十五話

 木の陰から、あたしは息を呑んでティルの後ろ姿を見守る。がさがさと音を立てて雑草を踏み越える人影にブリス達が気付かないわけはない。焚き火に当たってた三人はすぐにティルを見つけて立ち上がった。


「何だ、てめえは」


 仲間の男は警戒の表情でそう言うと、腰の手斧を構えてブリスをかばうように前へ出てきた。


「ブリス・ガルト、聞きたいことがある」


 ティルが名前を呼ぶと、三人の表情が一斉に険しくなった。ただの通りすがりや迷い人じゃないってわかったんだろう。


「……ほお、俺を知ってるのか」


 ブリスは腕を組んで、余裕を見せるように笑った。


「だが礼儀は知らないようだな。人に何かたずねるなら、まずはてめえが何者か言ったらどうだ」


 悪党が礼儀なんか言うなんて……でもこんなこと言うのはティルを警戒すべき相手だって思ったからだろう。


「ティルフォード・クレマジー。以前は警察隊にいた」


「警察隊だと?」


 三人の中に緊張が走ったのが見えた。やつらにとっては一番邪魔な存在だからな。


「まさか、たった一人で俺達を捕まえにきたとかいう気か?」


 仲間の男と女が臨戦態勢でティルを睨んでる。


「聞き間違えるな。警察隊にいたのは昔で、今は何の関係も持たない」


「ふんっ、どうだかな。騙してねえとは言い切れねえだろ」


 男は手斧を軽く振って、今にも襲いかかりそうな素振りを見せてるけど、ティルはまったく動じずに続ける。


「ブリス、俺に見覚えはないか」


「はん? 警察隊の犬の面なんざ、飽きるほど見てきたからな……」


「じゃあ、これはどうだ」


 そう言うとティルは羽織ってたマントを脱ぎ捨てた。その動きでシャツの右袖がゆらりと大きく揺れた。


「……それが何だ」


「これはお前達に襲われて失った。同時に恋人も」


「ふうん、どこで」


「都に近い湖のほとりだ」


「湖ねえ……」


 顎に手を当てて考えるブリスは、次の瞬間、はっと口を開けた。


「ああ! 思い出したぞ。てめえら犬どもを始末して回ってた頃だな。確かのんきに女といちゃついてるやつを切って、逃がしたんだったか。あの後、他のやつに捜させたが、結局見つからなかった……へえ、その時の死にぞこないか、てめえは」


 ブリスはしっかり憶えてた。ティルの腕を切ったことを……。


「しぶとく生きてたのか」


 にやつきながら前に立つ仲間の男の肩を引いて下がらせたブリスは、そのままティルの前まで進んで近付いた。


「ここに来たのは、その復讐か?」


「違う。聞きたいことがあるだけだ」


「何を聞きたい」


 ティルはブリスの目を真っすぐ見つめて言った。


「お前に殺された、恋人のローズの遺体はどこだ」


「遺体? それが聞きたいことなのか?」


「俺には大事なことだ。どこにやった」


 ブリスは仲間と顔を見合わせる。その仲間二人も肩をすくめた。


「さあな。そんなことまでは知らない。後ろの二人も最近来たからな」


「お前達は金になるなら、あらゆるものを売っている。死体さえもな」


「さすが、よく知ってるようだな。……ああ、確かに死体を金にしたこともある。ちょうど欲しがってたやつがいてね。だがてめえが思うほど数は多かない。そのローズっていう女も売った覚えはないな。まあ、装飾品なんかは貰ったかもしれないが」


 命を奪っておいて、まるで悪気のない口調……懲りない悪人に怒っても仕方ないけど、本当ふてぶてしいやつだ。


「遺体は放置したというのか」


「俺は関与してないってだけだ。もしかしたら仲間が運んだかもしれないし、死体泥棒が現れたのかもしれない。もしくは餌を探してた狼に食われたのかも……」


 ブリスはずっとにやついてる。余裕ぶりたいんだろうけど、でも言ってることは本当なのか嘘なのか……。


「湖のほとりには骨どころか、髪の毛一本も残っていなかった」


「じゃあ誰かが運んだんだろ。それか、狼が骨まで食っちまったんだろうな。てめえの恋人はクソに変わって、今頃どっかの肥料だ」


 あざけるブリスに思わず拳を握ってしまう。死者を愚弄する様はへどが出る。あたしなんかよりティルのほうがそう思ってるはずだけど、さすがだ。ティルは表情も変えずに冷静さを保ってる。


