十二話

 簡単な夕食を終えた午後十時。あたしは宿には戻らず、手紙に書かれた住所の家に向かった。その家主が確実にいる午前一時にはかなり早い時間だけど、宿にいてもどうせ気分が落ち着かないから、さっさと行ってみることにした。


 一味の頭ブリスの居場所をどうやって聞き出すか。その方法を一晩、こんなふうに考えてみた。もしあたしが一味の仲間側だったら、どんなことを言われた時にブリスの居場所を教える気になるだろうか――まず浮かんだのは金。相手は金のためならどんなこともする悪人だ。大金をちらつかせれば頭でも簡単に売るんじゃないかって考えたけど、そもそもあたしにそんな大金はないから、ちらつかせるには相当な信憑性のある嘘で金があることを信じさせなきゃいけない。それはちょっと自信がない。ブリスに対する仲間の忠誠心も、全員が全員低いとは言い切れないし、簡単に売るかは不透明だ。


 次に考えたのは警察隊を名乗ることだ。やつらは常に捕まることを恐れてる。そこへ警察隊が現れれば慌てふためくだろう。焦る相手に、ブリスの居場所を教えれば、お前の悪事のいくつかは見逃してやろうとささやく。そうすれば我が身可愛さに教えるかも……と考えたけど、大人数ならまだしも、女のあたし一人で行ったところで、大した恐怖は与えられそうにない。逆に憎い警察隊だから、その場で襲われて土に埋められる可能性のが高いように思えた。そもそもこんなあたしが警察隊に見えるかって疑問もある。これは金をちらつかせるよりも駄目っぽい。


 そして最後に考えたのが、一味への加入希望だ。ブリスは今、散らばった仲間達を集めようとしてる。そこに新しい人材が入ることはブリスも望むことだろう。かつての勢いを取り戻すには人数がいるんだから。一味に加えてほしいって頼めば、相手も喜んでくれるに違いない。でも一つ問題がある。これから訪れる家の主は初対面なのに、何で一味の人間だと知ってるのか……そこをつかれたら上手い理由が思い付かない。警戒されて一味など知らないってとぼけられでもしたらさらに厄介だ。こっちが言い淀めば、敵対する人間からの回し者かと疑われかねない。でもこの方法以外に、いい案は浮かばないし、これが一番自然で確実そうに思えるんだけど――


「……あ、ここか……」


 考えながら歩き進んでたら、いつの間にか住所の家の前までたどり着いてた。辺りにはひなびた家々が並んでて、夜ってせいもあるけど、窓からの灯りや人影はほとんどなくて、何だか不気味な雰囲気を感じる。都にもこんな一画があるんだ。


 目的の家は小さくて、見た目にも古い。木造の壁や扉には汚れがこびり付いて、周囲は雑草だらけだ。窓はぴったり閉じられてて、中の様子は何にも見えない。いるのかいないのかわかんないけど、とにかく時間まで待ってればいいか。あたしは家と家の間に身を隠して、そこの柵に腰かけて待つことにした。この間に疑われない理由でも考えておこうかな。


 そうして暗い中で待ち始めて、三十分くらい経った頃だった。家の中からかすかな物音が聞こえて、あたしは思わず動きを止めた。壁越しに人が動く気配を感じる――家に耳を寄せて意識を集中させてると、ガチャリと音が鳴って玄関扉がキイときしむ音を立てた。出かけるのか?


 あたしは壁からそっと顔だけを出して、目的の家の玄関をのぞき見た。そこには頭をかきむしりながら出てきた男が一人……上着は着てるけど、シャツの裾ははみ出し、ズボンもよれよれで、だらしない格好のままどこかへ出かけようとしてる。あいつがブリスとつながってるやつか。いかつい人相はいかにも悪人面だな。


 その時、男は玄関を閉めながらこっちに振り向いた。あたしは咄嗟に顔を引っ込めたけど……ほんの一瞬、目が合っただろうか。男の射ぬくような視線に突き刺された気が――息をひそめて、鼓動が速まる中、あたしは男の気配を懸命に感じ取った。まさか、こっちに来ないよね……。


 扉が閉まる音がすると、足音はあたしとは反対の方向へ遠ざかってった。目が合ったのは気のせいだったか。ほっと一息吐いて、もう一度壁から顔を出してみる。もう男はおらず、暗い道の先へ行っちゃったみたいだ。また戻ってくるのを待つのも暇だ。男がどこへ行くのか尾行でもしてみようか。万が一ブリスに会いに行ってれば、聞き出す手間も省けるかもしれないし――あたしは男が消えた道の先へ小走りに向かった。


