四話

 港町アルビスカへ、のどかな道を歩きながら、あたしは何気なく聞いた。


「確か、都へ向かってるんだったよね。里帰りでもするの?」


「いや、俺にはもう帰る場所なんてないからな」


「じゃあ何しに行くのさ。仕事? ……そう言えば、ティルが何してるのかまだ聞いてなかったね。普段は何やってんの?」


「何も……」


「またまたあ。そんなに金持ってるのに、何もってことはないでしょ。言いたくないの? それともまさか、他人に言えないようなことでも……?」


 いぶかしむ視線を送ると、ティルは苦笑いを浮かべた。


「妙な想像はしないでほしいね。今は本当に何もしていないんだ。都へも仕事で行くわけじゃない」


 あの二人を追い返しちゃうくらい強いから、何か身体とか力を使う仕事でもしてるのかと思ったのに。


「仕事じゃなきゃ、何しに行くの?」


 これにティルは少し黙り込んだかと思うと、おもむろに答えた。


「……恋人を捜すためだ」


「え……?」


 胸がずきりとした。恋人が、いるの……?


「で、でも、前に恋人はいないって言ってなかった……?」


「ああ、いない。捜しているのは、亡くなったかつての恋人だ」


「亡くなった、人を……?」


 不安定に揺れてた気持ちが、そう聞いてぴたりと治まった。……はあ、よかった。もう死んでる人を捜してるのか。


「それって、元恋人の墓を探すってこと? つまり墓参りに行くんだ」


 ティルはうつむいて沈んだ表情を浮かべた。


「俺は、最後まで側にいてやれなかったんだ。いてやらないといけなかったのに……」


「ど、どうしたのさ。何をそんな暗い顔で……」


 思い詰めたように言うティルをあたしはのぞき込む。するとその目はこっちを見ると、力ない笑みを見せた。


「……すまない。暗くなりすぎだな。でも俺は詫びないといけないんだ。その責任がある」


「詫びるって……」


 力ない笑みの中には、底知れない悲しみの色が浮かんでる。それだけでわかる気がした。ティルが死んだ恋人を、どれだけ想ってるかを。それにしても、詫びるって一体――あたしは聞いていいか迷いつつも、意を決して聞いてみた。


「元恋人の死に、ティルは関係してるの……?」


 聞くと、ティルの青い目がこっちを向いた。その視線に気まずさを感じて、あたしはすぐに顔をそらした。


「ご、ごめん。深く聞きすぎだね……」


「また妙な想像でもしたか」


 再びティルを見れば、こっちを見る青い目には笑みがあった。いつもの顔に戻ってくれた……。


「ティルがそんな顔するからでしょ。聞きたくもなっちゃうよ。でも、言いたくなきゃそれでいいけどさ……」


「エドナには関係のない話だ。無駄話を聞かせてしまったな」


「べ、別に無駄じゃないよ。ティルのこと、少し知れた気がするし」


「俺も、ここまで案内されて、お前のことを少し知れた気がする。でも残念だが、ここでお別れだな」


 え、と顔を上げた時、肌を叩くような強い風が吹いてきて、そこに混じる潮の香りが鼻をかすめてった。先を見れば、いつの間にかきらめく海を背景に、もう間近まで建物が並ぶ街並みが迫ってた。


「アルビスカだ。ここまで案内してくれて助かったよ。おかげで予定より早く到着できた」


 あたしは呆然とアルビスカの町を眺めた。もう着いちゃったの? あたし、まだティルと別れる覚悟なんてしてないのに……。


「言葉だけの礼じゃ不満だろう。……取っておいてくれ。これはもともとエドナに渡した金だ」


 財布から一つかみの銀貨を取り出して、ティルはあたしに差し出す。……また同じ光景を見せられてる。あの時とは状況が違うし、これは正当な礼だ。でもあたしはやっぱり受け取るなんてできない。そんなことすれば、あたしはティルと別れるしかなくなるから。


「……遠慮するな。受け取ってくれ」


 あたしはもう、この金よりもどきどきして強く引かれるものを知ってしまったんだ。どっちかしか選べないなら、あたしは当然、こっちを選ぶ――銀貨をつかんだティルの手を、あたしはそっと押し戻した。