「……真実を言え」


「言ってるよ。俺は何も知らない。死んだ女に構ってるほど暇じゃないからな」


「言う気にさせてもいいんだぞ」


 これにブリスの口の端が大きく上がった。


「相当な自信があるようだな。俺達三人を大人しくさせられるって? 望むところだ。どうせてめえは帰さないつもりだったしな。この場所をチクられたら大変だ」


 にやついてたブリスは腰の剣を引き抜くと、表情を険しく変えた。後ろに控える二人も武器を構える。……ど、どうしよう。戦いが始まっちゃう。三対一なんて勝てっこない。ティルも腰のダガーを静かに引き抜いて構えた。戦って、意地でも遺体の行方を聞き出すつもりだ。でも無理だよ。武器を持った三人じゃ、いくらティルが強くても不利。状況が悪すぎる!


「てめえの武器はそれか? 笑えるな。そんなんで俺に復讐できるのか?」


「復讐じゃない。素直に答えれば追いはしない」


「こいつ勝つ気でいやがる。純粋な馬鹿はこれだから面倒だ……おい、相手してやれよ」


 言われた二人がティルに近付いてく。男は手斧を、女は少し下がったところでナイフを構えてる。男はともかく、女はあんな小さいナイフでどうやって戦おうって――違う。あれは投げナイフだ。直接切り付ける武器じゃない。よく見れば女のベルトには同じナイフがいくつも差し込まれてる。距離を保って攻撃する気か。


 そう気付いた直後、女はティルに向けてナイフを投げ付けた。でもティルはひらりと避ける。


「おりゃ!」


 間髪入れず男が襲いかかった。ティルは攻撃の動きに移れなかったのか、もう一度身をかわすしかない。それを読んでたかのように、女はまたナイフを投げた。それをぎりぎりで避けたティルだけど、息つく間もなく男の手斧が向かってくる――盗賊のくせに、戦いの連係が上手い。これじゃいつティルが切られてもおかしくは――


「うっ……!」


 ティルが表情を歪めたのを見て、あたしは自分の口を塞いで声を押し止めた。ティルの足にナイフが刺さった! 傷口から流れる血がズボンを染めてく……だけど、それでもティルの動きは鈍らなかった。手斧の男に対してダガーで必死に応戦しようとしてる。でもやっぱ武器の重さと威力が違い過ぎる。片腕だけじゃ男の攻撃は受け切れない。それを女は隙を探すように構えて見てる――またナイフが刺さったら、ティルもさすがに動けなくなるかもしれない。そうなったらもう……。


 あたしは震えそうな足でゆっくり立ち上がって女を見据えた。あの邪魔な女をどうにかしないと、ティルはもっと窮地に陥る。その前に、あたしが……でも怖い。戦うことより、女に近付くのが恐ろしい。深く染みついた恐怖心はどうしたって消えてくれない。女を意識すると反射的に身体が強張る。だけど、傍観してるわけにはいかないんだ。今ティルを助けられるのはあたししかいないんだから。女が怖いとか言ってる場合じゃない。それよりもっと怖いことが起きる前に、動くんだ。自分の中の恐怖を乗り越えて、ティルを……。


 女がまたナイフを投げようとしてる――それを見た瞬間に、あたしは木の陰から飛び出した。心臓がバクバク鳴ってる。息が上手く吸えない。でも目は瞑るな。邪魔な女を殴り倒すんだ。女なんか怖くない……!


