第42話 焦らず、少しずつ

 更に次の日。

 庭のフルーツ畑で収穫作業をしているエメリーヌに、再びイリスが挑戦を申し込んだ。


「相撲で勝負じゃ!」


「相撲?」


「アオイの世界の格闘技じゃ。ルールは簡単。キックやパンチは禁止。押したり投げたりして、相手をこの円の外に出せば勝ちじゃ。また円の中に残っていても、足の裏以外が地面に触れたら負けとなる」


 そう語りながら、イリスは庭にロープで円を作った。

 相撲のルールは昨日の夜、アオイが説明した。とはいえアオイは相撲マニアではないので、細かいところまでは知らない。

 ロープの長さだって、テレビ中継で見た印象から『なんとなくこのくらいだろう』と適当に切ったにすぎない。

 だが、厳密にやる必要はないのだ。これは客から金をもらって行うプロ格闘技でも、神様に捧げる儀式でもない。

 ようは、イリスとエメリーヌの勝ち負けがハッキリと分かるのが重要なのだ。


 相撲はピッタリだと思った。

 強力な飛び道具や打撃を使わないので、なんでもありに比べたら比較的安全。そして短時間で勝敗が決まる。


「へえ、面白そうね。昨日遊んであげなかったから、今日はちょっとだけ遊んであげる」


「ふふん。そうやって我を子供扱いしていられるのも、今のうちじゃ!」


 イリスは自信ありげにニヤリと笑う。

 二人は円の真ん中に立ち、クラリッサの「はっけよーい、のこった!」の掛け声とともに、がっつりとぶつかる。

 お互いの服を握りしめ、押し合った。


 相撲なら比較的安全。

 それは間違いではないはずだが……しょせんは『比較的』でしかなかった。

 真祖とドラゴンのパワーを舐めていた。


 二人の靴が、庭の土にめり込んでいく。

 相手を押し飛ばそうと力を込めるほど、穴は深くなっていく。

 最初は拮抗していた。

 しかし、すぐに天秤が傾いた。

 イリスがじりじりと押されていく。彼女の足が地面に溝を掘っていく。


「あらあら。今日も私の勝ちみたいね~~」


「くっ……」


 イリスは苦悶の声を漏らしながら、アオイをチラリと見た。

 強化魔法を使えという合図だ。


(ダーク・アンプ……)


 口に出さず、心の中だけで唱える。

 その瞬間、イリスの後退が止まった。


「あら?」


 のみならず、エメリーヌを押し返し、戦いの場は円の中心へと戻った。


「ふーん、やるじゃないの。けれど無理してるでしょ? こんな無茶な力の出し方、いつまでも続かないわよ。結局、最後には私が勝つんだから……って、あらららら~~?」


 イリスの力は彼女の想定を超えたようだ。

 エメリーヌの表情から余裕が消え、珍しく冷汗を浮かべる。

 だが焦ったところで、急に力が湧いてくるわけでもなく。

 為す術なく土俵際まで追い込まれ、そして――。


「ふんがぁぁぁぁっ!」


 イリスの気合いの声が上がると同時に、エメリーヌの体は押し出された。

 ぺたんと尻餅をつく。

 唖然と見上げるドラゴン。同じく、唖然と見下ろす真祖。

 信じがたいという表情なのは同じだが、我に返ったのはイリスが先だった。


「か、勝ったのじゃああああっ!」


 空に向かって拳を突き上げ、雄叫びを響かせる。


「ま、負けちゃったみたいねぇ……」


 エメリーヌは立ち上がり、静かに呟く。

 ふぅ、と大きく息を吐く。

 すると、いつもの包容力たっぷりの優しい笑顔を取り戻した。


「凄いわ、イリス。あなたがこんなに強くなってたなんて知らなかった~~」


「そうじゃろ、そうじゃろ。我は強いのじゃ。いつまでも子供と思ったら大間違いじゃぞ」


「本当にそうね。それに気づけないなんて、私もまだまだね……。イリス、あなた、とっても頑張ったのね。偉いわ……いえ、こんな上から目線じゃ駄目ね。私も意識を改めなきゃ……」


