電車の中で肩を貸したら、『人形姫』と添い寝するようになりました 〜いつも無表情の学校一の美少女は俺だけにひまわりのような笑顔を向けてくる〜
エリザベス
第1章
『添い寝の始まり』編
第1話 電車の中での添い寝
学校帰りの電車は、いつも混んでいる。都市部を跨る区間だからか、退勤ラッシュとかけ離れた部活のない学生の帰宅の時間帯でも、それなりに電車の中は混雑していた。
席の前にある手すりに掴まり、俺は電車に揺られながらいつものように眠気に襲われている。
襲われるという表現は、正確には少しだけ違う。四六時中、眠気が強いし、眠ったところですぐに悪夢にうなされて起きてしまうから、基本的に眠気が途切れることはない。
そういう俺のところに、幸運が舞い降りた。偶然、前の席の人が立ち上がる。
位置的にも隣の人が割り入って座ろうとするには少しハードルが高いので、俺は遠慮なくそこに腰を下ろした。
角の席というのも嬉しい。少し体の重心をずらして、ドア付近の人に迷惑がかからない程度に、仕切りにもたれかかる。
乗り過ごす心配はない。どうせいつものように眠ったところですぐに起きてしまうから、仮眠だけ取るつもりだ。
そして、意識が遠のいていくのを感じながら、俺はそのまま眠りについたのだった。
頭に違和感とも不思議な感覚ともとれるような感触がして、ゆっくりと目を開ける。
久しく感じていなかった夢心地に包まれながら、一筋の栗色の髪が頬を掠める。少しひんやりとしてくすぐったかった。
半目のまま、視線を髪の発生源と思われるほうに向けると、鼻腔を優しく撫でるようなフローラルの香りがした。
だが、フローラルの香りよりも気になるものがあった―――頭をちょこんと俺の頭にくっつけて幸せそうな表情を浮かべて寝ている女の子だ。
どこか安心しきったような、まるで母親に身を預けているかのようなほっとした寝顔だった。
実を言うと、俺はこの女の子を知っている。いや、知らないほうがおかしいという程度には、彼女は有名だった。
栗色の長い髪は、横髪が肩で前後に分かれて、胸に優しくかかっている。切れ長な目を引き立てるように、くっきりとした二重の瞼が綺麗な曲線を描く。琥珀色の瞳が潤んで、乳白色のふっくらとした涙袋は真珠のように輝きを放つ。新雪のように白い肌に凛とした鼻が儚い美しさを漂わせ、華奢な桜色の唇は愛らしさを纏っている。
無機質さを感じさせるような完成された美貌といつも無表情でいるところは言い得て妙、まさに人形そのものである。おまけに、気品を感じさせる佇まいと話し方には、どこか異国の姫を彷彿とさせるものがあり、ついたあだ名が『人形姫』なのだ。
状況から察するに、俺は人形姫と頭をくっつけ合って寝ていたのだろう。
本来なら、人形姫こと栗花落真白とこんなシチュエーションになっていたら、男子はまずドギマギ待ったなしであろう。
華奢な体が完全にこちらに傾いており、栗色の髪が自分の肩にかかっていたら(おまけにフローラルの香り付き)、普通の男子の理性を崩壊させるのには十分すぎる。
顔をまだくっつけているため、人形姫の甘い寝息を肌で感じるというこの状況は、世の中の男にとっては儚き妄想の類いとすら言える。
ただ、俺はなにも感じなかった。初々しいとは思うが、女子と密着しているドキドキや、学校一の美少女を至近距離で眺められるという優越感も、心の中では芽生えなかった。
俺は、あの日から誰かに恋愛感情を抱くことができなくなった……。
視線を前に戻してから、少し頭を上げて電車の案内板を見ると、最寄り駅はとっくに過ぎていた。
いつもならありえないことなのに、どうやら人形姫と一緒に寝落ちしたおかげで、久々に夢を見ずに深く眠ることができたらしい。
なぜ人形姫が俺の隣の席にいるのかは考えなくても分かる―――ただの偶然だ。
学校から俺の最寄り駅までの区間はひどく混雑しているし、狙って隣に座れる状況ではない。
たまたま、俺と同じ車両に乗っていて、たまたま隣の席が空いたからそこに座ったのだろう。
勘違いはしないし、するつもりもない。
さて、これからどうしようか……。
乗り過ごしたとはいえ、最寄り駅からそんなに離れていない。
ここで人形姫を起こして、電車から降りて、反対方向の電車に乗り換えるのは簡単だ。
「栗花落さん……」
呼びかけて、ふと口を噤む。というのは、人形姫の寝顔に、あどけない笑みが浮かんだからだ。
人形姫と同じクラスの俺でも、彼女が笑ったところを見たことがない。だからすごく珍しかった。
そんな人形姫の微笑ましい寝顔を壊してまで、急いで家に帰る理由がないので、俺は頭だけをそっと彼女の頭から離して成り行きを見守ることにした。
俺の頭に追随するように、人形姫の頭はぽこんと俺の肩に着地して、その様子に、可愛らしさを覚えてしまった。
軽いなあ……。
まるで重量を感じさせないくらい、肩に人形姫の頭が乗っていても、居心地の悪さは一切なかった。まるでこれこそが俺の自然体であるかのような、彼女の頭がもともと俺の体の一部であるかのような、そんな心地良さすら感じた。
どれくらい経ったのだろう。案内版に表示されている駅名が次々と変わっていく。
車内アナウンスが再び鳴ったとき、もぞもぞした感触がした。
人形姫のほうを見やると、かすかに頭を動かしてぼんやりとした目で周囲を見つめる女の子の姿があった。
もぞもぞした感触がしたのは、俺の肩に頭を預けたまま、頭を動かして栗色の髪が俺の首元をまさぐっているからだろう。
女の子に『もぞもぞ』という表現を使ったのは失礼に当たると思うが、内心で思っただけに留まったから、まあセーフだろう。
「起きた……?」
視線の定まらない寝起きの人形姫にそっと問いかけると、天敵に狙われた小動物のように、体を跳ねさせてから慌てて姿勢を正した。
「……あ、あの……」
「えっと、同じクラスの
「東雲くんのことは知ってます……!」
「そうなの?」
「はい!」
どうやら俺の自己紹介を求めている訳ではなさそうだ。
起きたら知らない人にもたれかかっていたと知ったら、さぞ悪寒がするものだと思うから、一応同じクラスで不審者ではないことを仄めかすために自己紹介しておいた。
「……その、違くて……寝落ちした上に、東雲くんにもたれかかっていたみたいで、すみません……」
「いいよ」
俺の返事が淡白すぎたからか、人形姫は恐る恐る俺の目を覗き込んでくる。
感情を表に出さないことで有名な人形姫がこんなふうに動揺するのは、少し不思議な気分だ。
「じゃ、最寄り駅過ぎたから、ここで降りるね」
電車が次の駅に着いて、ドアが開いたので、俺は人形姫との会話を断ち切り、そそくさと降りていく。
「あっ! 待ってください!」
気づいたら、人形姫は小走り気味に、俺の後ろを追いかけてきた。
「何か用?」
「あの……これからも、私と添い寝してくれませんか?」
緊張した面持ちで、人形姫はそう提案してきた。
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