四枚目



 異常を見つけたのは本棚の右、一番下の段です。

 並んだ本の出っ張りが左右で違うので抜き出してみると、右の棚だけ奥行きが浅いことがわかりました。覗き込むと奥にもう一枚、背板とは別の板がはめ込まれています。そのせいでこの段だけ、十センチほど棚が浅いのです。

「これですよ先生! きっと隠し金庫です!」

「金庫は入らないだろう、このサイズじゃ。

 うーん、アダプターなら入るか……?」

 興奮する私に、首をひねる先生。

「この本棚、メチャ昔に作ったって母ちゃん言ってたぞ。

 オレよりも年上だって」

「この段のことは、何か言ってました?」

「ううん。何にも」

 まあ、本当に隠し金庫なら、子供に教えないのは当然です。

 私はあらゆる角度から、本棚を調べ始めました。

 謎の板には釘が通っていません。押せば、わずかに動きます。

 日本には《からくり箱》といって、仕掛けを解かないと開けられない細工があるそうですが、これもその一種かもしれません。

 私と先生は本棚を押したり引いたり、思いつく限りのことを試しました。

 それでも板は開きません。まさか合言葉でもあるんでしょうか?

 万策尽きたその時、僚成くんのスマホが鳴りました。

「……母ちゃん、今から帰るって」

 時計を見れば、もう五時前。タイムリミットです。

 アダプターは、ついに見つかりませんでした。



「二人とも、今日はありがとな。

 アダプター、多分、母ちゃんが持ってったんだよ。

 あれだけ探して、見つかんないんだから。

 帰ってきたら、返してくれって土下座する。

 だからもう、気にすんなよ」 


 依頼人に慰められ、私たちはマンションを後にしました。

 血の一滴を落とした夕暮れの帰り道、二人とも無言でした。


 お母さんマムが持っている可能性、本当はわかっていたんです。

 ネットで調べた時、そんな話をたくさん見ました。バッグに入れて持ち歩いたり、仕事先に持ち込んだり。絶対に探せないやつです。

 それを何故、僚成くんに言えなかったのか。

「言ってもしょうがない」というのは、もちろんあります。

 でも、それだけじゃない。

 探偵のカン……いえ、探偵助手のカンで「それはない」と思ったんです。

 理由はわかりません。カンですから。

 とにかく、そのカンを信じて、私は調査に全力を尽くしました。

 だから、本棚で謎の板を見つけた時は「これだ!」と思い込んでしまった。   

 冷静に考えれば、あんなところに入るわけないのに。

 その結果が、これです。

 てんでダメ探偵……いえ、ダメ探偵助手です。あれ? 先生の悪口ぽい?


 あかね色の雲の下、ふいに先生が鼻をかみました。

「……まあ、こんな日もあるさ。

 世の中、解けない謎の方が多いんだから」

 いつもの無責任な台詞が、一周回って真理なのが悔しいです。

「先生は、本当にお母さんがアダプターを持ってると思いますか?」

「うーん、どうだろうねえ」

 その時、私の胸を、内から叩くものがありました。

 ダメの烙印を押されたはずの、探偵助手のカンです。

 この期に及んで、まだ「それはない」と叫んでいます。

 私も信じてあげたい。

 でも、それじゃあ、アダプターは一体どこへ?

 先生も私も、わかりません。

 わかるとすれば、この世でただ一人だけ。


「おっと、ティッシュが切れてしまった。

 ネピアくん、新しい箱を……」

 私の差し出した箱に、先生が目を丸くしました。

「ネピアくん、これは違う」

「違いませんよ。《鼻貴族》です。

 先生、本気の推理をお願いします」

「だが、こんな仕事でいいのかね?」

「前言撤回、失礼します。

 案件の大小を気にした私がおバカでした。

 謎を謎のままにするなんて、探偵の沽券こけんに関わります。

 先生……、《鼻貴族》解禁です!」 

「ああ、わかった」

 先生は、ゆっくりとうなずきました。


 先生は慢性の鼻炎持ちでっす。

 脳への酸素供給は鼻詰まりに妨げられ、本来の能力の半分も出せません。

 ですが、お値段五倍の高級ティッシュ《鼻貴族》を用いて本気で鼻を通せば、新鮮な風が脳内を吹き抜け、天才的な推理力を発揮します。

 ただし、その時間はわずか《一分》。

 一度使えば《一ヵ月》は使えない、伝家の宝刀なのです。

 皆さん、聞こえるでしょうか? 

 黄昏たそがれ時の空まで、高らかに届くサックス。先生が鼻をかむ音色が。

「──通った」

 宣言も厳かに。

 名探偵・花水木 啜──いまこそ降臨です。


「先生、アダプターの場所はわかりますか?」

「安心したまえ。

 アダプターは

 鼻の通った先生は、顔つきから違います。

 いつもは無害系中年ですが、今はダンディ系イケオジです。

「えと、どういう意味でしょう?」

「説明しよう。歩きながらがいい」

 先生は率先して歩き始めました。慌てて後を追いかけます。

 マンションへ後戻り……な方向ではありません。ということは。

「まさか! お母さんが持ってるんですか?」 

「いや、それはない」

 先生が断言した時、私がどれだけ嬉しかったか、おわかりでしょうか。

「少年の話から察するに、母親は子供相手でもフェアを通す性格だ。

 発見不能な場所に隠して賭けを持ちかけるアンフェアは有り得ない」

 そうか。そこが引っかかってたのか。

 さすが先生。私のカンを綺麗に分析されました。

「じゃあ、やっぱり本棚ですか?」

「それもない。理由は同じだ。

 仮にあれが隠し金庫であれ、子供には開けようがない。

 手軽さもなく、アダプター隠しのセオリーから外れる」

「ああっ、確かに!」

 隠し場所あるあるは、私が調べて来たのに。

 タイムリミットを気にしすぎて、そんなことも忘れていました。

「でもそれじゃ、どこにあるって……」

 言いかけた私は、気付きました。

 先生の足取りが、帰り道と変わらないことを。

 このまま進んでいけば、行先は、当然──


「気付いたようだな、ネピア。

 その通り──アダプターは、あの箱の中だ」 


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