第四章 61  宗教国メキアの堕落・混沌の時代への狼煙



 今は自ら堕天神となった女神アーシェタボロス。カーズの神話の知識や記憶にある、悪魔公爵アスタロトとして伝えられる彼女の伝承は酷いものだ。大公爵の称号に40以上の悪霊軍団の頂点に立ちドラゴンの様な地獄の猛獣に乗った、毒蛇を右腕に巻き付けている天使の姿のイメージではあるが、吐く息は悪臭を放ち凶悪で有害と伝えられている。


 このアスタロトのルーツは途轍もなく古い。古代メソポタミアでのイナルナと呼ばれる豊穣の女神を起源として、バビロニアではそれに加え戦争、性愛や金星を司る女神イシュタルとなり、パレスチナに伝わるとアスタルテとその名を変えられる。このアスタルテがアスタロトの名の起源。その後、彼女への女神信仰は地中海を渡り、アスタルテは美の女神アフロディーテと称されるまでになった。


 しかしキリスト教誕生後、禁欲的なキリスト教徒から見たイシュタルは野蛮かつ奔放で不埒、淫乱そのものの存在であり、結果悪魔とみなされることになる。更に淫蕩への罰で身体を男性へと変えられる屈辱を与えられ、奈落の底へ落とされたとも言われる。この男性体はパレスチナの伝承にある戦神アシュタルとされる説も存在するが真偽は定かではない。


 ともあれ人間による身勝手な信仰で当初は偉大な女神として祭り上げられながらも、挙句の果てには掌を返したかの如く貶められた伝承のアスタロトは悪魔の中でも特に強大な力を持った存在であり、強力な魔除けの護符タリスマンなどの触媒を用意しない限り、召喚は避けた方が懸命だと様々な魔導書に記載されている。何故なら、太古より伝わる彼もしくは彼女の、奈落よりも深い悲哀や地獄の業火の如き怨嗟の念に妄執。それら全てを只の矮小な人間如きが受け止める事など不可能なのだから……。








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 カーズ達が竜王の里でネビロスやその配下達と死闘を繰り広げ勝利した時、アルティミーシア、ティミスは西大陸ウエストラント中部、最西端の極寒の地、宗教国メキアの聖教本山クレモナにある、神鉄で建築された巨大な大聖堂の最上階へと侵入していた。


 人々の信仰は神にとっては大きな力の源。それはこの世界ニルヴァーナの唯一神であるアリアにとっても同じことだ。その為正義と公平を司るアストラリア教の生誕時に、大聖堂を始めとしたその建造物に神鉄を使い強固なものとしたのである。

 しかし神器の原料となる程強靭な神鉄は天上の鉱物。神の眼を以てしても透視することができない。この様な事態が起こるなど想定していなかった為、内部の様子が把握できないという事態にアリア自身も今ここに至って困惑することとなる。

 それに熱狂的な過激派アストラリア信者による、身勝手な正義の名の下に行われる凄惨な、罪人、罪の大小を問わない、に対する暴力的制裁なども各地で多発していた。

 その為アリアはもうずっとこの国から距離を置いていた。幸いなことに歴代の法王は誠実に教えを守ってきていたが、過激派との小競り合いは後を絶たないという情況が続いていたのだ。




 アリアが敬遠していたこの国にティミスが訪れたのには当然思惑があったからだ。最上階の広い法王の間の玉座に腰掛けているのはアリアと全く同じ見た目の女性。そしてその部屋には隷属の首輪を着けられた様々な種族の女性達、竜王の里の龍人族の女性達も含む多くの女性も連行されている。そんな無抵抗な女性達を嬲っているのは濁った目をした、法王も含めた上位神官達や本来信仰心の厚い信者達だ。性の臭いが立ち込める密閉された室内で、その女性は愉悦の表情を浮かべていた。