「エドナ、だから遠慮は――」


「そうじゃないよ。礼は……まだいらない」


 小首をかしげてティルが見つめてくる。


「あたしはまだ、あんたに最後まで付き合ってないからさ。言ったでしょ? 引き受けたからには最後までって」


「それは道案内のことだろう。この先の案内は必要な――」


「案内のことは置いといて! ティルは、ほら、元恋人の墓を探すんでしょ? 探すなら人手が多いほうがいいに決まってんだからさ」


「……まさか、一緒に探してくれるのか?」


「そんな話聞いちゃ、手伝ってあげないわけにはいかないでしょ。ダワースの町じゃ、あいつらから助けてもらったことだし……」


 急遽こじつけた理由だけど、どうにか無理なく言えたかな。本当はティルとまだ別れたくないからだなんて、正直に言ったら絶対面倒くさがられるだろうし。


「恩を感じて一緒に探すというならやめてくれ。俺のためにわざわざ時間を割いてもらうことは――」


「そ、そういうことじゃないから! 恩とか感謝じゃなくて、あたしはただ、ティルのことを手伝ってあげたいなって、そう思って……もしかして迷惑?」


 不安になって聞くと、ティルは苦笑いを見せた。


「そんなことはないよ。ありがたい申し出だ。けれど、そうなるとエドナはここを離れることになるぞ。何か困ることもあるんじゃないのか?」


「そんなのあるわけないよ。あたしはその日暮らしで転々とする生活を送ってたからね。家とか家族とか縛られるものは何一つないんだ。気にしないで」


「そうか。そういうことなら……しかし、本当にこんなこと――」


「手伝うったら手伝うの! あたしはティルと一緒に行く! そっちに問題なんてないでしょ?」


 驚いたように瞬きするティルを見て、あたしは大声を出し過ぎたことに気付いた。居住まいを正して、改めて聞いてみる。


「……一緒に、探させてよ。じゃないとあたしの気持ちが、収まらないんだ」


 するとティルは、ふっと笑い声を漏らした。


「な、何がおかしいのさ」


「いや、嬉しいんだ。そこまで言ってくれることにね……わかった。それじゃあお願いするよ。一緒に、探してくれ」


 笑顔のティルを見て、あたしの心はこれまでになく弾んだ。


「任せといて! あたしが見えない隅々まで探してあげるからさ」


 やった! まだ別れなくていい。まだティルの側にいられるんだ。たったそれだけのことで、こんな幸せな気持ちになるなんて。我ながら、ここまで乙女な自分がいたことにびっくりだ。でもそんな自分が今は心地いい。


「じゃあアルビスカに入ろう。そこで着船の時間を――」


「あ、その前に一つ、お願いがあるんだけど……」


「願い? 何だ」


「船の切符代、出してくれないかな……?」


 一瞬真顔になるも、ティルはすぐに笑った。


「わかっている。言われなくても出すつもりだった。……まさかとは思うが、俺を手伝うと言ってくれたのは、このためか? 仕事探しで都へ行きたいから――」


「なっ……誤解だよ! あたしは純粋に手伝いたかっただけだ! そんな言い方ひどいじゃないか!」


 確かに都へは行きたかったけど、ティルに対してそんな下心は持ってない。あたしはスリだし、信用がないのはわかるけど、そう言われるのはちょっと悲しいし、傷付く。


「す、すまない。冗談のつもりだったんだが、笑えなかったな」


「どこが笑えると思ったのさ。向こうに着いたら酒の一杯でもおごってよね」


「悪かった。そうするよ。……何だ?」


 あたしはティルをのぞき込んで笑ってやった。


「これはあたしの冗談。酒なんかいらないから、早く船に乗ろう」


 ティルの背中を押して、あたしはアルビスカへ急かした。急ぐ必要はないのに、身体は勝手にうきうきしちゃう。こんな楽しくて幸せな気分になれるなら、恋っていうのもいいもんだ。もしこれが叶って、ティルと両想いになれたら、その時はあたし、どんなふうになっちゃうんだろう――そんな自分を想像しようとしたけど、あたしはやめた。将来ほど不確実なものはないんだ。訪れないかもしれないことを考えるより、今はできることを考えなきゃ。ティルのためにできることを。


