している状態だと、そうもいかない。気恥しさのあまりに、今にも逃げ出したい気分である。
だが、人形姫は寝た時の体勢で、背中を俺に向けたまま、ぷるぷる震えて弁解している。心なしか、彼女の耳たぶが少し、いや、かなり赤い気がする。
「それを自称するのは、ちょっと痛いかな」
なんとなく楽しくなって、俺はますますノリノリで人形姫を攻める。
「だって、ビッチ姫って変な呼び名で覚えられたほうが嫌ですもん!!」
「てっきり、人形姫って呼ばれ方を自慢してきてるのかと」
「……そんなの……自慢したくならないよ……」
何かを思い出したみたいで、彼女はしどろもどろに言葉を紡いだ。
人の機微がよく分からない俺でも、彼女は触れて欲しいとも触れてほしくないとも言える気持ちでそう言ってきたのが分かる。
訳ありじゃなければ、「自慢してません!!」とか「その呼び名は嫌いです」あたりの返事が返ってくるもの。
そして、
俺が王子様なら、強引に彼女の胸に秘められたことを聞き出し、彼女の助けを求める声に応えるように強く抱きしめることができただろう。それが良いのか悪いのかは別として。
でも、これ以上は踏み込んではいけないと、俺は直感した。彼女の事情を受け止める覚悟もなければ、心の容量も今となっては残りない。そんな人間に出来るのは、そっと気づかないふりしてやり過ごすことだ。
少なくとも、俺は半端な覚悟や興味本位で自分の心の繊細な部分に踏み込んでくる人間には嫌悪感を抱く。
「それより、これはどういうこと?」
だから、話題を変えることにした。
「……これ?」
背中越しでも、人形姫の残念そうな顔が見えるような間があって、彼女は聞き返してきた。
「この豚足はなんだと聞いてんだ」
「豚足!?」
人形姫はびっくりしてすばしっこく自分の足を俺の足から離す。逃げ足の速さでいうと、豚というより、鹿だ。
「照れ隠しですか?」
「あっ」
いつの間にか、寝返りをうって、俺と向き合う人形姫。
彼女は俺の顔をじーっと見つめてそれから零れた笑みを浮かべて、嬉しそうに聞いてきた。
その屈託のない、美少女が零したひまわりのような笑みに、俺はこれまでになく心臓の鼓動が早くなった。気づいたら、情けのない声が口をついて出てきた。
「人形姫もこんなふうに笑うんだね」
「ダメですか……?」
してやったり顔の人形姫に反撃しようと、まさかの返り討ちである。
鈴を転がすような声で上目遣いで俺の瞳を覗きながら発せられた質問に、俺は思わずたじたじする。もっとも、後ろは壁だから、物理的に後ずさることはできないが。
もともと早鐘のように脈を打っていた俺の心臓の動悸に、気づいたら呼吸が苦しくなるくらい胸が締め付けられた。
「……東雲くんこそ、すごく脈打ってますよ……すごく安心します……」
小さな顔を俺の胸の中に埋め、俺の心臓の音を確かめてから、ゆっくりと口を開く。
バレてしまったもんは仕方ないと、俺は諦めたようにため息を吐く。
そして、大切なものを抱きしめるように、そっと人形姫の頭を両手で包み込んで、栗色の髪をゆっくりと撫でた。
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