第52話 王国軍がやってきた

 とある朝。

 屋敷の庭で、アオイは木の棒を手に持ち、クラリッサに襲い掛かった。


「たあっ!」


 クラリッサはその一撃を、似たような木の棒で軽くいなす。


「よっ、ほっ」


 俊敏性を強化してから一週間。

 毎日、このチャンバラを続けているが、一度も擦りさえしていない。

 しかし、これでもマシになったのだ。


 最初は、開始と同時に後ろに回り込まれ、膝カックンされたり、むぎゅっと抱きしめられたり、ニーソックスをなでなでされたりして、稽古にならなかった。

 それがクラリッサの動きを目で追えるようになり、今では体も少しは反応できている。


「うんうん。アオイくん、筋がいいよ。これだけ動ければ、モンスターを捕捉するのが楽になるんじゃないかな」


「うーん……けれどクラリッサさん、露骨に手加減してるじゃないですか。そのクラリッサさんを、なんとか追いかけられるようになっただけです」


「一週間でそれだけできれば凄いってば。アオイくんの適性職業は魔法師なんだし。むしろ、あんまり強くなられたら剣士の存在意義が問われちゃうよ」


 クラリッサはニコニコの笑顔だ。

 アオイにものを教えられるのが楽しいのかもしれない。

 もちろんアオイとしても、クラリッサに勝とうなんて思っていない。強い人だと信頼しているから、指導をお願いしたのだ。

 しかし手加減されすぎて、悲しくなってくる。


 なにせクラリッサは、指輪を装着していない。つまり補正がない素の状態だ。

 その俊敏性は101。

 一方アオイは装備による補正を受けて、俊敏性224。

 倍以上の差。

 なのに圧倒しているのはクラリッサ。


 イリスを追い詰めた姿を見れば、彼女の凄さを理解できる。そして自分で戦ってみれば、その理解はより深まる。


「クラリッサさんって、剣の天才なんですか?」


「え、天才じゃないよぉ。剣士の適性があって、その上で頑張れば、私くらいにはなれるもんだよ」


 クラリッサは嬉しそうに照れつつ、天才という言葉を否定する。

 しかし。


「クラリッサちゃんってまだ十六歳でしょ? 私、色んな人間を見てきたけど、その歳でそこまで剣を使える人、あんまりいないわよ~~。絶対的な戦闘力はともかく、剣に関しては本当に天才だと思うけど~~」


