八話

 女から逃げて町を出たあたし達は、月明かりの下、何の人影もない街道をゆっくり歩いてた。今夜はもう宿には泊まれなさそうだ。それも全部あたしのせい。あたしがスリをしようとしたことで、面倒な騒動になって、ティルに迷惑をかけることになってしまった。黙って前を歩く後ろ姿を見ながら、どんなふうに話しかけようかと考えてた時だった。


「もう盗みはしないと、俺は勝手にそう思っていた」


 足が止まって、ティルがこっちに振り返った。そこには予想通り、残念そうに歪んだ顔があった。


「俺からは無理だと思い、他の人間を狙ったのか?」


「ち、違う! これはそういうことじゃなくて……」


「でも盗んだことは認めるんだろう?」


 あたしは目を伏せた。厳しい視線を向けてるであろうティルを見るのが怖い。


「盗んだのは、あたしが金が欲しかったんじゃなくて……あ、金は欲しかったんだけど、別に遊ぶ金とかじゃなくて……」


「じゃあ何なんだ」


「ティルが、金がないって言うから……力になれたらって思って……」


 ちらと見れば、ティルは困り顔でこっちを見てた。


「力のなり方が違うだろう」


「あたしには、これしかできることがないんだ。ティルの金がないのも、あたしのせいみたいなもんだし」


「責任を感じているのか?」


「感じないほうがおかしいでしょ。予定外の金使わせて、足引っ張ってんのに……」


「それで、盗みを働いたっていうのか。俺のために」


 落ち着いた口調の中にも、怒りや呆れが混じってるように感じて、あたしの声は無意識に小さくなってく。


「役に立ちたかったんだ……ティルのために」


「嘘をつかれて、犯罪行為で助けられて、俺が喜ぶと思うのか」


「それはわかってたけど、手っ取り早くできるのはこれしかなくて……」


「わかっていたならやるべきじゃなかったな。エドナの力になりたいという気持ちはありがたいが、金の心配までしてもらう必要はない」


「でも実際ぎりぎりなんだから、どうにかしないと――」


「金のことは考えるな。どうにかする」


 やっぱりティルは金のことになると大雑把になるというか、対応が甘くなるというか……。


「……実はティルって、大金持ちだったりするの?」


「何だ、いきなり」


「どうなの?」


 腰に手を置いてティルは言う。


「そうだったら、とっくに都へ着いているだろうな」


「じゃあ、金は今持ってる分だけってこと?」


「そうだ。……それが?」


「あたし、ずっと不思議に思ってたんだ。ティルは金に対して、まるで執着心がなくて、あたしとか他人に、ためらいもなく金をすぐ渡せる。それって、あたしからすれば変なことだよ」


「渡す理由があるから渡しているだけだ」


「それにしたって限度ってもんがあるはずだ。持ってる分しか金がないならなおさらだよ。後のことなんか考えてないみたいだ」


「金は使ってこそ価値があるものだ。余らせておいても仕方がない」


「だけど、ティルの生活があるじゃないか。都で恋人を捜し終えて、その後だって金は要るんだ。今全部使っちゃう勢いでいたら、ティルが困ることになるんだよ?」


「俺の生活の心配までしてくれるとはね」


 ティルは、ふっと笑う。


「べ、別に心配とかじゃないけど、あたしはただ、気になっただけで……」


 するとティルは夜空にぽつんと浮かぶ月を見上げて言った。


「俺には生活なんてものはもうない。ローズを失ってからはな……。だから金は必要ないんだ。最小限あればそれでいい。多く持っていても意味はないんだ」


 その月に照らされた青白い横顔に、あたしの胸は波紋が広がるようにざわめいた。何だか不安を感じる。生活はもうないだなんて……あたしの思い過ごしだろうか。


「それじゃあ、恋人を見つけた後はどうする気なの? 世捨て人みたいに自給自足で生きてくとか?」


 聞いてみるが、ティルは月を仰いだまま無言だった。あたしが感じた不安が少しずつ大きくなってく――いや違う、と思いながらも、あたしはその確証が欲しくて続けて質問した。


「まさか、とは思うけどさ、死んだ恋人の後を、追う気じゃないよね……?」


 笑顔交じりに軽い口調で聞いてみる。ティルは絶望なんかしてない。恋人を捜すのだって、自分に区切りを付けるためなんだ。終わりを見つけるためなんかじゃないはず――半ば祈るような気持ちでティルを見てると、その顔はゆっくりこっちを向いた。


「想像力がたくましいんだな……この先どうするかは、自然に任せるつもりだ」


 微笑んだティルは否定も肯定もしなかった。この答えであたしは気付かされた。恋人を目の前で殺されて、自分も右腕を失って、心に何の傷も負ってないほうがおかしいんだ。絶望もしてるだろうし、そう簡単に区切りを付けられる心境じゃないのが普通だ。それはあたしの単なる希望と願いで、ティルの心の内は真っ暗で光が見えない状態なのかもしれない。死という縁に立って、少しでも風に吹かれれば戻れない穴に落ちてしまうような……。


「盗みを叱っていたつもりが、いつの間にか話がそれてしまったな……とにかく、金の心配はいらない。今後盗みで稼ごうとは――」


「あのさ、あたしじゃ頼りないし、信用もないだろうけど、何でも言って。辛いことも、苦しいことも、全部」


 ティルはきょとんとした顔を浮かべて、次には笑った。


「何を心配しているかは知らないが、俺は大丈夫だ」


「強がらなくていいから。見つけるまではあたしがいるし、いつでも話は聞いてあげられるから。その、それでも寂しいっていうんなら、友達にもなれるし、気軽に……ティルがよければ、あ、あたしが、こ、こ、こい――」


 その時、優しく肩を叩かれて、あたしは顔を向けた。そこには穏やかな笑顔のティルがいた。


「ありがとう。でも本当に大丈夫だ。俺のことは考えずに、エドナは自身のことを考えてほしい。俺達はいつまでも一緒にいられるわけじゃないんだ。それと、盗みはきっぱりやめるんだ。わかったな?」


 そう言われて、あたしは思わず頷いてた。それを見てティルは踵を返すと、街道をゆっくり歩き出した。……何となく流されちゃったけど、これって、やんわりと遠ざけられたの? 手伝い以外に頼むことはないって、優しく言われたような感じだったけど――もやもやした気持ちのまま、あたしはティルの後を追って歩き出す。


 今もティルは、死んだ恋人のことを愛し続けてる。でなきゃ自ら遺体を探そうと思い立ったりしないだろう。結婚するはずだった恋人……無関係なのに殺されて、その責任をティルは重く感じてるんだと思う。でもそれは襲ってきたガルト一味のせいで、ティルにはどうしようもなかったことなんだ。助けられなかった責任なんてないのに……。恋人のことを、ティルはいつまで想い続けるんだろうか。見つけるまで? それとも死ぬまで? そこにあたしの想いが入り込む余地ってあるのかな。寄り添ってあげることって……いや、それがあたしじゃなくたっていいんだ。他の女だって。ティルにはとにかく先へ進んでほしい。恋人の元に立ち止まらずに。嫌な想像がただの想像で終わるように、あたしは祈るしかないのかもしれない。少し離れたところから――前を行くティルのマントが、寒風に吹かれて孤独になびいてた。

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