「うおおおお!」


 雄たけびを上げて突っ込んだあたしに女が振り向く。その目は不意を突かれた驚きで大きく見開いてた。


「誰……はうっ」


 女がナイフを振る前に、あたしはその胸に体当たりした。手のナイフを落としながら、女は勢いよく地面に倒れた。すかさずその上にまたがったあたしは、両腕を押さえ込んで驚く顔を見下ろした。


「何なの、あんた……」


 強張る手を無理矢理動かして、あたしは女の顔を殴った。弾かれた顔はすぐこっちを向いて睨み付けてくる。


「……っ何するのさ!」


 そう言うと女はあたしの手を振り払って髪をつかんできた。


「うるさい……邪魔なんだよ!」


 髪を引っ張られる頭で頭突きをした。ゴツ、と鈍い音と痛みが走ったけど、痛みは女のほうがあったようだ。あたしの髪から手を放すと、額を押さえて苦悶の表情を浮かべる。


「てめえ、仲間を……!」


 声に振り向けば、戦ってる男がこっちを見てた。完全にあたしに気がそれてる――次にはティルのダガーが閃いた。刃は男の腕を切り付けて手斧を落とさせた。やった! これで形勢逆転に――


「よそ見してんじゃないよ!」


 気がそれてたのはあたしも同じだった。痛みから立ち直った女は肩をつかんでくると、身体をごろんと押して、逆にあたしの腹にまたがってきた。


「邪魔なのはあんたのほうだろ」


 女は腰からナイフを取って、殺意の眼差しでこっちを見下ろしてくる――ひいっ、や、やめて!


「エドナ!」


 ティルが呼んだ。ちらと見れば、手斧の男は地面でぐったり倒れてた。よかった。勝てたんだ。


「今助け――」


「おっと、俺を無視するなよ。使えないやつの代わりに相手をしないとな」


 ティルの前にブリスが立ち塞がった。剣を構えて余裕の笑みを浮かべてる。腕に自信でもあるのか。でもティルにとってはまた厳しい戦いを強いられる。傷を負った身じゃ長くは――


 シュッと風を切る音が間近でして、あたしは反射的に頭を動かした。頬の辺りにチリチリとした痛みを感じる。


「その顔、ずたずたにしてやるよ!」


 女の狂気めいた表情に押さえ付けられながら、あたしの顔にナイフが向かってくる。ティルに頼るな。あたしがティルを助けるんだ。だからこんなやつに負けるわけにはいかない――両手で攻撃を受けながら、あたしはナイフを振る手を強引につかみにいった。


「放、せ……」


 女は左手であたしの首を押さえて振り解こうとする。手が離れたら、この顔はずたずたにされる。でもこのまま首を押さえ続けられても窒息しそうだ。この状況、どうやって抜け出せば……。離れたところからはティルとブリスが戦ってる音がする。地面を蹴る音、武器同士がこすれる音。女から目が離せない今は気配だけを感じるしかない。ティルを助けに行かなきゃ。


「いい加減、に、しろ……!」


 女は目を吊り上げてあたしの首をさらに強く押してきた。息ができない。く、苦しい――視界の光が妙な色に変わってくのを見ながら、あたしは片腕で女を叩いたり、地面を引っかいたり、ただもがくことしかできなかった。もう、駄目だ。意識が消される……。


 そんなわずかな意識の中で、もがいてた手に硬い何かが当たった。あたしはそれを迷うことなくつかんで、最後の反撃として女の頭目がけて振り上げた。


「うぐっ――」


 いい具合に食らったのか、女の身体がよろめく。この隙を見逃すわけにはいかない。あたしはもう一発食らわせた。ガンっと手応えがあった直後、女はまたがってたあたしの上からずり落ちた。


「女なんか……もう、怖くないんだ……!」


 くらくらする頭のまま、あたしはつかんでる石を女の顔面目がけて振り下ろした。ゴン、と嫌な音が響いて、女はぽとりとナイフを落とした。酸欠だった頭が次第に明瞭になってくると、顔から血を流す女をぼんやりと見下ろした。


「まさか、死んでない、よね……?」


 軽く肩を揺らしてみると、女の口から小さなうめき声が漏れた。殺してはない。でも邪魔者は排除できた。あたしは女の恐怖に打ち勝ったんだ。やっとこれで安心――してる場合じゃない。ティルはブリスと戦ってる最中のはず。今はどうなってるのかと、あたしは達成感に浸る間もなく、すぐに立ち上がって振り向いた。


