十一話

 宿で一晩過ごした翌日、あたしは気分も新たに街中へ出かけた。都ロイディア……その街並みを改めて眺めると、やっぱどこもかしこも圧倒される都会だ。建物の外観と大きさは田舎とは比べ物にならないほど立派だし、店の数や種類もどれだけあるのかってくらい多い。道幅は家が建てられるほど広くて、大通りは石で舗装されてぬかるむ心配もない。そこを老若男女、馬車や荷車が混ざり合って波のように動き続けてる。まるで祭りでも開かれてるみたいな光景だけど、都じゃこれが普通のことなんだろう。田舎出のあたしはまだまだ慣れない雰囲気だ。


「わあ……美味しそう」


 食料品店が並ぶ通りへ入ると、前方からいろいろな匂いが漂ってきた。甘かったり、つんとしたり、香ばしかったり。匂いにつられるようにパン屋をのぞくと、店先の商品棚に見たことない種類のパンが並べられてた。ただ丸いだけじゃなく、細長いのや、ねじれてるの、表面に何かがまぶしてあったり……都会のパンは見た目からして洗練されてる。


 こうして店を見てるのは買い物をしたいからじゃなくて、仕事探しと物価を知りたいからだ。仕事を見つければここで長く生活することになるだろうから、都での金銭感覚を身に付けておきたい。前にティルから、都の物価は高いと聞いてたけど、目の前に並ぶパンの値段は田舎のものよりやや高めだ。でもこれくらいならまだ許容範囲かなって思ってたら、隣の果物屋をのぞいて驚いた。リンゴ一個があたしの知る値段の二倍だった。隅に置かれたアンズのジャムも、どれだけ手間をかけて作ったか知らないけど、三倍の値段が付けられてた。何だかここで暮らすことが怖くなってくる。金のないやつは飢え死にしろって言われてるみたいな気分だ。


 でもこれだけ物価が高いってことは、仕事の給料もそれに見合った額が貰えるはずだ。でなきゃ誰もここでは暮らせない。気を取り直して、あたしは店を回って仕事探しを始めた。


「……え? 仕事? うちはないよ」


「人手は間に合ってるから」


「ないない。先月一人入れたばかりだからね」


 ……おかしい。想像と違うな。広い都なら仕事はいくらでもあって、人手も必要とされてるものだと思ってたのに。訪ねた店全部に断られるなんて……でもまだ数軒だけだ。諦めるには早い。


「仕事か……うーん、あんたじゃどうだろうな」


「事務員はいるし、欲しいのは力仕事できるやつなんだよな」


「そこの木材、一人で持てるか? 持てれば雇ってもいいけど、絶対無理だろうな」


 話と違う。都では性別に関係なく働けるんじゃなかったの? 結局ここの人達の意識は田舎のやつらと何ら変わんないのか。女は非力で男の代わりはできないって……。


 その後も仕事を探し続けたけど、数十軒訪ねてもあたしを雇ってくれるとこは一つもなかった。日が暮れて、歩き疲れた足で宿に戻って、そのままベッドに突っ伏した。こうして一晩寝るごとに金は減ってく。一応安宿を選んだつもりだけど、この安さは都の基準だ。他の町の安宿と比べればまあまあな高さだ。長くここに泊まり続けることはできないだろう。そのためにも早く仕事を見つけて金を稼がなきゃ。


 それから連日、あたしは街中を巡って仕事を探した。雑貨屋、家具屋、怪しい品物を売ってる店までくまなく回ったけど、いい返事はどこもくれなかった。それでもたまに日雇いの仕事ならあると紹介されて、庭掃除とか家畜の世話をやって金を貰ったけど、長期での仕事は見つけられなかった。こんなことが続くと、自分は選択を誤ったんじゃないかって思えてくる。都になんか来ないで、ペリントの町で引き続き仕事を探してたほうがよかったのかもしれない。さらに言えば、大衆食堂での仕事をやめなければ、今も働き続けられてたのかも。金も順調に貯まって、ティルをがっかりさせずに置いていかれることもなかったんじゃ……そんなどうしようもないことまで考えてしまう。駄目だ。思考が後ろ向きになり始めてる。精神的に参ってるみたいだ。少しは息抜きでもしたほうがいいのかな……。


 ベッドで横になるつもりだったけど、あたしは向きを変えて夜の街へ行くことにした。ずっと仕事探しで気を張ってばっかで、都に着いてから楽しいことなんか何にもなかった。ちょっとくらい気を緩めなきゃこの先持ちそうにない。一晩だけ、そんな気分を味わったっていいよね。


 そんな場所に適してるのは、やっぱ酒場だ。美味しい酒を飲んで、周りの馬鹿な酔っ払いどもを眺めて、自分だけが馬鹿じゃないって思える場所。標的を探すために入り浸ってたせいか、自分の領域みたいに感じて落ち着ける唯一の空間だ。