 見えなくなった男にはすぐに追い付いた。マイペースに歩く背中と適度に距離を取って跡をつける。この道は大通りのほうへ向かってるんだろうか。進むにつれて辺りには夜遊びする人や、まだ開いてる店の灯りが増え始める。……それにしても、ずっと落ち着きがないな。男は歩きながらあちこちに目を向けてる。入る店でも探してるのか、それとも強盗団ゆえに周りを警戒する癖でも付いてるのか。こっちに振り返られても怪しまれないように、念のためもうちょっと距離を開けておこうかな。


 しばらく跡をつけてると、大通り方面へ行くと思ってた男は細い路地へ曲がってった。こんなとこに店なんてないはず。まさか本当にブリスに会いに行くんじゃ――あたしは路地の入り口まで駆けてくと、その角から暗い奥をのぞいてみた。


「よお」


 のぞいた目の前には人相の悪い顔があった。これって、待ち伏せ――あたしは悲鳴を呑み込んですぐさま引き返そうと走った。けど、後ろから髪をつかまれて止められた。


「待ちなよ。俺に用があるんじゃねえのか?」


「はっ、放して……痛い……」


 ど、どうしよう。尾行がばれてたなんて……。


「俺を追いかけて、何しようとしてたんだよ。え?」


「何も……」


「何も? 理由もなく人の跡つけるのが趣味だとでも言うのか? 正直に言ったほうが身のためってもんだぜ」


 髪を強く引っ張られて痛みが走った。逃げられそうにない……なら、予定通りの方法でやるしかないか。


「……正直に、言うから」


「本当か? 適当なこと言って逃げる気だろ」


「逃げたり、しないから……ちゃんと、言う」


「ふうん……」


 しばらく考えてた男は、おもむろにあたしの髪から手を放した。痛みがやっと消えて、あたしは手早く乱れた髪を直した。……まったく、髪が抜けたじゃないか。


「おら、こっち向けよ。で? 何で俺をつけてた」


 男に顔を向けると、威嚇する鋭い目がこっちを見下ろしてくる。


「じ、実は――」


「もっと大きい声でしゃべれ。聞こえねえよ」


「実は! あたし、ガルト一味に入りたくて!」


「……何?」


 明らかに男の顔に不審が浮かんだ。こうなることはわかってたけど――


「今、何つった?」


「だから、ガルト一味に、入りたいって……」


 そろりと男に目をやると、その顔の不審はさらに深まってた。


「何で俺がガルト一味と関係あるって思った」


 この質問が来てしまった。まだ理由を思い付いてないのに……。


「だ、だって、実際、そうでしょ?」


「質問に答えろよ。それを何でてめえが知ってんだって聞いてんだ」


 男が恐ろしい顔でにじり寄ってくる――疑われたら絶対殺される! 何でもいいから、とにかく言わないと。


「あ、えっと……み、見たこと、あって……」


「どこで」


 どこなら正解なんだ? どこなら――


「はっきり覚えてないけど……都の、どっかで、あんたの顔……そこで、ガルト一味の、話か何かを……」


 我ながら曖昧な答え……でもぼやかして答えるしかないんだ。はっきり言えば嘘だってすぐばれるし。


「都のどっかで、俺を……?」


 男は眉をひそめてあたしを睨むように見てくる。お願いだから、これ以上何も聞いてこないで。


「……もしかして、張り出されてる手配書を見たのか」


「え……?」


 手配書……こ、これだ!


「そう! そうだった! 思い出した! どっかの掲示板に、あんたの手配書があって、そこで見たんだよ!」


「その似顔絵だけで、俺に気付いたってのか」


「ほ、本当、偶然の幸運だった。会いたかった人に会えたんだからさ」


 ぴりついた空気を和ませようと笑ってみたけど、男の顔はまったく変わらずにこっちを見てくる。


「手配書を見たってことは、俺に懸賞金がかかってんのも知ってんだよな」


 そうか。逃げ続けてる有名な犯罪集団の一人なら、懸賞金かけられてるのが普通……あたしがその金目当てだって疑ってんのか。


「金額なんて覚えてないし、もしあんたを捕まえるつもりなら、腕の立つ仲間を引き連れて一気に取っ捕まえてるよ」


 そう言うと男の表情がちょっとだけ緩んだ。


「……確かにな。女一人で暴れる男を捕まえるのは無理がある」


「その通り。無理だから」


「見る限り、てめえの他に尾行するやつはいねえみてえだしな」


 男の視線があたしの背後の通りへ向く。つけてる時、男が落ち着きなく歩いてたのは、あたし以外の尾行者を捜してたからだったのか。


「これで、信じてくれた……?」


 聞くと、男はこっちをじろりと見る。


「まあ、ひとまずはな」


「じゃあ、あたしも仲間に――」


「それは俺が決められることじゃねえ。頭に伺いを立てねえとな」


 頭……ブリスのことが出た!