「……ティル!」


 予想通り、ティルは劣勢を強いられてた。ブリスの剣に片腕だけのダガーで対抗するのは難しすぎる。攻める間はなく、どんどん押されてく。あたしはどうしたら……。


「エドナ、来るな!」


 苦しむ顔がこっちを見やる。


「だけど、このままじゃ――」


「追い詰められてるのに仲間の心配か? まだ余裕があるんだな」


 ブリスは剣を大きく振ってティルを下がらせると、すかさず間合いを詰めて切り込んだ。


「危ない!」


 思わず目をそむけそうになる。でもティルは木に追い詰められても、ブリスの剣をぎりぎりダガーで受け止めてた。鍔迫り合いをするような形で、二人はお互いを睨み合う。


「遺体を、どこへやった……」


「しつこいやつだな……だから狼の腹ん中だろ。てめえも殺して、狼に食わせてやるよ!」


 ブリスがダガーを弾こうと剣を動かそうとする。それを必死に防ごうとしてるティルだけど、その時、視線がブリスの手元に留まって、その青い目が大きく見開かれた。


「貴様、その、指輪は……」


「指輪? ……ああ、そういえば忘れてたな。これはてめえの女から貰ったもんだったか」


 剣を握るブリスの左手の小指……そこには銀色の指輪がはめられてる。こいつ、ティルの恋人から盗った指輪をずっと付けてるっていうの?


「大した値にはならなそうだったが、表面の細工が凝ってたから、気に入った女にでもやろうかってずっとはめてた。……欲しいか?」


「それは、ローズの物だ……」


「死んだんだから、持ち主はいない。今は俺の物だ」


 にやりと笑うブリスに、ティルの表情が一変した。


「今すぐ……返せ!」


 身体ごと剣を弾き返したティルは、ダガーを振り回してブリスに切りかかってく――今まで冷静だったのに、指輪に気付いて感情が爆発したみたいだ。攻撃も雑で隙だらけになってる。こんなんじゃ切ってくださいって言ってるようなもんだよ。


「ティル、抑えて!」


 叫んでみたけど、視界にはブリスしか入ってないみたいで、あたしの声はまるで届いてない。怒りに任せて冷静さをなくしたら自滅しかなくなる。どうにかしないと……。


「暴れろ、暴れろ! それで俺を殺してみろ!」


 ブリスは笑いながら攻撃を避けてる。あんなに簡単に避けられて……駄目だ。反撃されたら――そう思った瞬間、ブリスの剣がティルの腹を横薙ぎに切った。あたしは息が止まって動けなくなった。ティル……!


「ちょっと浅かったか……次は内臓えぐり出してやるよ」


 身体を曲げて腹を押さえたティルは、ブリスを鋭く睨み付けてる。シャツは血で汚れてるけど、思ったほど出血は多くない。本当に浅かったようだ。でも次はこうはいかない。ブリスは殺しに来る。助けなきゃ。ティルはあたしが殺させない……!


 周囲を見回して武器になるようなものを探した。殴り倒した女のナイフもあったけど、これじゃ小さすぎて歯が立ちそうにない。もう少し大きくて長いものなら――あたしはテントを支える木の棒を取った。切れはしないけど、距離を取って突いて殴ることはできる。これならあたしでも戦える。


「死にぞこないはさっさと死なないとな!」


 ブリスが剣を振り上げようとする――これ以上ティルを傷付けさせるか!


「やああ!」


 あたしは駆けてって、ブリス目がけて棒を振った。それを見てブリスは一瞬目を丸くしたけど、すぐに笑みを浮かべて後ずさった。


「おいおい、そんな棒で俺とやる気か?」


「うるさい! 残ってんのはあんただけだ」


「それがどうした。数で勝てば俺に勝てるっていうのか? 死にぞこないの犬と、棒を振り回すだけの女が、人殺しに慣れた俺に」


「エドナ、下がっていろ」


 腹を赤く染めたティルがダガーを構えて言った。


「悪いけど無理だから。ティルはあたしが守る」


 そう言うとブリスは大げさな笑い声を上げた。


「かっはっはっ……よかったな。この頼りない女が守ってくれるそうだ」


「遺体はどこなのさ」


 聞くとブリスはじろりとこっちを見た。


「遺体、遺体って、死んだやつなんかどうでもいいだろ。俺は知ったこっちゃねえ――」


 話し終えないうちにティルのダガーがブリスを狙った。傷の痛みを感じさせない動きで詰め寄ってく。あたしも加勢を――ブリスの動きを制限するように、あたしは棒を振って攻撃した。でもブリスは巧みに動き回って避けてく。ちょこまかと素早いやつめ。