「あらあらアリアったら、まさか唯一神様がこんなことをしてるなんてね。あまりいい趣味じゃないわよ」


「フッ…フフフッ、こんなのはここに立ち入るための単なる変化トランス・フォームの魔法よ。わかっててそんな質問するなんて、あなたも大概だと思うけど? ねえ、ティミス? まさかあなた、たった一人で天界特別指令オーダーに応じてわざわざ月からこの私を討ちに来たのかしら?」


「神としての使命という本来の意味ならね。でもこの神鉄でできた大聖堂内は誰の目にも映らない。どう動こうが私の勝手よ。それにしても、派手なことをしてるわねアーシェス。いいえ、今は堕天神アシュタルトディーテとでも呼ぶべきかしらね?」


 アリアの姿から本来の姿へと戻るアーシェス。しかし且つて天界で会ったときとは別人の様に変化した彼女が放つ神気に、ティミスは一瞬驚いた顔をした。


「アハハ、素敵な皮肉だこと! 他次元の世界の神話、信仰の影響で私は悪魔の如き存在へと貶められたわ。天界ではずっと耐えてきたけど、堕天してからはその捻じ曲がった伝承の力が流れ込んで来て、美しくも忌々しい姿へと変化してしまったのよ。ファーレにバルゼもそう。フフッ、でもあなたには今の私の本当の姿を見せてあげるわ」


 抑え込んでいた闇の神力を解放しようとするアーシェス。


「ちょっと待って、この建物内の人族に見られても大丈夫なの?」


「あらティミス、私がそんな下らないミスをするとでも? この子達には私がアリアにしか見えない様に強力な魅了をかけているわ。魔眼の出力最大で、もう本能以外何もわからない程強力にね。唯一神様の言葉に逆らう者などいない。それがこの世界ニルヴァーナの禁忌の奴隷制度であったとしてもね!」


 カッ!! ピシピシッ、パキィーン!!


 抑え付けて来た真の姿を窮屈な殻を破る様に解放し、ティミスの眼前に晒す。黒く肩までの長さだった髪の毛は銀と紫の混じり合った色合いに変化して足首近くにまで伸び、両側頭部からは上向きに伸びた二本の立体的な縞模様が施された黄金の角。背中から生えた悪魔の如き六対の翼は黒く輝き、緑色に光る闇の魔法文字ルーンが刻まれている。

 天界で身に纏っていた、まるで古代ギリシャ装束の衣服が、体の側面を覆う露出の多い妖艶な黒いローブにビキニの様な衣装に変化している。両脚は太腿までを覆う黒に黄色のデザインのヒールの高いブーツとソックスが組み合わさったとでも言うべきな、形容し難いものを穿いている。白く長い脚線美を見せつけるかの装備。両腕も同様。恐らくこれらが今の彼女の神衣カムイ、いや魔神衣ディアーボリスなのだろう。

 怪しく橙色に輝く魔眼を有する瞳からは絶えず闇の魔力が溢れ出ている。彼女自身も制御する気がないのだろう。そして全身から滲み出る異常なまでの妖艶で艶やかなオーラとでも言うべき異様な黒い負の神気。

 更に左肩上の宙に浮いているエメラルドの輝きを放つ華美な装飾の球体スフィア。あれが魔神器となった且つての神器、アマウシュムガルアンナ偉大なる天上の龍。長いのでアシュガランナと呼んでいるが、あれはただの球状の武器ではない。シタとミトゥムとよばれる二人の武器を持った少女へと変化する恐るべき魔神器。シタは自らの体よりも巨大な両刃の戦斧バトル・アクスを振り回す怪力で残忍な、人族で言うところの十代前半の幼女に見える少女。ミトゥムは極大魔法を苦も無く連発できる程の魔力を持った杖を扱うシタよりも大人びた少女だ。

 加えて、その二人に戦わせるだけでなく、アーシェス自身もアシュガランナをあらゆる形状へと変化させて闘うことができる、軍神に並ぶとも劣らない程の恐るべき存在である。魔神器となった今、その力がどれ程のものとなったのか想像もつかない。そんなアーシェスと闘うということは即ち3対1で闘うのと同義である。