「その、頭は今どこにいるの?」


「さあな。頻繁に場所を移動してるからな」


「そんなんでどうやって連絡を――」


 聞こうとした瞬間、男の緩んでた眼差しが刃物のような鋭さを見せてこっちを見た。や、やばい――


「あ、あたしは、頭に早く、仲間だって認めてもらいたいだけで……別に、他意はないよ」


「ならいいが……そう焦んな。てめえのことは俺から話しとく。仲間として認めるかはその後だ」


「そ、そう。わかったよ……」


 あたしは内心で冷や汗を拭った。やっぱブリスのことになると警戒心が高まるな。居場所を聞き出すのは時間がかかりそうだ。焦らず、日を改めてからでも……。


「今日のところはあたし、出直したほうがいいかな」


「無理にとは言わねえけど……俺に付き合わねえか」


 驚いた。男のほうからこんなことを言ってくれるなんて、願ってもないことだ。


「どっかへ行く途中だったんじゃないの?」


「用があったわけじゃねえ。酒を飲みに行こうとしてただけだ。頭に紹介するなら、てめえのことも知っとかなきゃならねえし、酒飲みながら話でもしようぜ」


 酒場はあたしの領域だ。望むところよ。


「いいね。仲間に加えるに相応しいって思われるよう主張しとかないとね」


「へっ、もうやる気は十分だな」


 あたしは男に連れられて酒場へ向かった。酒の力を借りれば、より早く聞き出せるかもしれない。だけど男の警戒心は要注意だ。強引にやらず、様子を見ながらいったほうがいいか。


 あたしの知らない路地を突き進むこと数分。暗く静まり返った中に窓から漏れる光があった。看板も何もない小さな建物で、一見すると民家みたいだったけど、入り口の扉を開けて入れば、中はコップと瓶を並べたカウンターと、木箱を机代わりにいくつか置いた、狭い酒場になってた。


「ここは俺みたいな客しか知らねえ場所だ。だから安心して飲める」


 俺みたいっていうのは、犯罪で生きてるようなやつのことか、あるいはお尋ね者ってことだろうか。まあどっちも似たようなもんだけど。


 壁際の席に先客が二人いた。でもすでに大分飲んだのか、一人は木箱の机で、もう一人は椅子から転げ落ちた姿勢で熟睡してるようだった。男は興味なさそうにそれをいちべつしてからカウンター席に着いて酒を注文した。


「ここの酒は極上だぜ」


 従業員から出された酒を男は一口、ごくりと飲む。隣の席で同じ物が出されたあたしも一口飲んでみる。……う、これは、なかなかきつい酒だ。喉が焼け付きそう。こんなの飲み続けたらこっちが先に酔っ払いそうだな。


