三話

 空は綺麗な夕焼けに染まってる。森へ帰っていく鳥の鳴き声が響く中で、あたし達はダワースの町に到着した。


「ちょうど日暮れに着いたな。エドナが言っていた通り、近道を通らなければとっくに日が暮れて辺りは暗闇に包まれていただろうな」


「あたしの案内、ちゃんと役に立ってるでしょ?」


 聞くとティルは微笑む。


「ああ。この調子で明日も頼む。今日はこの町で一晩泊まろう」


「泊まるってことは、宿屋に、ってことだよね」


「他に泊まれる場所があるのか?」


「ないけどさ……あたし、そんな金持ってないんだけど」


 宿に泊まるのはスリでの稼ぎがよかった日だけで、悪かった日は他人の家の軒下とか、空き家を見つけて休んだりするんだけど、ティルを見つける前、あたしはまだ稼いでなかったから、宿に泊まれるほどの金は持ち合わせてない。


「あたしだけ馬小屋にでも泊まることになりそうだな……」


「そんな心配はいらない。宿代なら俺が出すよ。案内してくれた礼だ」


 まったく渋る様子もなく、ティルは笑顔で言ってくれた。それをあたしはじっと見つめた。


「……あんたさ、何であたしに金使ってくれるの?」


「だから案内の礼だ。それに女性を外で休ませるなんて危険だろう」


「それはわかるけど、あたし、あんたの財布盗ろうとしたんだよ? 親切にするような相手じゃないよ?」


「盗ろうとしたが、盗ってはいない。今は盗らないとも言ってくれた」


「あたしを、信じてくれてるの?」


「どうかな……これからのエドナ次第だ」


「あんたが寝てる間に、盗っちゃうかもしれないよ?」


「……そうなのか?」


 じろりと青い目が向けられて、あたしはなぜか言葉に詰まった。


「あ、だから、その、たとえばって話で……」


 ティルはすぐに表情を緩めた。


「何にせよ、エドナだけ外にいさせるわけにはいかない。金の心配は不要だ」


「宿代、あとで返せって言われても、返せないよ?」


「俺はそんなケチな男に見えるか?」


「見えないけどさ……」


 むしろ寛大すぎるくらいだ。


「気にするな。じゃあ宿を探そう」


 歩き出したティルの背中を見ながら、この男はつくづく不思議に思えた。自分を狙ったスリに対して、金を渡そうとしたり、宿に泊まらせたり……一体どういう思考をしてるんだろう。確かに盗らないとは言ったものの、スリの言葉を普通誰が信じるのか。別に裏切って悪さをするつもりはないけど、それにしてもティルの理解ある言動には、逆にこっちが心配になってくるほどだ。世の中、あたしみたいな甘い人間ばっかりじゃないのに。


 夕暮れのダワースの町には夕食を作るいい匂いが漂い、通りには家路につく人達が点々と歩いてる。大きな町じゃないし、店の数も数えるほどしかないから、宿はすぐに見つかるだろう――そうして辺りを眺めながら歩いてた時だった。


「……なっ!」


 通りの反対側から歩いてくる男二人組を見て、出そうになった声を慌てて止めた。……あいつらは、間違いない。前にちょっとだけつるんでたことのある、ラッタとトーマスだ。よりによって何でこんなとこにいるのさ……!


 知り合いだと気付いた直後、向こうの目があたしを見つけて止まった。やばっ、あっちも気付いた――あたしは咄嗟に顔をそらして、ティルの陰に身を隠した。


「……どうかしたのか?」


 あたしの動きを見てティルが聞いてくる。


「え? どうもしないけど? 宿、探してるだけだし」


 怪訝な表情ながらも、ティルはそれ以上聞かないで宿探しに戻った。……あいつら、完全にあたしに気付いてた。まさか後ろから追ってきてたりしないよね。確かめたいけど、振り向くのも怖いし、嫌だな……。