 エメリーヌが話に加わってきた。

 彼女は数百年を生きるドラゴンだ。年月に相応しく、色々なものを見てきたはず。その彼女から見ても天才なら、いよいよ本物である。

 アオイはワクワクしてきた。

 ところがクラリッサ本人は腕を組んで「うーん」と唸る。


「褒めてくれるのは嬉しいけど、今の私程度じゃ、まだまだだと思うんだよなぁ……」


 するとイリスも口を挟んできた。


「我に勝っておきながら『まだまだ』とは嫌味か? ん?」


「そんな、嫌味のつもりは……あ、そろそろ冒険者ギルドに行こっか、アオイくん!」


 クラリッサはアオイの手を引いて屋敷から逃げ出した。

 朝の稽古が終わったらギルドに行く予定だったので、嘘をついたのではない。

 ただ、コーヒーブレイクの時間を省略しただけだ。


「あれ? なんかギルドの様子がいつもと違う……?」


 なぜか冒険者たちが通りに集まり、ギルドの中をうかがっていた。

 アオイとクラリッサも人混みに混ざる。


「なにかあったの?」


 と、クラリッサが隣の冒険者に聞く。


「王都から軍人たちが来たんだよ。すげぇ迫力で、近づけねぇんだよ……」


 入口から中を見ると、確かに見知らぬ男が二十人ほどいた。

 高そうな甲冑に身を包み、腰の剣も装飾たっぷりで、そのまま美術館に飾っておけそうだ。

 鑑定スキルは直接触れないと使えないので詳細は不明だが、きっと見た目だけでなく性能も素晴らしいのだろう。


「確かに、迫力ある見た目だね」


 クラリッサは頷く。


「見た目はどうでもいいんだよ。あいつら、ただ立ってるだけなのに、全員が達人だって分かる……」


「だよな。気配で強さが分かるなんて作り話だと思ってたけどよ……あいつらくらい強いと、俺ら程度でも分かっちまうんだなぁ……王国軍ってヤベェよ、舐めてたわ……」


 冒険者たちは冷汗をかき、王国軍とやらに戦慄している。

 が、アオイとクラリッサは顔を合わせ、首を傾げる。

 確かに、ここで雁首並べている人たちよりは強そうだが、しょせんはそれだけ。

 ドラゴンや真祖を見慣れているアオイたちからすれば、実に普通だ。

 むしろ、実力を周囲に悟らせてしまっているのだから、大した連中ではないともいえる。


 クラリッサのほうが絶対に強い。

 しかし誰もクラリッサを見て恐れたりしない。

 それが本当の強さだとは言わないが、いざ戦闘になったら手の内を隠しているほうが有利に決まっている。


「やれやれ。この町はこれだけ大勢の冒険者がいるのに、スタンピードに対処できないのか。情けない」


「はは、隊長。彼らに聞こえますよ」


「聞こえるように言っているのだ。さて、支部長殿。モンスターが大量発生すれば、我らがそれを全滅させる。それまでの宿代は、このギルドが負担するということでよろしいのだな?」


 隊長と呼ばれた男は、そう口にする。

 それに頷いたのは五十代ほどの男だ。彼がここの支部長らしい。アオイは彼を何度か見かけた覚えがあるが、偉い人だとは知らなかった。


「はい。事前の取り決めの通りに」


「よろしい。では諸君、森へ見回りに行こうか。今日中にスタンピードが起きてくれれば、早く仕事が終わって助かるのだがな」


「隊長。せっかくこんな田舎まで来たんです。少しくらいはギルドの金で豪遊してから帰りたいですよ」


「わっはっは。それもそうだ」


 王国軍はゾロゾロとギルドを出ていく。その際アオイたち冒険者に、見下すような目線を向けてきた。


「ふん。スライムやゴブリンみたいな雑魚モンスターばかりを相手にしているくせに、冒険者なんて大層な名を名乗りおって。いざ本当の強敵が現れると、すぐ俺たちを頼る。雑魚狩り屋ギルドに改名したらどうなんだ? まあ、お前たちはここで震えていろ。大量発生したモンスターは俺たちが全滅させてやる。はっはっは」


 隊長はそう高笑いし、立ち去っていった。

 それを見届けた支部長は、ため息をついて、疲れた顔で奥に引っ込んだ。

 アオイとクラリッサはロザリィのところに行く。


「あら、二人とも……来てたのね。ご覧の通り、王国軍が来てくれたから、いつスタンピードが起きても安心よ」


 ロザリィは疲れた顔で言う。


「来てくれたのはいいけど、なんか失礼な連中ね」


 クラリッサはムスッとした顔で呟く。


「全くだわ! この町の冒険者だって捨てたものじゃないわよ。それをあいつら、ちょっと強くて、ちょっと装備がいいからって偉そうに!」


 彼らの相手をして色々たまっていたのだろう。ロザリィは珍しく怒りを露わにする。

 しかし、その怒りは長続きしなかった。


「けど……あいつらに頼らないと町を守れないのは事実なのよね。はあ……王国軍がモンスターにボコボコにされて、私たちに助けを求めてきて、それで颯爽と現れた激強冒険者がモンスターを全滅させて、王国軍が『ひぃ、参りました!』って頭を下げる展開にならないかしら……」


 すると冒険者の中から声が上がる。


「ロザリィ! もし王国軍が苦戦するようなら俺たちだって戦うぜ! ここは俺たちの町だからな。王国軍が勝てない相手になにができるか知らねぇけど……」


「あいつらがいくら強くても、二十人くらいしかいねぇんだ。倒しきれなかったモンスターがこっちに来るってこともあるだろうぜ。俺たちで片付けて『全滅させるんじゃなかったのか?』って言ってやろうぜ」


「そうだな。ささやかな抵抗だけど……俺らにも意地があらぁ!」


 冒険者たちは盛り上がった。盛り上がりはしたが冷静だ。スタンピード発生予定地の森は王国軍に任せる、という方針は変らない。

 ロザリィの妄想が現実になるかもと思っている者は、一人もいないようだ。


「ま。王国軍がスタンピードをなんとかしてくれるなら、ボクらは楽できていいじゃないですか。森以外の場所で仕事しましょうよ」


「えー。アオイくん、淡泊だなぁ。そこは男らしく『俺がこの町を守ってやるぜ』とか男らしいことを言わなきゃモテないよ」


「はあ。クラリッサさんはボクに男らしくなって欲しいんですか?」


「…………や、やだぁ! もしアオイくんに胸毛とか生えてきたら、ピンセットで全部抜くから!」


「地味に痛そうなこと言いますね……」


 アオイは、毛を一本一本プチプチ抜かれるのを想像する。

 かなり嫌だ。

 どうか胸毛が生えませんように、と真剣に祈った。

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