 いつもと同じ笑顔に見えたが、しかし、どことなく陰りが見える。

 まだ付き合いが浅いアオイでさえ気づいたのだ。イリスはもっとハッキリと読み取っただろう。


「いや……そう深刻に考えんでもよいぞ……」


「いいえ。私も子離れしなくっちゃ。イリスが頑張ったんだから、私も頑張るわ!」


 エメリーヌは決意に満ちた声を出す。

 するとイリスは目を泳がせ、口をもにょもにょと動かす。

 スカートを握りしめ、そして――。


「すまぬ! 我、イカサマしてしまったのじゃ! 今のは我の力で勝ったのではないのじゃぁ!」


 黙っていればバレないのに白状してしまった。


「え、ええ……? どういうことなのぉ?」


「アオイの魔法で強化してもらったのじゃ……なんか吸血鬼を強化する闇魔法があるとかで……途中からそれを使ったのじゃぁぁ!」


「ああ……それで急に強くなったのね。変だなぁと思ったのよ」


「インチキしてごめんなさいなのじゃ。エメリーヌに勝って、自信をつけたかったのじゃ。けれど、こんな方法で勝っても意味がないのじゃ……悪いのは全て我じゃ。アオイに非は全くない。我だけを叱るのじゃ……」


 イリスは涙を浮かべていた。

 叱られるのが怖いのではない。不正な方法で勝とうとした申し訳なさと情けなさが溢れ出したという様子だ。


 アオイは間違いなく共犯だ。同じように申し訳なくなってくる。

 だが今は口を挟まず、イリスとエメリーヌに任せるべきという気がする。


「……ねえイリス、聞いて。私ね。あなたがイカサマしてたって知って、ホッとしちゃったのよ。どうしてか分かる? まだまだ保護者でいられるんだって、あなたを子供扱いできるんだって嬉しくなったの。駄目なドラゴンだと思わない?」


「エメリーヌは……我に子供でいて欲しいのか?」


「ええ。いつまでも私のイリスでいて欲しい、なんて思ってるわ。もちろん永遠に変らないものなんてないけれど。私たちの寿命はとっても長いから、急いで大人になろうとしなくてもいいと思うの。私だって……いうほど立派な大人じゃないし。お母さんっぽく振る舞って、余裕があるように見せてるだけ」


「そう、なのか? 我にとってエメリーヌは大人じゃから……エメリーヌに勝てば、我も大人になれると思ったのじゃが……」


「ふふ、違うのよ。焦らず、少しずつ、一緒に成長していきましょ」


 立派な大人じゃない。

 そう断言できるからこそ、大人なのでは。アオイにはそう思えた。

 イリスもそう思ったのだろうか。エメリーヌに抱きつき、まるで母親に甘えるように胸に顔を埋めた。


「いいなぁ……」


 アオイはふと呟いてしまう。

 自分も、あんなふうに母親に甘えたい。


「アオイくんには私がいるじゃない。ほら、お姉ちゃんの胸に飛び込んでおいで!」


 いつの間にかクラリッサが隣にいて、両腕を広げて待ち構えていた。

 アオイはその胸と、エメリーヌの胸を見比べる。エメリーヌのほうが大きい。


「……ありがとうございます。けれど今はお姉ちゃんよりお母さんの気分なので」


「なんだと! いつからそんな贅沢になった! 生意気なアオイくんめ……お仕置き!」


 と、クラリッサは強引に抱きしめてきた。

 まあ、これはこれで心地いいので、今日のところは我慢しておくか――と生意気なことを思ってみる。



――――――

火、風、水、土の四大属性に加え、光と闇の魔法の使用を確認しました。

攻撃魔法『マナバースト』の魔導書のレシピを習得しました。

――――――

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