 アルビスカは港町だけあって、これまでの町よりは人も建物も多くて活気もある。南から運ばれたいろいろな食材に、質のよさそうな品物が店の軒先に並んでる。それを多くの買い物客や商人が買ってる姿がある。ここは景気がよさそうだ。そんな光景を眺めてると、スリとして指先がうずいてくるけど、ティルの前では我慢だ。やめろって言われちゃったからね。


「船はもうすぐ来るみたいだ」


 船着き場で予定を確認したティルは、同時に買った乗船切符をあたしにくれた。その言葉通り、船は十分後に港に着船した。


「でっかい船……」


 あたしが見たことある船は、手漕ぎ舟か漁船くらいだけど、今目の前に浮かぶのは見上げるほど大きな帆船だった。木造の船体に青い空に広げられた真っ白な帆。あれが風を受け止めて海の上を走るんだ。この船は当然だけど、実は船っていうものに乗るのは、今回が初めてのことになる。そもそも海も数えるほどしか見たことないんだ。あたしの縄張りは緑に囲まれた田舎だったから、海も船も生活になかった。世の中にはこんなでっかい船が存在するんだなって、何だか圧倒されちゃう。


「エドナは、こういう船に乗ったことはないのか?」


「うん、初めて。すごく揺れるの?」


「波が高くなければ大丈夫だ。出航時刻までまだあるが、乗って中を見てみるか?」


「そうだね。どんな感じか見てみたい」


 船からの荷下ろしが続いてる脇を通って、あたし達は乗船した。広々とした甲板には積荷をさばく船員達がてきぱきと動き回ってる。それを邪魔しないように船のへりに行って、そこから輝く海を見渡した。


「やっぱり、海は広いもんだね……」


 船が大きければ、それが浮かぶ海はもっと大きい。まだ海を知らなかった頃は、大きな湖と同じようなものだと思ってたけど、まるで別物だと知ったのはほんの数年前のことだ。田舎にずっといると、人間は無知なままだ。


「この船は湾を縦断して南へ向かう」


「……湾?」


「目の前の海は、陸地に入り込んだ入り江なんだ。だから右へ行けばこことつながる陸地へ、左へ行けば大海へ出る」


「じゃあ、それって船に乗らなくても、都へは地続きで行けるってこと?」


「まあそうだな。二つの山を数日かけて越える意思があればだが」


「なるほどね……だから徒歩で都へ行く方法を聞いたことがなかったんだ」


「体力自慢の者でも、山二つを越えるのは難しいだろう。あそこは熊や狼の住み処になっているし、休憩できる集落もない。まして今のような冬の時期は寒さもある。賢明な者なら迷わず港から渡る選択をするはずだ」


「随分詳しいんだね。何度も来てるの?」


「昔、学校で習った話だ」


 そんな他愛ない話で時間を潰すこと一時間。出航を知らせる鐘が鳴って、あたし達が乗る船はようやく動き出した。冷たくも爽やかな風を帆は受けて、その速さは徐々に上がる。遠ざかる港を背にして、初めての船とその綺麗な景色に、あたしはわくわくが止まらなかった。でもそれは最初のうちだけで、楽しかった気分は次第に消えて、代わりにやり過ごせない気分の悪さに襲われた。


「船酔いだな。初めて乗るんじゃ仕方がない」


 船のへりにもたれて動けないあたしの背中を、ティルは優しくさすってくれる。ありがたいし、嬉しいんだけど、今はそんな気持ちを噛み締める余裕もない。頭の中がぐらぐらして、胸がむかむかする……。


「顔が真っ青だ。少し横になって休むか?」


「……だい、じょう、ぶ……」


「そうは見えないけどな」


 その時、胸から何かが込み上げそうになって、あたしは両手で口を塞いだ。


「吐いたほうが楽になるぞ」


 そう言われてもあたしは吐き気を強引に抑え込む。ティルの目の前で吐くなんて、そんな汚いことできるわけないでしょ! ……はあ、吐き気がちょっと治まった。


「船室で休んだほうがいい」


 あたしは首を横に振る。とにかく今はティルの側にいられない。っていうかいたくない。ゲロまみれのあたしを見せるわけにはいかない。


「……ちょっと……一人に、させて……」


「一人じゃ心配だ」


 嬉しい言葉にも首を横に振るしかない。


「ちゃんと……休むから……」


「そうか……じゃあ、また後で見に来るよ」


 さすってくれてた手が離れて、ティルは船の前方へ消えてった。それを見届けて、あたしは船の後方へゆっくり移動した。ここなら他の客もいないし、ティルからも見えないはずだ。また吐き気が込み上げてきても、今度は我慢しないで思い切り吐くことが――