 仕事探しの最中にいくつか見かけてた酒場のうち、宿に一番近い酒場を選んであたしは入った。明るく照らされた店内は結構広くて、二階もあるみたいだ。客の入りは多い。カウンターや丸机で談笑してる姿があちこちにある。そんな客達が聞いてるとは思えないけど、階段横で若い男が自分の奏でる音に酔いしれるように、身体を揺らしながらバイオリンを弾いてた。この猥雑な空間には合わない気もするけど、これが都の酒場なんだろう。


「ワインちょうだい」


 カウンターに金を置くと、コップ一杯のワインが差し出される。照明に反射して光る濃い紫色の酒をあたしは一口飲んだ。香りと共に口当たりの軽い味が喉をうるおしてく。久しぶりに飲んだけど、酒ってこんなに美味しいんだな。都で飲み食いする物はどれも上等に感じられる。それだけあたしの食が貧しかったってことか。だけど美味しいからってもう一杯飲むことはできない。それは仕事を見つけて金に余裕が出てきてからだ。今は我慢……。


「あんた、初めて見る顔だね。都の人間か?」


 ワインの味を堪能してると、カウンターの中の口ひげの従業員が話しかけてきた。


「違う。北の……ペリントから来た」


「へえ。何か用事で?」


「いい仕事ないかなって思ってさ」


「仕事探しか。ならすぐに見つかるだろう。都には山ほど仕事がある」


「あたしもそう思ってたんだけどね……日雇いの仕事しか見つからないんだよ」


 言うと口ひげは小首を傾げた。


「え? そうなのか? 女のあんたならすぐ見つかりそうなもんだけどな」


「何で女ならすぐ見つかるのさ」


「ここ数年、都じゃ女が店を持ったり事業を始めたりするのが流行りみたいになってるんだ。だから女主人は女を積極的に雇うことが多い。若いあんたなら即採用されそうだけどな」


「そ、そうなんだ……」


 確かに都は性別に関係なく仕事ができるらしい。女が自ら店を持ったりもできるようだ。それはいいことなんだけど、あたしが求めてるのはそういうことじゃない。


「あたし、男と同じ仕事がしたいんだよね」


「おかしなことを言うんだな。何か仕事にこだわりでも持ってるのか?」


「こだわりっていうか、そのほうが都合がいいっていうか……」


「仕事はあまり選り好みしないほうがいい。私は本当は船乗りになりたかったんだけど、どこも募集してなくて、飲めもしない酒を作る仕事についた。でも今はなかなか気に入ってる。あんたみたいにいろいろな事情を抱えた客の話を聞くのは楽しい……おっと、こんなことを言うのは不謹慎だな」


 そう言われても、あたしには選り好みしなきゃならない大きな理由があるんだ……。


「ここでは仕事、募集してない?」


「悪いね。間に合ってるよ。……仕事にあり付きたいなら、条件は取っ払ったほうがいい」


「そう……助言、ありがとう」


 コップを手に、あたしはカウンターを離れて丸机の席に座った。天井からぶら下がる照明を眺めて、自分の中で気が抜けるのを感じた。結局ここでも、男は男の、女は女の仕事って分けられてるんだ。男の中で女が働くことはできない……いや、もっと探せばどこかにはあるんだろうけど、多分そう多くはないんだろう。困ったな。もう少し粘ってみるか、ペリントに戻るべきか、悩むとこだ……。


「――あの、ガルト一味か?」


 不意にそんな言葉が聞こえて、あたしは周囲を見回した。


「しっ! 声が大きい。人前では二度と言うな」


 その話し声がすぐ背後から聞こえてくるとわかって、あたしはワインを飲みながら首を横に向けた。顔ははっきり確認できなかったけど、横目で見た先には薄汚れた格好の男が二人、向かい合って話し込んでる姿があった。ティルを襲った盗賊団の名前が、何で話に――あたしは首を戻して聞き耳を立てた。


「お前には教えるけど、俺は昔、そこにいたんだよ。仲間とは今も定期的に連絡を取っててよ」


「仲間って、まさかウルフともか?」


 ウルフ――確か、ブリスって頭のあだ名だ。


「直接の連絡じゃねえが、近い仲間とはしてる」


「す、すげえ。俺、ウルフにちょっと憧れてたんだよ。唯一無二の悪っていうか、我が道を行ってる感じがすげえかっこよくねえか?」


「お前が頭に憧れてるとは知らなかったな。……実は頭が今、仲間を再結集させようとしてるみたいでよ。俺にも声がかかったんだ」


 ガルト一味は裏切り者が出たり、警察隊に追われて数をかなり減らしたって聞いたけど、仲間を集めてまた力を取り戻そうとしてるのか。


「ウルフの下に戻るのか?」


「ああ。今の生活はクソだ。何の面白みもねえ。俺の性には合わねえんだろう。やっぱあの頃みたいに好き勝手暴れ回ってるほうが最高だ」


「お、俺もウルフのとこに連れてってくれよ。一目会ってみてえんだ」


「ただの興味本位ってだけならやめとけ。頭はそういうの嫌うからな。でも、お前が仲間に入りたいってんなら、話を付けてやってもいいぜ」


「マジか! 俺がウルフの仲間に……ど、どうしようかな……」


「すぐに決めることはねえよ。急ぐ話じゃねえし、よく考えてからでいい」


「おう、じゃあ考えとくよ。……それで、そっちはすぐにも合流するのか?」


「いや、頭とはまだだ。その前にさっき言った連絡取ってる仲間と会うことになってる。その住所が手紙で届いてな。今日郵便局に取りに行ったばかりだ」


 がさがさと男が身動きする音が聞こえて、あたしは再びワインを飲みながら横目で背後をうかがってみた。見えた男の手には封筒が握られ、それを話し相手に見せてるとこだった。