 彼女は天界にいた頃から他の世界の歪んだ悪神信仰の因果に苦しんでいた。神という存在に悩んでいた彼女は、堕天したことで皮肉にもその能力が逆に強力になった。ゼニウスの結界術で力の大半を吸われたはずだが、彼女を含めたファーレ達三人は他の世界の信仰の影響で、寧ろ堕天した方が大きな力を手に入れることができたという結果となってしまったのだ。これは大神であるゼニウスにとっても大きな誤算だっただろう。


「はあ…、まさかそれなりに仲良くして来たあなたと闘う理由なんて、少なくとも私にはないわ。ファーレにバルゼも含めてね。それに3対1で闘うみたいな馬鹿な真似をする程愚かではないわよ。あなたのアシュガランナの強力さは知っているもの。ただアリアがメキアを視れないと危惧してたからね、表向きは協力する振りをして様子を見に来てあげたのよ。あのジジイにあからさまに逆らって私の実験場を取り上げられたくないもの。でもあなたがこんなに派手なことをやってるなんてね。メキアは全世界を敵に回すわよ? ちょっとやり過ぎじゃない? 別に反対する気もないけど。それにもう少ししたらここに来るわよ、あの子達。私は巻き込まれるのもゴメンだし、他の地域の調査という名目で不干渉とさせてもらうけど」


「あら? 私はあなたとも一度本気で闘ってみたいと思ってたけど。残念ね、弓に剣の名手のあなたと。シタとミトゥム程度じゃあなたの弓の速度には追いつくこともできないでしょうに。フフッ、でもこの惨状を目にしたらアリアはどんな顔をするでしょうね? まあ…、ここに来れたらの話だけどね」


 ニヤニヤと不敵な嗤い顔をするアーシェス。


「へえ、どういう意味かしら?」


「次期竜王の解放に第一迷宮に向かうつもりなんでしょう? 遊び半分でけしかけたサタナキアもネビロスも消されたようだけど、所詮無知で驕り高ぶった悪魔なんてその程度ね。でも魔王復活の為の負の感情は、もう既に充分過ぎる程集まっているのよ。今もここで世界中から集めた奴隷共を嬲って増大させてるけど、それらは全てバルゼに送ってるのよ。大迷宮で何が起きるか…、アハハハッ、楽しみにしておくといいわティミス。ファーレは特異点のカーズ? あの綺麗な子に致命傷を負わされて暫くは行動不能だけど、彼女の計画通りに色々と進んでいるわ。退屈な天界で自分の存在意義に苦しんできたけど、これからは私を貶めた別世界の人類共にも苦痛を与えられる…。こんなに楽しくて甘美なものだったとはね。ねえティミス、あなたはどちらかと言えばこちら側でしょ? さっさと堕天したらいいのに」


「さっきも言ったけど、あのジジイに目を付けられるのは何かと困るのよ。月で好き勝手出来なくなるし、月闘士ルナソルジャー達を失うのも痛手。だから私は中立よ。でもちゃんと育てた特異点、アガーシヤも連れて来てあげたのよ。今はアリア達と一緒にいるけどね。最強だと思ってたけど、あのカーズという特異点は予想外だったわ。ファーレがやられるなんて信じ難いけど…、油断しない方がいいわよ」


「そう、それはありがたく利用させてもらうわよ。こっちは漸く創り出した特異点、ナギストリアが封神結界のせいで役立たずになってね。まああんなのでも互いの遺伝子を交配させたら面白いことが起きるかも知れないし…、楽しくなってきたわ…」


 クックックと喉を鳴らし嗤うアーシェス。


「…殺さないなら好きにしてもいいわ。まだ精魂計画は続けていくつもりだしね。ああそう、それより聖女勇者は何処? 一応疑われないように多少の情報は持ち帰らないとね。アリアの厄介な権能で怪しまれるのは面倒だし、教えて貰えるかしら?」


