能面井戸

 それから一ヶ月が立ってもお繁は一向に帰ってこず女将の神谷は、うまいこと足抜けしたのだと歯ぎしりしていた。それは別の意味もあり、何故か最近足抜けする遊女が後を立たない、少し目を話した隙きにパッと消えたり、用を足しに行ったきり戻ってこず行ってみれば姿形がないのだ。しかもそれは「萩本屋」だけではない。対立している「桔梗屋」からも行方不明者が多く出ており、お互いにあいつが攫ったのだとますます仲が悪くなっていく。

 そんな犬と猿のようなてんてこまいの中、長屋の方では住人が使用している、つるべ井戸が嵐によって崩れたので、大工によって二ヶ月にも渡る工事がやっと終わり、朝旦那と子供の飯をつくろうと女が井戸の縁にある木桶を中に落として、それではと水が入った木桶に結ぶ紐を思いっ切り引っ張って、それを別の木桶に移したときであった。

 これは違う。確かに井戸の水を汲んだはずだ。しかし何故だ?何故こんなにも赤いのか?女は何かを察して、気味悪く思いながら身震いをしながら恐る恐る井戸の中を覗いた時

「ギャー」

 この世でもない、初めて発した声を出した女は、白目を向いて、泡を吹いて失神して倒れてしまっま。

 それを聞きつけた長屋の住人が障子の中から顔を出して、何事かと思っている。女の旦那が妻の声を聞いて慌てて抱き上げ、

「どうした。お活しっかりせえ」

 軽くビンタをしたがなかなか起きなかったが、足元には井戸があるので、恐る恐る井戸の中を覗いた時

「ハッ」

 後ろへ腰を思いっきり落として、後退りをした。

 それを見たものがどんどん中を覗いたが、口を抑える者が多かった。

 井戸の底は深さ三メートルで水が墨のように黒く見えるが、点々とした日光がチラチラと照らしているが、その中心にありえない、能面がプッカリと浮かんでいるではないか。いや、目を凝らしてよく見てご覧なさい。

 浮かんでいるのは能面ではない。青白い本物の面がゆらゆらと揺れているではないか。しかも人間観察をしているのか、黒目が外へ出たがり、空を向いている。そして手足が生えた花柄赤ピンクの着物が次第に見えてきて、確実に人間が井戸の中に落ちている。

 それから岡っ引きが来たのはそれから、まもなくのことである。

 二人の男が下へ下へと降りて行き、死体を紐に巻き付けようとしたとき、何か足にコツンと当たったのだ、感触からして固い物。フイッと足の後ろを見ると、思わず石壁の方へぶつかった。

 自然の現象なのか、井戸の中は直接垂直になっておらず、井戸を建てた大工が石が余ってもったいないからと、底の方が逆T型になっており石壁には苔がびっしりと張り付いてしまっていたのだが、その間から男を覗いたのは、なんと白い骨や頭蓋骨がプカプカと浮き上がり、気づけば膝元一面なんとも気味悪く骨に囲まれていたのだ。

 のちに確認していくと、なんと一人分ではなく十二人のも頭蓋骨が発見されて、岡っ引きは悟った。今江戸には大量殺人を犯した鬼が紛れ込み、ゆうゆうと生活していることを。

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