「ううっ……!」


 そんなことを考えてたら早速強烈な吐き気がきて、あたしは船のへりから上半身を出した。そして出したいものを全部出した。えずいた声は波の音で消されたと思いたい。涙まで出て、もう他に何も出すものがなくなって、あたしは身体を戻した。吐くのって、こんなに体力使うことだったんだ。でもティルが言ってた通り、吐いたら大分楽になった気がする。もうちょっと休んだらティルのところに戻れるかな――海に背を向けて、へりに寄りかかろうとした時、さっきまではいなかった二人の人影がすぐ目の前に立ってて、あたしは驚いてその顔を見つめた。でもそれでさらに驚いた。二度と会いたくなかった顔――ラッタとトーマス……!


「な、何であんた達が……」


 突然すぎることに、あたしは蛇に睨まれたカエルのように動けなくなった。どうしてこいつらが同じ船に乗ってるの? まさか、ダワースからずっとつけてきてたの……?


「よお。随分と具合悪そうじゃねえか」


「慣れない船に乗ったせいで、俺らのことに気付かなかったみてえだな」


 二人はにやついた顔でこっちににじり寄ってくる。


「何の、用さ……」


「言ったよな。覚えてろって」


 ……ここじゃ逃げ場がない。どうしよう。


「あれで済むと思ってたわけじゃねえよな?」


「目障りな連れもいねえみてえだし……覚悟しろや」


「覚悟って、何――」


 言葉も聞かずに、ラッタはあたしの首をいきなりつかんできた。


「やめ……誰か――ぐむ!」


 助けを呼ぼうとすると、ラッタのもう一方の手があたしの口を塞いだ。


「トーマス、足を持ち上げろ」


 指示されたトーマスはその通りにして、あたしの身体を船のへりに乗せた。ちょ、ちょっと、何する気なのさ! やめて、やめて――


「金返さねえなら、死んでもらうしかねえだろ?」


「――!」


 殺される、あたし、殺される……!


 二人は確認するように互いの顔を見る。そしてラッタが暗い目付きでこっちを見て言った。


「死んでも許さねえけどな」


 直後、押さえられたあたしの身体は背後へ傾いて、そのまま落ちてった。その視界には下卑た二人の笑顔と、晴れ晴れとした青空が見えた。海に落ちる――そう思ったのと同時に、あたしは冷たい海に勢いよく沈んで、ごぼごぼと自分が吐き出す息の音と泡に包まれた。


「……っはあ! たっ、助け……」


 必死に両手でかいて水面まで上がれたものの、波の揺れで顔を上げ続けられず、何度もしょっぱい水を飲んでしまう。あたしは泳ぎなんて習ったことないし、実際に泳いだこともないんだ。今が初めて泳いでる瞬間だ。いや、溺れてるんだ。どんなに手足を動かしても全然身体は浮き上がってくれない。こうしてもがけばもがくほど、全身が冷たくなって、動きが重く、億劫になってく。


「――エドナ!」


 頭上から声が聞こえた。波を浴びながら視線をどうにか上げて見ると、二人の影の他にもう一人の影が見えた。船から身を乗り出してあたしのことを呼んでる――ティルだ。


「がぼ……がはっ、助け、て……!」


 水が目に入ってよく見えないけど、三つの影は動いて、何か揉み合ってるようにも見える。そのうち人影の数が増えてきて、ティルがどこにいるのかわからなくなった。寒くて、苦しくて、もう、身体が動かせない。限界だ――


「エドナ! 助けに――」


 ティルの声を聞いた気がするけど、最後まで聞く前にあたしの身体は海の中に沈んで、視界も意識も暗いどこかへ呑み込まれてった。

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