「宿があったぞ。部屋が空いているといいが」


 ふと見れば、ティルの止まった目の前に宿泊と書かれた小さな看板を掲げる建物があった。見た感じ、古そうであんまり綺麗じゃないけど、宿屋には違いなさそうだ。


「は、早く入ろう」


「わかっている。何を急いでいるんだ?」


 宿の質より、あたしは背後にいるかもしれないやつらから離れたくて、ティルの背中を押して急いで宿屋に入った。


「……二人でお泊まりかい?」


 カウンターの向こうの気だるそうな主人がティルに聞く。


「ああ。二部屋を――」


「エドナ! 目が合ったのに詫びもなしか?」


 穏やかじゃない大声に、あたしは心臓が飛び出しそうな驚きで入り口を振り返った。


「よう、しばらく見ねえうちに、口がきけなくなったか?」


 開けられた扉を背にして、大男のラッタと痩せのトーマスが威嚇する目でこっちを睨んでた。……やっぱり、まさかだったか。


「……エドナ、彼らは知り合いか?」


 ティルがあたしに聞いてくる。


「知り合いっていうほど、あんまり、知らない、けど……」


「とぼけんじゃねえよ。よく知った仲だろうが。……あんた、悪いけどこれはそいつと俺らとの話だ。黙っててくれるか」


「あたしには、話すことなんて何もないし……」


 そう言うと、二人の睨む目がさらに鋭くなった。


「おいおい、マジで言ってんのか? てめえのしたこと、忘れたとか言わせねえぞ」


「ここで会ったのも運命ってやつだ。ひどい目見たくなきゃ、観念して金、返せよ」


 うう……逃げ場のないこの状況、一体どうしたらいいの……?


「金って、エドナ、まさか彼らから――」


 怪しむティルに、あたしはぶんぶんと首を横に振った。


「そ、それは違う! スリはしてないから」


「だが、彼らは金を返せと……」


 ああもう、正直に言うしかないか――


「……実は昔、そいつらとつるんでた時期があってさ。いろいろと盗みを繰り返してたんだけど、気が合わなくて何年か前に別れたんだ……」


 つまり二人はあたしの仕事仲間だった。一人でふらふらしてるところを、もともと組んでたラッタとトーマスに声をかけられて、一緒に仕事をする仲になった。最初のうちは上手くいってると思ってた。でも次第に二人のやり方に嫌気が差し始めた。二人はスリだけじゃなく、強盗に押し入ったりして、見つかれば躊躇なく暴力で脅した。標的も見極めることなく、金持ちも貧乏人も関係なく、手当たり次第に盗んでった。そこには危機管理ってものが少しもなくて、二人はまるで強盗を生活のためじゃなく、娯楽みたいにやってた。傍から見てたあたしは、このまま付き合ってたら間違いなく二人の道連れだと感じて、怖くなって何も言わずに別れたんだ。


「そう。俺らが貯めた金を持ち逃げしてな」


「あ、あの金は、ほとんどあたしの金だ。あんたらは盗んだ金は、その日のうちにほとんど使ってたじゃないか!」


 三人の共同貯金として、それぞれ盗った金の一部を貯めておく約束をしたのに、二人がそれを守ることはなかなかなかった。運よく大金が盗めた日でも、二人は贅沢三昧をしてあっという間に使い果たした。律儀に金を貯めてたのはあたし一人だった。だからあの金はあたしのものって言っても何も間違いじゃない。


「あれは三人の貯金で生活資金だった。誰が一番金を出そうと、三人の所有物っていう約束をしたはずだ。それをてめえは独り占めしやがった」


「約束破るなんて、よくないよな。悪いことしたら、反省の態度を見せないとな。常識だろ?」


「金なんて、もうないよ」


「嘘つくんじゃねえよ」


「嘘じゃない! あんたらとしたことのほとぼりが冷めるまで、大人しくしてたから、その間の生活費で全部使ったよ」


「ふざけんな。どうせどっかに隠してんだろ」


「本当にないってば! ほら、ほら……」


 あたしは自分の全身に手を這わせて、どこからも金の音がしないのを証明した。


「……わかったでしょ。あの金はもうないの。だから――」


「なきゃ大人しく帰るとでも思ってんのかよ。馬鹿か?」


「持ってねえなら、弁償してもらうしかねえな」


 嫌な目付きで二人はこっちにゆっくり近付いてくる……本格的にまずそうだ。


「弁償ったって、あれはあたしの金で――」


「俺らのために稼ぐくらいできるだろ」


「元の金に迷惑料、上乗せした額な」


「そうだな、一週間で持ってこいよ。こんなに時間やるなんて、優しいだろ?」


 こいつら、めちゃくちゃだ……。


「返す気なんて、ないから。何言ったって無駄だよ」


 するとラッタの表情に殺気立ったものが浮かんだ。何か、やばそう。


「優しい顔するとすぐこれだ。じゃあ少し、痛い目見と、け!」


 ラッタの右手が振り上がって、あたしの顔に飛んでくる。やっぱりこいつらは暴力に訴えるんだ――あたしはぎゅっと目を瞑り、身を硬くした。


「やめろ」


 声と同時にあたしの前に誰かが割り込む気配があった。この場にそんな人は一人しかいないとわかりつつ、そっと目を開ければ、予想通り薄汚れたマントの後ろ姿があって、ラッタの振り上げた手をつかんで止めてた。