 その問いに答える様に、玉座の右斜め後ろへ振り返るアーシェス。


「あの子ならそこにいるわよ。生意気にも歯向かって来たから半殺しにして十字架に吊るしてあるわ。聖剣も取り上げたかったけど、忌々しいことに神格の中に封じてあるのよ。さすがに殺す訳にはいかないから、召喚した触手系の魔物に死なない程度に甚振いたぶらせてるのよね」


 ティミスがそちらを見ると、宙に浮いた瘴気で造られているかの黒い十字架に、傷だらけで意識を失っている水色のロングストレートヘア、青く銀色に輝く鎧を纏った少女。聖女勇者とアリアが言っている、その10代半ば程の女の子が多数の触手を生やしたスライムの様な魔物に巻き付かれていた。あれは…神格から漏れ出た生命エネルギーを吸っているのか……? やはり…この女のやることは趣味が悪い……。


「…アレがそうなのね…? そう、じゃあ一応の情報は手に入ったし、私はここらでお暇させて頂くわ。それにファーレにも会いたいんだけど、彼女は何処にいるの?」


 さっさと退散しよう。この部屋には品性の欠片もない。狩猟と貞潔を司る出産の守護神の面も持ち、妊婦達の守護神としても地母神であるとも考えられ、子供の守護神とも称えられる自分にとっては最悪の空間だ。そんな自分の表情から内面を見透かしたかの様な顔をしてアーシェスが答える。


「彼女なら魔王領の最奥、魔王城の玉座の後ろ階段を降りたところにある休眠装置の中よ。この世界ニルヴァーナでは明らかなオーバーテクノロジーだけど、あそこは通常の人類には立ち入ることも難しい超危険地域。天界の目も届きはしない。人類共通の敵として祭られた、ある意味こことは対極に当たる場所。薄いけど神鉄の建造物もあるしね。一応念話飛ばしてからのがいいんじゃない? あー、でもゼニウスに探知されちゃうかもね。さすがに裁きの雷ジャッジメント・ヘヴンズフォールを撃たれたら一溜まりもないでしょうし…。どうせ寝てるだけだから、直接行ってあげたらどう?」


「…そうね、アリア達と会ってから向かうとするわ。大丈夫だとは思うけど、あんまり派手にやり過ぎないようにね。私も神界特別指令オーダーにはいつまでもあからさまに逆らえないんだから。あなた達とは闘いたくもないし、気を付けなさいよ。じゃあねアーシェス」


 

 そう言い残し、ティミスは歩いて建物を出て、アリア達のいる竜王の里へと転移した。



「フッ…、ハハハッ…、やり過ぎないで、か…。天界を抜けた時点で今更だけどね。まあコウモリ女のあなたも上手く使ってあげるわ。いつまでも陰でいい子ちゃんぶれるとは思わないことね、ティミス。さあ、神官に信者達よ、もっともっと奴隷たちを甚振って嬲って、凌辱してやりなさい! 法王、あなたは奴隷制度がアストラリアの名の下に承認されたと全世界に宣言なさい! その混乱と負の感情で、世界を満たしてやるのよ! アーッハハハハハッ!!!」





 これで更にこの世界に満たされる負の感情により、地の底で眠っている魔神達も目覚めることになる。混沌の時代の幕開けに相応しい狼煙だ。性のえた臭いのするメキアの大聖堂、最上階の法王の間で一人の堕天神と奴隷達、強制的に魔眼で操られた者達の悲痛な叫び声がいつまでも響き渡っていた。





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悪役はどうしても必要ですけど、そいつらの行動を書くのはきついですね。

かなり濁した表現にはしましたが・・・本当は奴隷制度とか大嫌いなんだよー!!!

次回はカーズ達の物語に戻りますね。

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