「ふんっ、ただ疲れるだけの、つまんない戦いだ。もっと楽しくしようぜ……」


 その瞬間、剣があたしに向かってきたと思うと、目の前で閃いた。あたしは咄嗟に棒を突き出したけど、冷たい風と共に棒はすぱっと真っ二つに切られた。ぶ、武器が――そんな動揺で止まってしまったあたしを、ブリスは回り込んだ後ろからつかんできた。左腕を首に回して、あたしを盾にするようにティルと対峙した。


「へへっ、捕まえてやったぞ。これでちょっとは楽しくなりそうだ」


「は、放せ……ぐっ!」


 抜け出そうともがくと、首に回った腕が喉を圧迫してきた。……っく、これじゃまたティルの足手まといじゃないか。


「さあ、どうする? まだ俺に刃を向けるか? 向けて、こいつが血だらけになるのを観賞したいか?」


 ティルはあたしとブリスを交互に見てる。その顔には困惑がある。あたしのせいだ。助けるつもりがこんなことに……。


「……そうか。こいつはどうでもいいか。ならまずは耳から削いで――」


「待て。……彼女を傷付けるな」


 ティルは構えたダガーをゆっくり下ろした。


「俺の言うことを聞くのか? いいねえ。じゃあ聞いてもらおう」


 こいつ、何を言う気?


「そのダガーで、腹の傷をえぐってみろ。きっと死ぬほど痛いぜ。それでそのまま死んでくれ。そうすりゃこいつは放してやる」


 ……頭おかしいの? 自殺しろっていうの?


「どうしても痛くて死にきれないなら、俺がとどめを刺してやってもいい。それぐらいの優しさは見せてやるよ」


「……俺が死ねば、彼女を放すのか」


 聞き返したティルに思わず叫んだ。


「話に乗らないで! こんなの嘘だ! ティルが死んだら――うぐ!」


 また首が絞まって、あたしの声はさえぎられた。


「黙ってろ。へし折っちまうぞ。……やることは簡単だ。どうする?」


「一つ条件がある」


「ああ? 何言ってんだてめえ。条件付ける立場だと思ってんのか」


「指輪を返せ。それはローズの物だ」


 あたしの後ろでブリスは鼻で笑った。


「いやだね……と言ったら?」


 二人はじっと睨み合う。次の動きを探るように……。あたしはその静寂を破るように言った。


「ティル、早くこいつを――」


「黙れと言っただろ!」


 首を絞められると思ったら、目の前に剣が現れた。喉をかっ切られる――


 直後、カンッと高い音が鳴り響いて剣が弾かれると、目の前にダガーを握ったティルがいた。


「てめえ……!」


 不意を突かれたブリスは、今度はティルに剣を向けようとする――させるもんか!


「いでええっ!」


 首に回る腕に、あたしは肉を噛みちぎる勢いで思いっきり噛み付いてやった。ブリスの情けない悲鳴が森にこだまする。


「この、あま……!」


 怒ったブリスに背中を蹴られて、あたしは地面に倒れ込んだ。すぐに振り向けば、剣を振り下ろそうとする殺人鬼の顔があった。


「その首切って――」


「相手を間違えるな!」


 シュッと赤い飛沫が舞った。ティルのダガーがブリスの右手を切り裂いた。その攻撃で握ってた剣が手から滑り落ちて、地面に転がった。それを見てあたしは瞬時に剣を取って遠くへ放り投げた。もうブリスには握らせない。ティルを傷付けさせない!


「くっそ……」


 投げた剣のほうへ向かおうとしたブリスだったけど、その前にティルが立ちはだかって止められる。二人が対峙する中、あたしは慌ててその場から逃げて木の陰に身を寄せた。相手は武器を失った。これなら逆転できる!