「……黙ってろって言ったよな」


「だからしばらく黙っていたが、暴力は見逃せない」


「あんた、エドナの連れか?」


「彼女には道案内を頼んでいる。今どこかへ行かれては困るんだ」


「道案内? ははっ……へえ、なるほどね」


 ラッタはティルの肩越しにあたしを見た。


「エドナ、こいつから盗む気だったのか? 道案内するふりしてよ」


「そ、そんなこと、もうしない!」


「そうだ。エドナは俺から盗んだりしない」


 思わずはっとティルを見上げた。あたし、二度も盗もうとしたのに、それなのに、はっきりこんなこと言ってくれるの……?


「彼女は金を持っていない。よければ俺が代わりに金を返してもいいが」


「なっ、何言ってんのさ! こいつらに返す必要なんか――」


「金が戻るならそれでもいいぜ。で? いくら持ってんだよ」


「渡せるのは、これくらいだ……」


 ティルは財布に左手を突っ込み、銀貨を一つかみ分出した。あの時とまるで同じだ。


「……足りるか?」


 二人は大量の銀貨を見下ろし、次に互いの顔を見合わせると言った。


「駄目だな。全然足りねえよ」


 その顔には下卑た笑みが浮かぶ。こいつら、足下を見て――


「それで足りるはずでしょ! むしろ多いくらいだし!」


「エドナ、俺らは迷惑を被ってんだよ。その分が足りてねえ。……なあ、あんた、その女の肩代わりしてえなら、その財布ごと渡すのが手っ取り早いぜ?」


「ティル、そいつらに金なんか渡さなくていいよ。足りないなんてでたらめなんだから」


「てめえ、自分のしたこと棚に上げて、よくもそんなことが言えるな。やっぱ痛い目見ないとわかんねえらしいな……」


 近付こうとしてくるラッタの前に、ティルは立ち塞がった。


「この金で納得してもらえないのなら、俺に肩代わりはできそうにない」


 そう言ってティルは、つかんでた銀貨を財布に戻した。そうだ。お前らにやる金は一枚だってないんだ。


「ほお、そうかい。じゃあ金は返さねえってことか?」


 二人は肩や首を回して、威圧的な態度を見せてくる。……そうだよね。結局最後は暴力で解決しようとするんだ。でもどうしよう。あたしは金なんてないし、ティルにも払ってもらいたくない。一体どうすれば……。


「ちょ、ちょっとお客さん、うちの宿で揉め事は困るんだがね」


 後ろで傍観してた宿の主人が恐る恐る言った。


「うるせえなジジイ! 静かにしてろ!」


「ひいっ……」


 怒鳴られた一声で主人はカウンターの裏に隠れてしまった。できればあたしも隠れたいよ……。


「……エドナ、覚悟できてるんだろうな」


「ないものは、ないんだから……」


「じゃあ俺らのために稼ぐ気になるように、わからせてやるよ」


「く、来るなってば!」


「彼女に近付くな」


 するとティルはまた壁となって二人を止めた。


「……あのさ、あんたは無関係だろ。一緒に殴られたくなきゃさっさとどきな」


「言ったはずだ。暴力は見逃せないと」


 毅然な態度のティルに、二人の表情が変わった。


「つまり、てめえも一緒に殴られたいってことか?」


「お前達が手を上げるのなら、俺も容赦はしない」


「ティル、あ、あんまり強気なことは……」


 痩せのトーマスはともかく、大男のラッタはその体格からもわかるように、力で相手をねじ伏せてくる。そうして何十人から金を奪い取ったことか。喧嘩慣れもしてるから、簡単に勝てるような相手じゃない。下手に刺激すると、とんでもない目に遭わされるかもしれない危ないやつだ。


 そんなあたしの心配を知らず、こっちをいちべつしたティルは言った。


「下がっていろエドナ。お前には手を上げさせないから」


「え……」


 口元にうっすらと笑みを浮かべたティルの横顔に、あたしの時間は一瞬だけ止まった。何、これ……?