「美味いか」


「え、う、うん。でもあたしには、ちょっと合わないかな……」


「この味がわかんねえとはな。まだ若けえから、これから覚えりゃいい」


「そ、そうだね」


 男の歳は見た感じ、三十前後くらいだ。あたしもあと十年、こんな酒を飲み続ければ、美味しいって感じられる舌になるんだろうか。それより先に胃を壊しそうな気もするけど。


「そういや、てめえの名前は?」


「ああ、エドナだよ」


「エドナか。俺はアンドリュー……って知ってんだったな。手配書見てんだから」


 あたしは愛想笑いを返した。アンドリューっていうのか。


「どこの生まれだ」


「ずっと北の田舎だよ。つまんないとこ」


「都には何しに来た」


「ここには、仕事を探しにさ。でもなかなか見つかんなくて」


「見つかんねえから仲間に入ろうってことじゃねえだろうな」


「違うって。ずっと憧れてたんだよ。ガルト一味って、何かかっこいいなって」


 あたしは住所の手紙を持ってたやつの友達の言葉を思い出しながら言った。


「ずっと? 北の田舎にまで俺達のことは知れ渡ってんのか?」


「た、たまたま聞いたんだよ。都へ行って帰ってきたやつが話してて、向こうには怖い犯罪者がいるって恐ろしがってたけど、あたしはすごく興味が湧いたんだ」


「へえ。変わってんな。それで? 誰か気に入らねえやつでも殺したか」


 あまりにさらりと物騒なことを言うから、反応が遅れそうになった。


「ま、まさか。田舎で人殺したら、すぐばれるよ。あたしにできたのはせいぜいスリ程度さ」


 これにアンドリューは鼻で笑った。


「俺達に憧れてる割には、小っせえことやってんな」


「そ、そんないきなり大きなことはできないよ。それに、やり方だってわかんないし」


「やり方なんか、好きにやりゃあいいんだよ。欲しい物は奪って、抵抗するやつは殴るか殺すだけだ。簡単だろ」


 思わず苦笑いが出ちゃう。手配されるだけあって真似できない凶悪さだ。


「やっぱ、すごいな。あんた達のやり方は。あたしはまだそんな度胸なくて……今までどんな悪いことしてきたの?」


「大体は強盗だな。馬車から大豪邸まで、金があれば行って奪った」


「だけど、時には警察隊とか兵士とも出くわすんでしょ?」


「警備が堅いとこはな。でも関係ねえよ。邪魔なやつはぶっ殺しゃいい」


「それでも無傷ってわけにはいかないよね?」


「まあな。重傷負ったやつもいれば、殺されたやつもいるよ。けどそういうやつらは所詮それだけの力しか持ってなかったってことさ。弱えやつは仲間にいらねえ」


 アンドリューは酒を飲みながら冷たい口調で言った。最優先は金であって、仲間の命なんてどうでもいいって考えか。悪人の中の悪人だな。こんなやつを従えてるんじゃ、裏切り者が出たり、一味がばらばらになるのも当然だ。


「頭は今、どのくらいの仲間を集めてんの?」


 聞くと、アンドリューは片眉を上げてこっちをじっと見てきた。


「……な、何?」


「いや……とりあえず、十人は呼びたいとこだろうな」


「あたし、そこに入れそうかな。強盗なんてまったくの素人だけど」


「素人には素人なりの仕事ってもんがある。邪魔なやつの気を引き付けたり、馬車の手配とかな。隠れ家の留守番もそうだ。そういう仕事は誰もやりたがらねえから、一番役立たずにやらせる」


 一味に入る前から、あたしは役立たずなのか……。


「頭は、素人を仲間に入れてくれるかな」


「普通は見向きもしねえだろうな。でも何か一つでも光るもんを見せられれば引っ掛かるかも……例えば、スリの腕前とかな」


「な、なるほどね。それなら自信あるよ」


「じゃあ俺に見せてみろよ」


「いいけど、どうやって?」


 するとアンドリューは懐から金を取り出してカウンターに置くと、椅子から立ち上がった。


「別の店へ行くぞ。その道中の間に俺の持ってる物何でもいいから一つ盗ってみろよ。もちろん、俺に気付かれねえようにな」


「え、移動の間に……?」


 それは難易度が高すぎる。盗られるってわかってる相手から盗るなんて、そんなの無謀でしかない。次の店までの距離もわかんないのに……。


「そのくらいできなきゃ、頭はてめえなんざ求めねえよ。どうすんだ? やるのかやらねえのか」


 見下した目が急かしてくる――これさえできれば、ブリスと会う機会が得られるかもしれないんだ。断って終わるよりは、小さな可能性に賭けるべきか。


「……や、やるよ。やってみる」


「へっ、その意気だ」


 アンドリューは不敵な笑みを浮かべて酒場を出てく。成功するとは全然思えないけど、それでもやってみるしかない――あたしは自分を落ち着かすように、胸を二度軽く叩いてからアンドリューを追った。


「次の店ってどこにあんの?」


「まあ、付いてくりゃわかるよ」


 そう言って暗い路地を歩き始めた。せめて近いのか遠いのかくらい教えてほしいんだけど……仕方ない。行くか。


 あたしはアンドリューの斜め後ろを歩きながら、その様子を観察する。歩幅から手の振り方、上着の揺れ方まで……だけどいくら作戦を練ったとこで、向こうはあたしが盗りにくることをわかってんだ。こんな難しいスリはない。それでも気付かれずに盗れっていうんだからめちゃくちゃだ。あたしにそこまでの腕はあるんだろうか。アンドリューは路地を左へ曲がろうとしてる。曲がったら行動してみるか――そう意を決して角を曲がった時だった。


 前を歩くアンドリューが急に後ろへ振り返ったと思うと、あたしの腕を乱暴につかんで強引に路地の先へ引っ張った。いきなりのことに足下が絡まって倒れそうになったあたしを支えたのは、背中にひんやりと付いた壁だった。……この道、行き止まりだったの?


