第3話 新緑の香
第二騎士団は訓練のために野営に出ていたそうだ。
一カ月ほど侯爵領の森の中で過ごし、王都へと帰還する予定だったとのこと。それがちょうど明日になるとのことで、野営地はすでにあらかた片付けられていたらしい。
とは言っても、メレアネには違いはわからない。今夜必要なものは置かれているし、各所で野営の火を囲んで男たちが食事をしていたからだ。
カウゼンは野営地で火の回りに集まっていた者たちの横を無言で通りすぎた。三十人ほどの集まりではあるが、それは騎士団の一部らしい。交代で訓練に向かうとのことで、一団は約百人規模に相当するそうだ。
そんな彼らは団長に声をかけてくることもなかったが、もの言いたげな様子は伝わってきた。けれどカウゼンの歩みは止まらないので、メレアネも黙ったままだ。彼はそのまま一つの天幕の中へと入った。狭い寝床が一つあるだけの簡素な天幕だが、その寝床の上にメレアネはそっと降ろされた。
「あ、あの……?」
カウゼンがメレアネの顔を覗き込むように見つめてくる。ランプの灯りに揺らめいて、彼の紫色に近い深い青色の髪がさらりと揺れた。瞳はさらに青が濃い藍色だ。ランプの金色が映りこんで、夜空を思わせる。
あまりにも近い距離に、再度どぎまぎしているとカウゼンは身を起こした。
「何か食べ物を持ってくる。腹がすいただろう?」
「あ、いえお腹はすいていないので……」
なぜか空腹は感じなかった。
いつの間にか涙は止まっていたが、喉が渇いている。
言葉を発した途端に張り付くような感じを覚えて、思わず水をと告げれば、彼は頷いて天幕を出て行った。
一人になってみると、外のざわめきが聞こえてくる。
分厚い天幕越しではあるけれど、低い笑い声や騒いでいる声など様々だが、楽しげな様子は伝わってきた。
メレアネはぽつんと寝台に座って、場違い感に途方に暮れる。
婚約者の領地に向かっていたはずが、なぜかガッヅラム侯爵領の森の中。バウガンディ侯爵領は南にあるので真反対にやってきたことになる。
婚約者の安否もわからず、命を狙われる破目に陥った。
家族からは幽霊扱いで、殺したいほど疎まれているわけでもないというのに、一体何があったのか。
ここ数日のことを思い返しても、とくに変わったことはなかった。
そもそもメレアネは日々、変わりない生活を送るだけである。つまり、屋敷で引きこもって時折訪れる婚約者を待つだけの日々だ。
遠くに来てしまったな、と思いながらぽすんと寝台に倒れこんだ。
新緑のような香に気が付いて、この寝台の持ち主に思いを馳せる。黒づくめで大柄な男はどこまでも無表情だ。整った顔立ちだと誰もが認めるほどの精悍な顔立ちには甘さは微塵もない。だというのに、包まれた腕は新緑を思わせる香がした。
似合わないような、ある意味納得してしまうような不思議な心地に、ふと笑みがこぼれた。
セメットを失って、まだ笑えるだなんて信じられない。
思わず目を閉じれば、涙が一粒零れるのだった。
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