六話

 世話になった住民に礼と別れを告げて、あたしとティルは都へ向けて出発した。と言っても都まではまだまだ距離があるから、その間にあるいくつかの町へ立ち寄る必要があるらしい。南の地域は一度も来たことがなくて、あたしにはどこに何があるのかさっぱりわからない。だからここからはティルの先導だけが頼りだ。


「……これ、道って言うの? ほとんど獣道だよ」


 街道が通ってないこの辺りには、地元民しか使わない道だけが通ってるわけだけど、どこまで行っても道は細くて、今にも途切れちゃいそうだ。その両側には雑草が生い茂ってて、道を隠すように張り出して邪魔でしょうがない。こんなに歩きづらい道ってことは、普段ここを通る人はほとんどいないんだろうな。あたしがいた田舎でも、ここまでひどい道はなかったけど。


「進めばそのうち街道に行き当たるさ」


「だといいけど。まさか次の町までこの道じゃないでしょうね」


「それはないよ。心配するな」


 雑草をかき分けながら進む道なんて、早く抜けたいもんだ。あ、また服に葉っぱが付いてる……。


「……ところでティル、亡くなった元恋人の墓はどうやって探すの? やっぱり教会の墓地とか回るつもり?」


「……いや、探し回っても、彼女の墓があるかどうかがわからないからな」


 意味がよくわからなくて、あたしは首をかしげた。


「元恋人は亡くなってるんでしょ? ならどこかに――」


「彼女はベッドの上で亡くなったんじゃないんだ。彼女は……俺の目の前で、殺されたんだよ」


「え、こ、殺された……?」


 思わぬ話に声が裏返りそうになった。あたしは勝手に、病気とか事故とか、よくあることで亡くなったものだと思ってたけど、そんな死に方をしてたとは……。


「……あの、それ、聞いてもいいこと?」


 前を行くティルに恐る恐る聞いてみると、ティルは顔を振り向けて口の端で笑った。


「エドナが手伝ってくれるなら、話しておくべきだろうな」


 何だか怖い気もするけど、言う通り、手伝うなら聞いておかないと。


「どうして、殺されるようなことに……」


「俺は当時、都の警察隊に所属していてね」


「都の警察隊って、それ、なかなかすごい組織じゃないの?」


 田舎暮らしのあたしでも知ってるくらいだ。選ばれた人しか入れない、とにかく精鋭揃いの組織だって聞いたことがある。


「そんなことはない。まだ歴史の浅い組織だから、詳しく知られていないんだろうが、ごく普通の組織だ」


 これを聞いて、ティルがどうしてラッタとトーマスに勝てたかがようやくわかった気がした。強いのは当たり前だ。警察隊の人間なら訓練とかで鍛えてて当然なんだから。冷静な態度も、暴力を見逃さない正義感も、ちょっと硬い口調も、警察隊にいたって聞けば納得だ。


「主な任務は治安維持と事件捜査で、俺は捜査を担当していた。都を中心に数ある犯罪集団を検挙するため、毎日励んでいた。その中で間もなく検挙に至りそうな犯罪集団がいたんだ。ガルト一味と呼ばれる盗賊団……やつらは手段を選ばない極悪非道な集団だった。暴力は元より、殺人もいとわない。金のためなら何でもやる悪人だ」


「都って、そんな恐ろしい人間がいるんだ……」


 ラッタとトーマスのやり口が、まるで子供みたいに聞こえてくるよ。


「一味を率いる頭はブリス・ガルトという名で、通称ウルフと呼ばれていた。狼の群れのように、標的を追って一斉に襲いかかっては食い散らかす様から、そんな名が付いたらしい。そのあだ名通り、ブリスは狼のように牙をむく凶暴な男で、それは時に仲間にも向けられていた」


「仲間にも、ひどいことを?」


「やつは短気な男で、気分が悪ければ周りに当たり散らすような性格だったようだ。そんなだから仲間は大勢いても、信用はなく、金でつながるだけの仲でしかなかった。ガルト一味の瓦解は必然とも言えた」


「瓦解? 仲間割れでもしちゃったの?」


「そんなところだ。ブリスに嫌気が差したある仲間が、俺達に情報提供をしにきたんだ。それを足がかりに警察隊は検挙に動いた。だがやつらは激しい抵抗をして逃げていった」


「逃がしたの?」


「ブリスと、やつと親しい数人はな。だが他の仲間は捕らえることができた。頭に捨て駒にされたと思ったやつらは、その恨みからあらゆる情報を話してくれた。強盗計画から交友関係まで。おかげで警察隊はブリスの動きをある程度読めるようになった。けれど、そこからブリスは表に姿を見せなくなってしまったんだ」