「はあ……初めから怪しいやつだとは思ってたけどよ」


 アンドリューはあたしの腕と肩を押さえ付けながら静かな声で言う。


「目的は何だ」


 暗い中でも光る男の目が、恐ろしいほどにこっちを見つめてくる。


「な、何の、こと……?」


 スリの腕を見るんじゃなかったの? どうして急に疑いを……。


「手が震えてんぞ……とぼけんなよ」


 何で、何で、何で――


「あたしは、ただ、仲間になりたいだけで……うっ」


 つかまれた腕と肩をさらに壁に押さえ付けられて、恐怖で全身が固まる。


「空々しい真似はいいんだよ。自分のへまに気付いてねえのか?」


 へま? そんなのした覚えは――


「頭が仲間集めてるってことは、俺を含めた一部のやつしか知らねえことだ。それを初めて会ったてめえが何で知ってやがる」


「……!」


 愕然とした。頭にはほんの数分前に交わした会話がよみがえった。


『頭は今、どのくらいの仲間を集めてんの?』


 あたしは確かに、そう聞いてしまった。そしてその時のアンドリューの怪訝な表情……それが取り返しのつかない質問だったなんて。


 アンドリューの不機嫌極まりない顔が鼻の先まで近付いてくる。


「言い訳も出てこねえか。じゃあ正直に言えよ。目的は何だ」


「目的、なんて……」


「俺の懸賞金か? それとも情報か? やたら頭を意識してたしな。情報提供だけでも国は金を払うっていうからな。まさか、その回し者じゃねえだろうな」


「違う、ち、違う! そんなんじゃ――」


「じゃあ何だよ! 俺ににこにこ近付いて、何しようとしてた!」


 ごくりと唾を飲み込む。普通の嘘じゃ乗り切れない。かと言って騙せる嘘も思い付かない。本当の目的なんて言えるはずもない。あたしはもう、何もできない……。


 逃げ道のない状況に押し黙ってると、アンドリューはあたしからゆっくり両手を離した。


「怖がらせすぎたな……悪い。俺はただ正直に答えてほしいんだよ。それを言えば悪いようにはしねえ。どうだ?」


 少し穏やかになった表情でアンドリューは言ってくる。でもこっちを見る目はまったく穏やかじゃない。いつでも刺してきそうな暗く、計り知れない殺意が潜んでる。こんなものを持ってる男が悪いようにしないわけがない。こいつはあたしを殺す気なんだ。


 無反応のあたしに、アンドリューの表情がまた変わった。残念そうに息を吐くと、暗い目がこっちをじろりと見据えた。


「……そうか。俺に話したくねえか。じゃあてめえは邪魔なごみでしかねえ。死ね」


 両手が伸びてあたしの首を絞めてきた。やっぱそうだ。こいつはどっちみちあたしを殺す気だったんだ。ものすごい力が呼吸を止めようとしてくる。頭の中が真っ白になってく……あたしもどっちみち逃げられなかった。こんな悪人に殺されるのは嫌だけど、刃物でずたずたにされるよりは、ちょっとだけ、ましと、思って……諦め……る、しか――


 ピィー……と、薄れる意識の中で聞こえた気がした。何の音だろうとぼんやり思ってると、また、ピィーと聞こえた。すぐ側から……これは、指笛……?


「……あん? 誰かいんのか!」


 首を絞める力が緩んで、あたしの意識はぎりぎりのとこで残った。音は幻聴じゃなかったみたいだ。ピィーと、また聞こえた。


「誰だ! おちょくってんのか!」


 アンドリューは繰り返される音を気にして首から手を離した。苦しさから解放されてその場にへたり込んだあたしを放って、音のするほうへ歩いてく。


「隠れてねえで出てこいよ! どこだ!」


 背中がどんどん遠ざかってく。逃げるなら今のうちだ。走って逃げても追い付かれるかもしれないけど、でもこの行き止まりからは早く出なきゃ。ここにいたら確実に――


「はうっ――」


 アンドリューの影がくの字に曲がり、小さなうめき声を上げた。立ち上がろうとしてたあたしは驚いて動きを止めた。何が起きたのかと思ってるうちに、アンドリューは地面にばたりと倒れてしまった。……誰か、いるの?


 すると路地の角から一人の男が現れた。倒れたアンドリューを見下ろす手には武器――ダガーを握り、その身体を包むマントは足を動かすたびに揺れる。あたしの鼓動は速まった。あまりに見覚えがあって、ずっと会いたいと思ってた人にそっくりだったから。信じられない気持ちで立ち上がって、男がこっちを向くのを待った。あたしからは呼べない。間違ってるかもしれない。ぬか喜びはしたくない。でも、どうか――見つめるあたしに男はゆっくり顔を向けた。


「また会うとはね……怪我はないか、エドナ」


「……ティル……」


 いつもの微笑みがあたしの心を優しく安堵させてくれる。人の願いって、通じることもあるんだな。

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