第2話 人形姫のビッチ疑惑

 とりあえず、立ち話もなんだから、俺たちは路線の反対側に行って、電車を待った。


 人形姫も乗り過ごしたみたいで―――というか、そんなに熟睡していたら乗り過ごさないわけがないので、二人して反対方向の電車に乗ることになった。


 この区間もそうだが、この方向の電車は空いているので、人から少し離れた座席に俺と人形姫は隣り合わせに腰をかけて、さっきの話の続きをする。


 他人に話の内容を聞かれて平静でいられる自信も、平静を装う自信もないので、人を遠ざけた場所の席を選んだ。


「……その……やっぱりだめでしょうか……?」


 おずおずと、人形姫は俺の顔色を伺いながら尋ねてくる。

 その様子だと、こんな奇天烈な申し出をするのに慣れてるわけではないらしい。


 体が小刻みに震えているし、両手で作った拳を膝の上に置いて、まるで死刑判決を待つように、しきりにちらっと俺の顔を覗いては目を逸らす。

 その感じから、まず分かったことがある。


 こいつはビッチじゃなさそうだ……。


 ――あの……これからも私と添い寝してくれませんか?


 その質問を聞いた瞬間、俺の脳内では『人形姫=ビッチ』という方程式がしゃきしゃきと出来上がっていく。


 しかし、人形姫の今の雰囲気を見るに、彼女は別に色んな男にこんな提案を持ちかけてるわけではないみたい。第一、そんな噂なんて聞いたことがない。


 でも、すごく申し訳ないけど……こいつはビッチじゃないと言い切ってやれないのも事実だ。いきなり今まで会話をしたことのない男子に添い寝をしようと誘ってくるのはどうも引っかかるところがある。


「そんなに心配するな。ビッチという疑惑は解けつつある」

「私ビッチだと思われたんですか!?」

「違うのか?」

「違います!!」


 わりと真面目に人形姫の不安を取り除こうとしたのだが、どうも、俺にビッチだと思われてないか心配して震えているわけではなさそうだ。


「いきなり添い寝しようって言われたらビッチと思っても仕方ないだろう」

「とりあえずビッチから離れてください!!」


 理由があるんです、と人形姫は溜め気味で事情を説明する。


「東雲くんって、その……すごく安心するんです……」

「口が悪いのに、か?」

「……いや、でも、最寄り駅を通り過ぎたのに、肩を貸し続けてくれたくらいには優しいから……」


 自覚はあるんですね! というジト目を一旦俺に向けてから、また俯いて悪いことをした子供が言い訳をするように言葉を綴った。


「俺はお前が心配だ」

「えっ?」

「単に俺が変態で、美少女の柔らかい感触やらいい匂いやらを少しでも長く感じていたいから、敢えて電車を降りなかったという可能性を考慮してる?」

「わ、私が美少女……?」

「……問題はそこじゃない」


 世の中は人形姫が思うように、全て善意で出来ているわけではない。実際俺の言うように、そういう輩もいる。

 なのに、彼女はなぜか全般的な信頼を俺に預けているらしく、俺が変質者である可能性を全く考えていないようだ。


 いや、俺も疑われないように自己紹介したし、人形姫だって俺のことをクラスメイトと認知しているらしいが、いくらなんでも俺のことを信用し過ぎだ。


「……」

「……なんか言ってくださいよ」


 俺が変態という可能性よりも、自分が美少女だと言われたことのほうが気になる人形姫に呆れていたら、沈黙に耐えかねたのか、人形姫は発言を促してきた。


「その、俺に安心感を感じたから、優しいと思ったから、これからも一緒に添い寝したいってこと?」

「……はい」

「やはりびっ―――」

「―――ビッチじゃないです!!」


 ぷくぅっと頬を膨らませて、少し不機嫌な様子になる。まるでどんぐりをかじっているリスみたいで、愛らしさを感じさせる。


「……眠れないんです」


 俺が真剣にリスがどんぐりを頬張っているところを想像しているところを、人形姫の意を決したようなカミングアウトによって余儀なく中断された。


「……一人だとどうしても眠れないんです。でも、今日、電車の中なのに、東雲くんがそばにいたから、眠れたんです……」


 そういうふうに呟く彼女はすごく痛ましげに見えた。

 他の誰でもない、同じ悩みを抱えている俺だから分かる。彼女は真剣なのだと。


 奇しくも、俺も彼女がそばにいたから、久々に深く眠れたのだ。電車は乗り過ごしたけどね。


 頭触れ合うのも何かの縁か……。


「いいよ」

「やっぱりダメですよね……えっ、今なんて?」

「添い寝してもいいよって」


 俺が彼女の提案に承諾すると、ぱぁっとさっきまでと打って変わって安心したような明るい笑みを滲ませた。

 たぶん、学校で誰も見たことのない、人形姫の笑顔……それを今、俺が独り占めしている。

 人形姫と頭預けあっていたことに優越感を覚えなかった俺は、今彼女の笑顔を独占できたことに喜びを感じた……。


「じゃ、じゃっ! 今からいいですか?」

「えっ!」

「もうすぐ私んちの最寄り駅だから、一緒に降りましょう!」

「いや、急……」


 俺の返事を待たずに、人形姫は俺の手を引いて、自分の最寄り駅で電車を降りた。

 ちなみに、彼女の家の最寄り駅は俺の家の最寄り駅から二駅離れた場所だった。人形姫の最寄り駅は俺より二駅だけ学校に近かった。


 だから、折り返すと必然俺の方が先に目的地に着くのだが。

 またしても、俺は自分の家の最寄り駅で電車を降りなかったのは、どうしても彼女が電車を降りるのを見届けたかったからかな。


 もしかしたら、俺は心のどこかでこうなることを望んでいたのかもしれない。

 眠っては悪夢にうなされて汗ばみながら起きてしまうという地獄にずっといたから、人形姫と頭をくっつけ合って深く眠っていた時間は、記憶になくとも、温かくて幸せな感覚として心の中にはちゃんと残っている。

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