「へへっ、なら、遠慮なくぶん殴ってやるよ。それでその金、全部で肩代わりしてもらうぞ……!」


 我に返ると、目の前ではラッタがティルに殴りかかる寸前だった。もう駄目だ。あいつに殴り合いで勝てるやつなんかどこにも――


「ぐふっ……!」


 その光景にあたしは目を見開いた。ティルが一発食らうかと思った時、ラッタの拳は素早くかわされて、逆にティルの拳がラッタの右頬に入ってた。まさか先にラッタがうめき声を上げるとは……。


 本人も驚いたのか、少しよろめいて後ろに下がると、トーマスに支えられてティルを睨んだ。


「この俺に一撃食らわすとは……やるじゃねえか」


「もう一度食らいたくなければ消えろ」


「はあ? もう勝った気でいるのかよ。なめたこと抜かしてんじゃ……ねえぞ!」


 本気になったラッタがまた殴りかかった。今度こそぼこぼこにされる――と思ったら、ティルはまた攻撃をひらりとかわして、突っ込んできたラッタの足を蹴り上げた。


「ぬわあ――」


 不意を突かれたラッタの身体は前に飛び込むように倒れた。


「てめえ……!」


 それを見てトーマスも殴りかかってきた。ラッタほどの強さじゃないけど、こいつも喧嘩慣れはしてる。油断すればすぐに負けちゃう相手だ。でもそんな心配も必要ないかのように、ティルは拳を振り回してくるトーマスを冷静に見ながら隙をうかがい、そしてここぞという瞬間に左拳を顔に突き入れた。


「ぶふっ……」


 まともに食らったトーマスは衝撃で壁にぶつかると、そのままずるりと床に倒れて顔を押さえる。すぐには立ち上がれそうにない。やつをたった一発で黙らせるなんて、ティルって実は見た目以上に強いの?


「……さあ、どうする? 床に倒れた状態でまだやるか?」


 ティルは振り返ってラッタを見た。身体を起こしたラッタはティルをものすごい形相で睨み付けてる。その怒りは尋常じゃなさそう。これまでならもう手が付けられないけど……。


「俺を、なめんなよ! ぶっ殺してやる!」


 立ち上がったラッタの手元を見て息を呑んだ。いつの間にかナイフが握られてる。本当にティルを殺す気だ。急に武器を持つなんて、これじゃさすがのティルも劣勢になっちゃう。素手でナイフには立ち向かえない。


「ティル、逃げて! ナイフを持った相手じゃ――」


 言い終わる前にティルはあたしに視線を送って言葉を止めた。……何か策でもあるっていうの?


「……いいだろう。殺す気で来てみろ」


 そう言うとティルはマントの前を開き、左腕を腰の後ろへ回して何かを取り出した。幅広な刀身が綺麗に手入れされてるダガーだ。……武器、持ってたんだ。財布ばっか気にしててまったく知らなかった。でもダガーならやつのナイフより大きいし、十分対抗できるはず。勝ち目はある!


