第2話 何用で?

セイレルンダに問われたところで、メレアネに答えられることは少ない。


「あ、あの、助けていただいてありがとうございます。私はメレアネ・テセンズと申します」


おずおずと頭を下げれば、セイレルンダがにこりと人好きのする笑顔を浮かべた。

整った顔立ちの優男で、好感が持てる。気やすい態度に、騎士の近寄りがたい雰囲気もない。人慣れしていないメレアネもなんとか言葉を返せるほどだ。

彼はメレアネの名前を聞いて、うーんと唸った。


「テセンズと言えば、伯爵家だね。だとしてもこの馬車は家紋もないし、古臭い安物だ。何の用があってお忍び旅行しているんだか知らないけれど、王都に戻ることをお勧めするよ」

「あ、あの、帰りたいのですが、ここはどこなのでしょうか」

「え、王都の北にあるガッヅラム侯爵領の森の中なんだけど、わかる?」

「ガッヅラム……?」


ぼんやりと昔見たことのある地図を思い浮かべながら、記憶を手繰り寄せているとセイレルンダがにこにこと笑う。


「王都から出たことのない伯爵家のお嬢さんが地図なんて知らないよねえ。えーと、とりあえず王都から半日ほど北に行った森の中だよ」


地図は高価なものだ。とくに政治的にも軍事的にも価値が高いため、滅多と出回らない。確かにたかだか伯爵家のそれも娘が知っているなどおかしな話ではあるのだ。

メレアネは男の言葉にただ素直に頷くだけに留めた。


「そうですか」

「で、お嬢さんはどうしてこんなところにいるのかな。家出してきたというわけでもなさそうだけれど」

「私もよくわからないのですが……婚約者が領地で亡くなったので、遺体の確認として呼ばれたのですが」

「婚約者が遺体の確認? 普通は身内だけでしょう。こんな年若いお嬢さんに遺体なんて見せられないよ」


呆れたようにセイレルンダに告げられて、メレアネもようやく話がおかしいことに気が付いた。


「そう、ですわね……」


言葉を吐いた途端に、ぼろっと涙がこぼれた。

婚約者の死を告げられて、気が動転していたところへ、自分の死を覚悟した。

怒涛の展開からようやく安堵できて、張りつめていた何かが切れてしまったらしい。


「本当に、おかしな話」


何が嘘で、どんな思惑があるのか、メレアネには理解ができない。

セメットが亡くなったことは本当なのか。そんな嘘をついて、メレアネを呼び出して殺すことになんの意味があるのか。そんなことを望む者がいるのか。

いっそ現実味がなくて、酷い物語の中に投げ込まれたかのようだ。


ぼろぼろと泣きながら、うつむいているとにゅっと黒い腕が眼前に現れた。


「お、おいっ?!」


セイレルンダの焦った声音が聞こえた途端に、ふわりと体が宙に浮いた。

そのまま黒い男の腕の中に抱えあげられている。


「警戒するだけ無駄だ。この女は何も考えちゃいない」


どういう意味だろうと不思議になって顔を上げれば、鋭利な顎のラインから男らしい喉ぼとけが飛び込んできた。こんな近くで異性を見たことなど一度もない。セメットは四つも年上で、そのうえ年齢よりも小柄なメレアネを子供のように思っていたのか、一度も手を出されたことがない。十六にもなって口づけはおろか、手をつないだこともないのだ。もちろん抱き締められたことすらも。


カウゼンはセイレルンダに言ったようだった。

にこやかな表情を強張らせた彼は、そのまま深く息を吐く。


「命を狙われてるのはお前だろうが、カウゼン。で、なんでそんなに警戒心がないのさ。こんな場所に馬車に乗ってやってくるなんて怪しい以外の何ものでもないと思うんだけど。それとも、知り合いなの」

「知り合い――」


カウゼンが言いかけたが、メレアネは勢いよく首を横に振った。

こんな黒づくめの男に知り合いはいない。そもそも家族仲もよくない引きこもりである。

社交なんてしたこともなく、デビュッタントすらやっていないのだ。

父も兄も文官で、騎士団長なんて遠い存在も甚だしい。


「だよねえ、カウゼンにこんな可愛いお嬢さんの知り合いがいるなんて聞いたことないよ。それで、このまま野営地に連れていくの」

「仕方ないだろ、ここに置いておくわけにもいかない。どうせ明日には王都に戻るんだ、一緒に連れて行けばいい」

「ああ、まあね」


周囲をちらりと一瞥してセイレルンダは小さく頷いた。

視線の先には剣で切り殺されたオオカミが横たわっている。血の匂いを嗅ぎつけて他の獣が寄らないとも限らない。


「残念だがこの馬車は使えないぞ。ここにあるだけで害になる」

「え、ええ。構いませんわ」


カウゼンが冷たく言い放ったが、メレアネに思い入れはない。

明日、王都に帰る手段があるのなら、この馬車でなくとも結構だ。


カウゼンの視線を受けて、セイレルンダはランプの炎を馬車に近づけた。

それだけで容易く燃え上がる。

乾燥していたのか、それとも馬車はこれほど簡単に燃えるものなのだろうか。


小さく息を呑んだメレアネに構わず、カウゼンは暗闇の中へと進んだ。

しっかりとメレアネを抱え込んだまま――。

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