第5話 ザ・リペアマン

 音の原因を確かめるべく、ジュリ先輩と私は部屋を飛び出した。


 ジュリ先輩の後ろに続いて階段を素早く駆け降りる。用心のために、と部屋を出る直前にシューズボックスの上からさらった対アンドロイド用ハンドガンを、ジュリ先輩は右手の中でぐっと握りなおした。二度目の放電音は聞こえないが、慣れない状況に私はわずかに緊張していた。


 1階と2階をつなぐ踊り場まで下りてくると、階段の中腹でこちらに背を向けたセナ先輩が立ち尽くしているのが見えて、思わず立ち止まった。


「セナ! どうしたの、何があったの?」とジュリ先輩は少し声を荒げた。


 セナ先輩は振り返り、駆け降りていくジュリ先輩を目で追った。セナ先輩の表情は普段と変わらずいたって冷静であり、ケガなどをしている様子もなかった。


「私はどうもしていないし、何もない……が、ユイカ」


 顔を向けもせずに名前を唐突に呼ばれ、「は、はい」と、鼓動を跳ねさせながら返事をした。


「彼女たちを修理してくれるか?」


 そう言ってセナ先輩は玄関ドアの方を指さした。黒くてつるつるした玄関ドアの下の方、エウロパと、見たことはないが恐らくエウロパと同じタイプの少女型アンドロイドが倒れていた。エウロパはドアにもたれかかるように倒れているそのアンドロイドに、後ろから首のあたりを抱きしめられているようだった。


 その光景に思考がホワイトアウトし、心臓が早く大きく冷え切った血液を全身に巡らせた。機能停止状態にあるアンドロイドを見るのは、なにも初めてではない。ゼミ室にはパーツごとにバラしたアンドロイドが常に置いてあるし、教授が外傷を修理するところを見学したこともある。しかしそこに倒れているもののうちの1体は、今まで見てきた名前も知らないアンドロイドとは違う、「エウロパ」なのだ。


「何が……どうして……」


 浅い息に混じって無意識のうちに呟いていた自分の声があまりに頼りない。冷静にならなければ、と呼吸を整えた。


「原因はわかっていますか? 今日は応急用程度の道具しか持っていなくて……」


「ああ」とセナ先輩は軽くうなずいた。「後ろのは私がスタンガンを撃っただけだから、落下時に外傷ができていなければスタンの解除だけだ。でもエウロパに関してはわからない。私が下りてきたときにはすでにあの状態だった」


「……わかりました、ありがとうございます。では、道具を取ってきます」


 私は少し駆け足で階段を上った。同時に、ジュリ先輩とセナ先輩が階段を下りてどこかの部屋のドアを開閉する音を聞いた。


 ジュリ先輩の部屋まで道具の入ったカバンを取りに行き、アンドロイドのもとに戻ったころには少し息が上がっていた。運動不足の体にはいい刺激になった。2人はエウロパの部屋に入ったらしく、内容までは聞き取れないが、セナ先輩が何かをしきりに話していた。


 その声を聴きながら、私は修理にとりかかる。アンドロイドは人間と違い、時間がたてば直らなくなる、ということはない。まずは後ろのアンドロイドから修理することにした。


 スタンの解除は単純だ。特定のスイッチを1つ押すだけだ。エウロパを抱かせたままそのアンドロイドをドアから離し、背中が見えるようにさらさらしたピンク色の髪を肩より前に流した。襟もとのホックを外し、ジッパーを途中まで下ろす。薄い肌色の、金属質な背中があらわになる。人間で言うところの首の下、肩甲骨の間あたりに留められたネジをドライバーで外す。その内側には繊細で複雑な機械が詰まっている。素手で触れるわけにはいかないので、金属の細い棒のようなものを狙いを定めてそっと中に入れる。先端からスイッチに触れた感覚が伝わり、ぐっと押し込んだ。カチリ、と小さな音を立ててスイッチが入り、スタンを解除した。棒を取り出してネジを留め、アンドロイドの着衣を整える。電源を入れることは後回しにして、エウロパの修理に移る。


 電子パッドを取り出し、診断しやすいようにアンドロイドから引き離して再びドアにもたせかけた。エウロパの背中を見ると、想定外の光景に息をのんだ。4センチ四方程度、ボディごと切り取られていた。切り口を見るとレーザーカッターが使用されたようだった。動揺を努力して抑えつけながら電子パッドをかざして内側を確認する。どうやら異常はないようだ。私は安堵して、制服のジャケットを脱いでエウロパの背中にかけてやった。ただ穴が開いているだけとはいえ、あまり見たくない。


 私はエウロパの正面に回り、口の中に指を突っ込んで電源を入れた。エウロパの体内がうなりを上げ、ゆっくりと瞼を開いた。当然だが、エウロパは問題なく起動したのだ。


「ユイカさん、どうかなさいましたか?」エウロパはいつもと変わらない調子で少女の音声を出した。「抱きしめるのならもっと柔らかいものを選択することをお勧めします」


 背中に回していた腕を解いて、私は彼女を解放した。鮮やかなエメラルドグリーンの目を見て、正常に動いている、と心臓が温かい何かに掴まれたような感じがした。


「目が赤いですよ、今アレルギー用の目薬を――」


「いや、いいよ。花粉症だけど花粉は関係ない」もう一度エウロパを抱きしめた。「ああ、温かい……」


「先ほど起動したばかりですので、外気との温度差は1度もありませんよ」


 すれ違い続ける会話に思わずふふっ、と笑った。拒絶されないのを良いことに、腕の力を強くした。こんなこと、人間が相手なら絶対にしない。


 だんだんと上がっていくエウロパの温度を感じていると、エウロパがそっと私の背中に腕を回した。驚いて顔を上げると、エウロパは口角をわずかに上げた。


「ユイカさんがしているので、私もしてみました」


 エウロパにどのような意図があるのか――あるいは意図そのものがあるのかも――わからないが、正確さを求めて深く考えることはやめ、私は自分勝手な仮説をひとまずの結論とすることにした。


 私が強く想えばエウロパはそれに呼応する。つまり、彼女の心は私の心を反映しているのだ。

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