「血の流れる拳で戦いを続けるか。それとも、遺体の行方を言うか」


 だらんと下がったブリスの右手からは血が滴り落ちてる。


「耳が悪いのか? 何度も言ってるだろ。俺は知ら……ない!」


 傷を負ってるにもかかわらず、ブリスは殴りかかった。でもティルは慣れたように避けると、すれ違い様にダガーで脇腹を切り裂いた。がくっと膝を付いたブリスは動きを止めるも、すぐに立ち上がってティルに笑みを見せた。


「もっと血を流したいか」


「へへっ……ごめんだね」


「じゃあ言え。遺体をどうした」


「言えることはない。だが、てめえと遊んでも、面白いことはなさそうだな……」


 そう言うとブリスは踵を返して一目散に逃げ出した。もう勝ち目がないとわかったんだろう。それをティルは追いかけようとする。


「待て! 逃げるな! まだ――」


「ティル、追いかけなくてもいいよ」


 あたしが言うとティルは険しい表情で振り向いた。


「何を言っている! 追いかけなければ――」


「あいつは多分、本当に知らないんだ。知ってたとしても、警察隊を恨むやつがティルに話すとは思えないよ」


「だがブリスはローズの指輪を――」


「それなら大丈夫」


 意味がわからないという目で見てくるティルにあたしは歩み寄った。


「指輪なら、ここにあるから」


 あたしは握り締めてた銀の指輪をティルに見せた。


「な……なぜエドナが……?」


「忘れたの? あたしが得意なのはスリだよ? あいつの腕に噛み付いて背中を蹴り飛ばされた拍子に、こっそり抜き取ってやったんだ。ひょっとしたら今も気付いてないんじゃないかな」


 笑いかけたあたしをティルは唖然と見てきた。でもしばらくすると、その顔はいつもの微笑みに変わってった。


「……そう、か。取り返して、くれたのか……」


 そう言ってティルは指輪を手に取り、過去を思い出すように優しく見つめる。


「これはプロポーズした時に、俺があげた指輪なんだ。……エドナ、ありがとう」


「こんなことならいくらでも言って」


「そうはいかない。スリはするなと言っておきながら、俺のためにさせてしまったな。それに傷まで負わせて……」


 言われて顔に付けられた傷の痛みがまたよみがえってきた。両手も改めて見ると、ナイフで切られた小さな傷が無数にあった。


「平気だから。こんなのかすり傷だし。それよりティルのほうが心配だよ。その腹の傷」


 切られた部分はもう真っ赤に染まって、傷口がどこかもよくわかんない。


「この程度ならどうということはない。手当てをすれば問題はないさ。しかし、本当に問題なのはブリスから聞き出せなかったことだ。やつは知っていたのか、知らなかったのか……どちらにせよ、ブリスが逃げた今は聞き出せそうな人間は他にいない。もう、捜す当てはない……」


 恋人の行方はブリスだけが頼りだった。やつが話さず消えたんじゃ、あとは自力で探し出すしか方法はない。


「もうティルはやったと思うけど、もう一度都で捜してみようよ。いろんな人に聞いてさ。まだ捜してないとこもあるでしょ?」


「ああ……」


 暗い顔のティルに、あたしは努めて明るく言った。


「あたしが手伝うから……最後まで力になるから、そんな希望がなくなったみたいな顔しないでよ。絶対見つかるって、ティルだけは信じててよ」


「……そうだな。俺が暗い顔するわけにはいかないな。このために都へ来たんだ。必ずローズを見つけよう。必ず……」


 ぼろぼろの姿で微笑んだティルに、あたしも笑みを返した。絶対見つかる――そうは言ったけど、心は逆を願ってる。このまま見つからなくても……。最後まで力になりたいのは本音だ。でも恋人を見つければ、次は別れが待ってる。避けようのない別れ……あたしはティルの恋人にはなり得ない。それはわかってるし、仕方ないことだ。だから少しでも長く一緒にいたいっていう欲が湧いてくる。二人でいられる時間の最後が迫ってる。それを感じると、あたしの胸は強い寂しさに締め付けられた。

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