「……てめえ、もしかして左腕一本だけなのか?」


 ここでラッタが今さらな確認をしてきた。マントの前を開いたことで、右腕がないことに気付いたのかもしれない。


「だったら何だ」


「へっ、腕一本のやつに、二本腕のやつが負けるわけにはいかねえよな」


 手の中でナイフを回しながら近付いてくると、ラッタは不敵な笑みを浮かべて対峙した。それを見てティルも身構える。そして――


「おら!」


 ラッタがナイフで襲いかかった。さっきよりも速い動きで、空気と一緒にティルを切り刻もうとしてくる。そのティルは少しずつ動きながら反撃の隙を探してる感じだ。


「てめえの弱点はわかってんだよ!」


 攻撃を避けてティルの身体が半身になった時、ラッタは左手でティルの腕をつかんだ。


「くっ……」


 ティルと一緒にあたしも思わず声が漏れそうになった。ダガーを持った手を止められたら、反撃のしようがない。ほぼ無防備と言っても過言じゃない。


「腕一本ってのも、不自由なもんだなっ!」


 もう一方で握られたナイフが、ティル目がけて突き出される。卑怯な――


「んな……!」


 直後、ティルは咄嗟に体当たりしてラッタの動きを止めると、腕をつかむ手を振りほどいてダガーを振った。


「うっ」


 その刃はラッタの右手の甲を切った。でもナイフはまだ握られてる。


「く、くそが!」


 傷を負った手でナイフを振ったところを、ティルはダガーで弾いた。キンっと音を鳴らしてナイフは飛んで行き、離れた床に落ちた。やった! これでやつはもう攻撃を――


「負けてたまるかよ!」


 ラッタは諦め悪く、素手でつかみかかろうとする。でも当然ダガーの刃に阻まれて、逆に傷を増やしてく。それでもまったく諦めない相手に、ティルは一度攻撃をかわすと、隙のできた横からラッタの頭目がけてダガーを振った。その一撃でラッタはあっさり床に倒れ込んだ。……まさか、死んじゃった? あたしは恐る恐る近付いてラッタの様子を見た。


「……ぐっ、うう……」


 ラッタは頭を押さえてうめいてた。どうやらティルはダガーで切ったんじゃなく、その柄で殴ったらしい。こんなやつ、死んでくれてもよかったけど。


「勝敗は付いただろう。もうエドナに構うな」


「くっ……そ」


 まだ痛そうな頭を押さえながらラッタは鈍い動きで立ち上がった。


「てめえ……絶対許さねえからな」


 血走った目があたしをとらえて見据えてきた。こ、怖すぎる……。


「早く消えろ」


 そう言ったティルを一睨みすると、ラッタはまだ動けないトーマスに肩を貸して、一緒に宿を出てく。と、去り際にこっちに振り返ると言った。


「エドナ、覚えてろよ……」


 負け犬らしいセリフを吐いて、弱り切った二人は外へ消えてった。ようやく目の前の恐怖がなくなって、あたしは安堵の溜息を吐く。


「……厄介な男達だったな。でももう大丈夫だ」


 ダガーをしまいながらティルも一安心したように言った。……それにしても、まさかあいつらに勝っちゃうなんて。あれでもラッタとトーマスはここいらじゃ逆らう同業者がいないほど強いのに、それを子供の相手でもするみたいに勝っちゃうんだから本当、驚いた。この窮地で助かったのはまさにティルのおかげだ。


「あんたがこんなに強いとは思わなかったよ。助けてくれて、その、ありがとね」


 礼を言うと、ティルはマントを直しながら言った。


「当然のことをしたまでだ。もしまた現れるようなことがあれば、俺が追い返してやるから、安心しろ」


 言葉通り、安心させるような微笑みを見せたティルを、あたしはじっと見つめ返してた。……まただ。また、時間が止まったみたいな感覚に襲われた。それと同時に、身体の中がほんのり温かくなる感じ。自分の心臓の音が聞こえる。ティルからなかなか目を離せない――こんな気持ち、おかしい。だってもともとはスリの標的だったのに。それが、好きになっちゃうなんて……。


「主人、もう危険はない。部屋の空きは――」


「わ、悪いが、泊まらせられないよ。あんたらがいると、さっきの男達が戻ってくるかもしれないだろ」


 カウンターの裏から頭だけ出した主人は、相当怖かったのか、あたし達の宿泊を拒んできた。


「さすがに来ないって。そんなこと言わないでさ――」


「嫌なもんは嫌だね! 他を当たってくれ」


「見てたでしょ? あいつらはティルが――」


「エドナ、仕方ない。怖がらせたのは俺達なんだ。他の宿を探そう。……主人、迷惑をかけてすまなかった」


 そう言うとティルは静かに入り口へ向かう。何か納得できないけど、ティルがそう言うなら従うしかなく、あたしは後を追った。


「……ごめん。あたしのせいで」


「お前のせいじゃない。悪いのはあの男達だ。でもこれで少し懲りたんじゃないか? 犯罪で金を手に入れても、その先に幸せなんか待っていない。どうしようもない不幸が待ち構えているだけだ」


「そう、かもね……」


 ラッタとトーマスとつるんだことは、はっきり後悔してるって言える。


「でも、スリを続けてなきゃ、あたしはあんたに助けてもらえず、あの二人に殺されてたかも。そういう意味じゃ、スリやっててよかったって思うよ」


「犯罪を前向きにとらえるな。もうスリなんてやめろ」


「あんたがそう言うなら、まあ……考えとくよ」


 これにティルは小さく笑った。


「さあ、もう一度宿探しだ」


 その後、あたし達は別の宿を見つけてようやく泊まることができた。前の宿よりさらにぼろくて汚いとこだったけど、あたしはそれでも満足してた。どきどきするこんな気持ちは、生まれて初めてだった。

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