「雲隠れってやつだね」


「ああ。あと一歩というところで、俺達は足留め状態になった。敵を見失って、少し気が抜けてしまったと言えばそうなんだろうな……」


 そこでティルの話が止まったと思った時、雑草だらけの細い道を抜け出し、あたし達はようやく広く見通しのいい街道に出た。


「……やっと歩きやすい道になるな」


「ふう。これこそ正しい道だよ。……で? その後ティルはどうしたの?」


 南へ歩き出すティルの横に並んで、あたしは服に付いた葉っぱを払いながら話を聞いた。


「俺の恋人――ローズとは、もう三年の付き合いだった。仕事にも慣れ、金の余裕もできてきて、そろそろプロポーズをしてもいい時期だと思っていたんだ」


 ローズ……それがティルの、恋人の名前か……。


「休日に、彼女のお気に入りだった湖のほとりで、俺は指輪を渡すつもりでいた。いつもと変わらないデートのふりをしてね」


「彼女は泣いて喜んだ……?」


「驚いて、喜んではくれたと思う」


「何か、中途半端な言い方だね」


 ティルは悔しさとも悲しみとも取れる表情になると、道の先を見据えたまま言った。


「ローズの指に指輪をはめた直後、俺達は襲われたんだ。やつらに……」


 胸の鼓動が一度、大きく鳴って動いた。


「まさかそれって……」


「数ヶ月ぶりに見た、ガルト一味だった。数は大きく減っていたが、頭のブリスは変わらない姿で目の前にいた」


「どうしてティルが狙われたの? 警察隊だから?」


「だろうな。それ以前に、同じ警察隊の人間が襲われる事件が起きてはいたんだ。だがその犯人はまだわからず、未解決の状態だった。だがブリスが漏らした言葉で、それもやつの仕業と確信できた」


「何て言ったの?」


「目障りな警察隊は、俺達がどんどん片付けてやる――やつらは追っ手を牽制するためか、単なる復讐のためか、警察隊の俺を始末しに来たんだ。一緒にいたローズもろとも……」


 空を仰いだティルは静かな溜息を吐く。あたしは、何て言えばいいのか……。


「無関係な人間まで……ひどすぎる」


「休日で、何の武器も持っていなかった俺は、素手で抵抗するしかなかった。だがそれで武装した相手に勝てるはずもない。俺から引き離されたローズは、やつの剣で胸を貫かれて殺された。彼女に近付こうとした俺は、その剣で右腕を切り落とされた」


 それが、右腕がなかった理由……恋人のローズに寄り添おうとして……。


「このままじゃ死ぬと思った俺は、まだ走れる体力があるうちに逃げようと思った。ローズを置いて行くことは迷ったが、ここで二人とも殺されるわけにはいかないと、断腸の思いで逃げ出した。追ってくるやつらをまくため、森に入ってひたすら走った。助けを呼べればと思ったんだが、体力の消耗は激しかった。やつらはまけたが、俺は一歩も動けなくなったんだ」


 片腕失いながら走って、一味をまいただけでもすごいことだ。それだけ必死だったんだろう。痛みも苦しみも感じないくらいに。


「でも偶然森にいた者に助けられ、俺はこうして時間を貰えた。ローズを捜す時間を……」


「彼女はまだ、その湖のほとりにいるの?」


「わからない。確かめるまでは。ただガルト一味は金になると見れば何でも売るやつらだ。死体だって例外じゃない」


「し、死体って金になるの?」


「時にはな。どういう使われ方をするかは想像したくないが、皮膚や脂肪、一部の内臓などは闇で売買されていたりする。女性の場合は長くて質のいい髪も売れる」


 人間の身体がばらばらにされて売られるなんて……闇ってどこまで深いんだろう。


「もし、彼女がそんなふうに売られちゃってたら、どうするの?」


「そんな目に遭っていないと思いたいが、そういう事実だとすれば、受け入れざるを得ないな」


 もっと怒りを見せるかと思ったけど、ティルはここでもやっぱり冷静だ。


「ガルト一味に復讐しようとは思わないの? あたしだったら頭にきて、恋人殺したやつらなんか許さないけど」


「俺は復讐がしたいんじゃない。ローズを見つけて、会いたいだけだ」


「でも犯人は今もどっかでのさばってるんでしょ? 警察隊として捕まえないと」


「もう俺は警察隊じゃない。こんな身体になったからな。公に捕まえることはできない。やつらの検挙は向こうに任せるさ」


「じゃあ、ガルト一味は放っておくの? それも何だか悔しくない?」


「聞いてなかったのか? 俺は復讐がしたいんじゃない。……だが、ローズを捜しても見つからない場合、その行方を知っているのはやつらだけだ。ローズの遺体をどうしたか問いただす必要も出てくるな」


