ヨミユキ

道星毛糸

第1話

四番線ホームには自分以外に、背中の曲がった老人と、「すみません、すみません」とボヤいているスーツ姿の男性がいた。


ホームは殺風景で、待合室もない。

まぁ座るなら座れよ、といった感じに腰掛け椅子が、黄色い線の内側に無造作に並べられている。


自分は老人と隣り合って、その椅子に座り込み、ぼんやりと電車が来るのを待っていた。


……?


そもそも、なぜ電車が来るのを待っているのだっけ?


何も思い出せない。

顔を両手で覆い、深く考え込もうとするが、靄がかかったように頭が働かない。

自分は諦めて天を仰いだ。


ふと両手に意識が向く。

薄皮一枚でものすごくか細い、骨の形が浮き彫りになっているような、およそ健康的とは言い難い両手だった。


「病気かえ?」


唐突に隣の老人に話しかけられる。

その声音はとても嗄れていて、地鳴りのように耳に響いた。


驚いて視線をやると、老人はこちらに顔を向けていて、その表情が窺えた。

落ちくぼんだ瞳は白濁していて、焦点が定まっていない。

おどろおどろしい雰囲気だったが、不思議とまったく怖さは感じられなかった。


「可哀想にねぇ。まだ、お若いだろうにねぇ」


まごまごと口を動かし、言葉を紡ぐ老人。

可哀想……? 自分は首を傾げた。


「すみません、すみません。すみま、せん……。すみませんんんん」


自分達が座る椅子から、ほんの少しだけ離れた場所に佇んでいた男性の、一辺倒な発声が急に上擦った。


「あひゃ、ひゃひ。あひゃひゃ、あひゃひゃひゃひゃ!」


何事かと思えば、男性は首筋を掻きむしりながら狂ったように笑い始める。

すると目、鼻、耳、口。

顔面の穴という穴、至るところから溢れんばかりに血が垂れて、スーツを赤黒く染めていく。


自分はギョッとして、何も言えずに硬直する。


「可哀想にねぇ。可哀想に……」


老人は念仏を唱えるように、もうそれしか呟かなくなっていた。


やがてガタンゴトンと、遠方から電車のやって来る音がして、あっという間にホームへ車体が流れ込んでくる。


薄汚れた車窓に映った自分の姿を見た時、すべての記憶が鮮明に甦った。


“あ……。そうだ。自分は闘病生活を送ってて……”



● ● ●



停車した電車の扉が、プシューっという音をたて開き、四番線ホームの人間を迎え入れる。


しばらくすると、電車はゆっくりとした足取りで動き始めた。

あとには無機質なアナウンスが、車内に轟く。



『ご乗車ありがとうございます。この電車は、四号 黄泉行きです。お出口はありません』

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ヨミユキ 道星毛糸 @honhatomodati

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