「都合のいい日にでも会いに行くつもりだ。そん時までにお前の考えがまとまってたら、一緒に連れてってやるよ」


「わかった。じゃあ行く時は声かけてくれ」


 がたっと音を立てて男が椅子から立ち上がった。それと同時に封筒がズボンのポケットにねじ込まれる。


「お前とはお別れだと思ったけど、まだ付き会えるかもな……それじゃあな」


 そう言って男は談笑する客達の間をすり抜けて酒場を出てった。その後ろ姿が見えなくなった直後に、あたしはコップのワインを一気に飲み干してから、小走りに男の後を追った。


 薄暗い通り、その先を見れば男が歩いてる背中が見えた。頭の片隅で自分が問いかけてた。何のために後を追うのか。ガルト一味の情報を得るため? でもそれを得てどうするっていうの? 伝えるべきティルはもういないのに。置いていかれてからもう何日も経ってるんだ。もしかしたらすでに死んだ恋人の亡骸を見つけて、そんな情報なんて必要としてないかもしれない。あたしは無駄なことをしようとしてるのかも……だけど、暗闇に消えようとする男の姿を見失わないよう、あたしの足は自然と追い始める。無駄かもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちだろうと、あたしの気持ちは今もこれだけを望んでる。ティルの力になりたいって。仕事はなかなか見つかんないし、時間はどうせ有り余ってんだ。心残りを解消するつもりで……そう。これはあたしの心残りだ。何度も助けられながら何もしてあげられなかった自分の非力さ。それを自覚してるから、よりティルのためにできることをしたいって思う。無駄でもいいんだ。ティルのためになると思えればそれで……。


 もしティルが情報を欲しがってるとすれば、頭のブリスの居場所だろう。盗み聞いた話の中じゃ、ブリスは仲間を集め始めて、一味を再興しようとしてるらしい。そんな声に反応したのが前を歩く男……でもこの男はブリスとつながってない。つながってる可能性があるのは、男にそれを伝えた仲間だ。そしてその仲間は手紙で住所を教えてる。意思確認か、あるいは一緒にブリスの元へ行く気なんだろう。とにかく情報を持ってそうなのは仲間のほうだ。その仲間の居場所は……目の前の男が持ってる。


 酒場で男が、住所の書かれた手紙をズボンの右ポケットに入れるのは見てる。上着のポケットよりは断然盗りやすい位置だ。長く気を引く必要もないし、一瞬で盗れる好位置ではある。ただこの暗さで、手元の狙いが狂わなきゃいいけど。


 ところどころ灯りのともる店がある通りを真っすぐ歩き続けてた男だけど、おもむろに左の道へ曲がった。その方向は住宅街だから、今日はもう家へ帰るつもりなんだろう。なら、家へたどり着く前にいただかないと――あたしは徐々に足を速めて男と同じ道に入ると、周りに誰もおらず、男が一人で歩いてるのを確認してから勢いよく駆け出した。


「……ん?」


 近付く直前、男がこっちの気配に気付いて振り向いたけど、あたしは構わず男の右肩にぶつかった。


「きゃっ」


「いって……どこ見てんだよてめえ!」


 怒った男がすぐさま怒鳴ってきたけど、あたしは足を緩めずに謝った。


「ごめんなさい! すごく急いでるんです!」


「なっ、逃げんのかこら!」


 怒声が響いてもあたしは止まらずに道を走り抜けて、そのまま角を曲がってまた別の道へ入る。壁に身を隠して男が追って来ないか様子を探るも、見えた男にあたしを追いかける気はなさそうで、住宅街への道へ消えてった。それを見届けてあたしは一息吐く。


「上手くいった……」


 見下ろした自分の手の中には、しわくちゃになった手紙がある。向こうに気付かれず、しかも破けずにちゃんと盗れたみたいだ。こういうすれ違い様に盗むやり方はあんまり使ってこなかったから、内心どきどきしたけど、成功してよかった。早速封筒を開けて中の便箋を読んでみる。住所の他に書かれた文章は短く、簡潔に伝えてる。


「……午前一時から五時の間に来い、か」


 盗賊団だけあって、誰も見てない暗い時間に動くのが好きらしい。これで居場所と会える時間帯がわかった。だけどどうやって情報を聞き出そう……宿に戻って、一晩ゆっくり考えるとするか。

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