「その時は復讐する?」


 ティルがこっちをじろりと見てきた。


「何度も言わせるな。やつらがどうしてようと、俺はもう興味はない。ローズについて聞ければそれでいい」


 あたしはちょっと意外に感じた。恋人を殺された怒りも、検挙まで至らなかった悔しさも、ティルはまるで持ってないみたいだ。ただローズに会いたい一心で、他の感情には目もくれてない。わざとそうしてるのか? それとも本当に負の感情がないのか。犯人に怒りを覚えないなんて、あたしには理解できないけど。


 それはともかく、亡くなった恋人の居場所がわからない事情はこれでよくわかった。遺体がそのまま野ざらしにされてるとして、今も同じ状態で残されてる可能性ってあるんだろうか。誰にも見つけられてなきゃあるんだろうけど、場所が都の外なら、人間以外にも野生の動物だっている。食い荒らされてたり、どっかに持って行かれてたりすることも考えられる。そうなると見つけるのは大変そうだ。でももっと大変なのは、ガルト一味が遺体を金に換えようとしてた場合だ。闇に持ち運ばれてたら、わずかな証拠すら得られないかもしれない。遺体の原形すらないんじゃ、こっちも捜してる恋人かどうか判断もできないだろうし。これって相当難航するんじゃ……。でもまあ、捜し始める前から悩んだって仕方ない。今は都へ早く行くことだけ考えればいい。悩むのはそれからだ。


「……ねえティル、都までは遠いっていうけど、どのくらいなの?」


「徒歩なら、一週間ほどだろうか」


「七日もかかるの? 都に着く頃には体力使い果たしてそう」


「町に立ち寄って休めば大丈夫だ」


「でも、そうするともっと日数かかるよね。一つ提案なんだけどさ、次の町で乗合馬車に乗らない? そうすれば疲れずに早く都へ――」


「エドナ、悪いがそれは無理なんだ」


「な、何で? すごく効率的でしょ? まさか馬が苦手とか言わないよね」


 するとティルはおもむろに立ち止まって、あたしに顔を向けた。


「実は、もう金に余裕がないんだ」


 あたしは首をかしげた。


「何言ってんのさ。財布にあんなに銀貨が入ってたのに――」


 ティルはマントの前を開いて、腰にぶら下がる財布をあたしに見せた。それに思わず目を丸くした。盗もうとしてた時の、いい感じに膨らんだ形はもうなく、いかにも軽そうに痩せてしまった財布がそこにはあった。


「どういうこと? 何か無駄遣いでもしちゃったの?」


「俺達を助けてくれた礼に、渡したんだ」


 助けてくれたって、あの、ナスティフっていう漁村でのこと……?


「礼を渡すったって、限度があるでしょ。余裕がなくなるほど普通渡す?」


「あそこの住民には世話になったからな。医師や助けてくれた夫婦を始め、俺に部屋を貸してくれたり、食事を用意してくれたり、多くの住民が嫌な顔もせず世話をしてくれたんだ。それに感謝する気持ちを表すのは当然だと思うが」


「それはそうなんだろうけど、先のことも考えて渡そうとは思わなかったわけ?」


「一応二人分の宿泊代は残している。食費はやや足りないかもしれないが」


 ……よくわからない。あたしに対してもそうだったけど、ティルはどうして他人に金をケチらず渡したがるのか。命の恩人といったって、大金持ちでもないのに大金をばらまくなんて……あたしとは随分感覚が違うみたいだ。


 でもよく考えてみれば、渡した金の半分はあたしの礼でもあるんだ。溺れて意識が戻らないあたしを、あのおばさんは多分着替えさせたり、温めたり、懸命に助けようとしてくれたはずだ。だから今こうして歩けてるわけで、ティルがした礼はあたしのためでもあるんだ。金をまったく持ってないあたしの代わりに……。そう考えると、金を使わせたのってあたしなのかも。そもそも海に落とされたのだって、あいつらとつるんでたあたしが原因なんだし、宿代も食事代も、全部ティルに払わせっぱなしで、あたしは後を付いていくだけ……迷惑ばっかで、まだ何の役にも立ってないんだ。あたしって。


「万が一金が足りないようなら、何か売って足しにするさ。そういうわけだから、乗合馬車は諦めてくれ」


 ティルの言葉に、あたしは深く頷いた。


「わかったよ……ごめん」


「謝るのはこっちだ。深く考えもせず、礼を渡し過ぎたようだな」


「そんなことないよ。ティルは自分の気持ちを表したかっただけなんだからさ。あたしは馬車に乗りたいっていう、単なるわがまま女だ」


「俺も余裕があれば、都まで馬車に乗るつもりだった。だがまあ、ゆっくり景色を眺めて歩くのも悪くないさ。話し相手もいて飽きることはない。……さあ、行こう」


 微笑んだティルと並んであたしも歩き出す――捜す手伝いをする前からお荷物にはなりたくない。もっと積極的に力にならなきゃ。

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