第12話 カメレオウルフの群れ

「大丈夫……大丈夫だからね……」


 クラリッサはアオイの頭を撫でてから、腰の剣に腕を伸ばす。

 手が震えていた。

 しかし剣の柄に指先が触れた瞬間、それは止まった。

 瞳から怯えが消え、覚悟が燃え上がる。

 この状況をどう切り抜けるか。ただそれだけを考えている顔に見えた。


 もしかしたら、自分の命を犠牲にしてでもアオイだけは助けようなんて考えているかもしれない。

 クラリッサとはまだ数分の時間を過ごしただけだが、そういうことをしてしまうタイプに見える。


(ボク自身の冒険者としての実力はまだまだだ。けれど装備は強い。カメレオウルフに噛まれようが引っかかれようが大丈夫……だと思う。ボクが盾になる)


 アオイにはクラリッサほどの緊張感はない。

 加護によって200を超える防御力を有しているからだ。

 十中八九、死なないと思っているゆえに「盾になる」なんて決断に至れた。


 もし、そうでなかったら。

 アオイがただのレベル1の冒険者で、そこらのモンスターの攻撃で致命傷を負う可能性があったら。

 きっと冷静に考える余裕なんてなかった。


 改めてクラリッサの横顔を見る。

 綺麗だった。

 自分もこんな冒険者になりたい。アオイは切に思った。


「来た……!」


 そう声に出したのはアオイだ。

 正面のカメレオウルフがこちらに跳躍すると同時に、クラリッサは無言で剣を抜く。

 敵の動きに対し、刃が美しく交差する。

 振り上げられた剣により、オオカミは左右真っ二つとなる。


 アオイは動きに見とれた。ここが戦いの場だというのを十分の一秒ほど忘れてしまった。

 オオカミを斬った本人は即座に次の敵に備える。

 体の軸をぶらさず、左右を素早く見る。

 二匹目のカメレオウルフが飛び出してきた。

 再び剣で瞬殺。

 続いて三匹目を仕留めた。


 素人でも分かる。間違いなく彼女は剣の達人だ。

 しかし達人であろうと、目は正面にしかついていない。

 普段なら背後の敵も気配で察知するのだろうが、今は四方を囲まれている。

 その緊張感の中で万全を期すなど不可能で、ゆえに背後から迫るカメレオウルフへの反応が遅れてしまう。


「ファイア!」


 アオイはついさっき練習したばかりの攻撃魔法を放つ。

 クラリッサを巻き込まずにカメレオウルフだけ炎で包む。そうコントロールしたつもりだった。


 ところが炎は想定していたよりずっと弱かった。

 MP切れである。

 もうすぐMPがなくなるという感覚はずっとあった。それでも、あと一発だけならまともな威力の魔法を撃てると思ってしまった。

 未熟。

 剣技が冴え渡るクラリッサと比べて、なんと稚拙なことか。

 自分はゲームでしか世界を知らない子供なのだと痛感した。


 だが炎で敵の注意を引くことはできた。

 カメレオウルフは進行方向を変え、アオイに向かってくる。


 腕に噛みつかれた。

 やはり痛くない。

 アオイは盾になれる。


 しかし端から見れば、子供がモンスターに襲われているグロテスクな光景だ。

 クラリッサは目を大きく見開き、


「アオイくん!」


 叫び声を上げてカメレオウルフを斬り裂く。

 これで敵は全滅のはずだ。


「ああ、なんてこと! 腕、まだ繋がってる!? しっかりして! 私、ポーション持ってるから! それでなんとか回復して、町でしっかりした治療を! 飲める!? 飲めないなら私が口移しで! モンスターの気配はもうないから! だから落ち着いてポーション飲んで!」


「クラリッサさんこそ、落ち着いてください。びっくりさせてごめんなさい。けど、ボクの腕は大丈夫です。繋がってますし、血も出てません」


「え、あれ? 本当だ! あんなにガッツリ噛まれたのに!? なんで!」


「えっと……このローブ、普通のローブに見えて、実は防御力がもの凄くあるんです」


「カメレオウルフに噛まれて無傷なのは凄すぎる! なんでレベル1なのにそんな装備を持ってるの!? 代々伝わってきた家宝とか!?」


 本当に驚いたらしく、クラリッサは大声で質問してくる。

 こんなに心配をかけたのに適当に誤魔化すのは礼を失している。

 この世界に来てから出会った人の反応から考えるに、転生者だとバレても悪感情を向けられたりはしないだろう。


「……実はボク、転生者なんです。それで特殊なスキルを持ってて。装備品を強化できるんです」


「転生者? へえ、転生者なんだ! 初めて会った。そっかぁ。だからレベル1なのにこんなところまで来れたんだ。もう、最初に言ってよ。アオイくんが噛まれたとき、心臓が止まるかと思ったよぉ」


「ごめんなさい。あんまりペラペラ言いふらすものどうかと思って」


「そうかなぁ? 能力を知ってもらったほうが信用を得られるから、パーティー組んでもらいやすいし、ギルドから依頼を回してもらいやすいよ」


「そういうものですか? けどボクは臆病なので、信用した人にしか教えたくないです」


「それってつまり、私を信用してくれたってこと!?」


「はい。第一印象からしていい人だと思ってましたが、モンスターの群れから本気でボクを守ろうとしてくれたので。これで信用しないほど、人間不信じゃありません」


「わーい、アオイくんに信用してもらった。なんか嬉しい」


 クラリッサはぴょんぴょん跳びはねる。

 実に子供っぽい。

 あの研ぎ澄まされた剣技を放った人と同一人物とは思えない。

そのギャップが、むしろ魅力に思えてきた。


「それにしてもクラリッサさん。カメレオウルフが出てきたのが予想外みたいでしたけど。本来、この森にはいないモンスターなんですか?」


「いることはいるけど……もっとずっと奥のほうでしか見たことない。モンスターって出現する場所が決まってるから、こっちには来ないはずなんだけどなぁ」


 クラリッサは不思議そうに言う。


「ほかのなにかを追いかけてこっちに来たとかじゃないですか?」


 ゲームでもモンスターの出現場所というのは決まっていて、一定のエリアをウロウロしていた。

 しかし、そのエリアの外に誘導することもできる。

 モンスターはプレイヤーを見ると襲い掛かってくるので、一定の距離を保ったまま逃げ続ければ、普通なら行かない場所まで連れて行ける。


 高レベルモンスターを初心者エリアに連れて行き、プレイヤーを虐殺させるという荒らし行為が流行ったことがある。

 それで運営が対応し、モンスターを誘導できる範囲に制限が設けられた。それを越えるとモンスターは、見えない壁に阻まれて、ついてこなくなる。

 が、ここはゲームの世界ではない。そんな救済措置はないだろう。


「うーん、どうなんだろ? 不運だなぁ。ま、二人とも無事だったからいっか」


 クラリッサは深刻そうに唸ってから、気持ちを切り替えたように笑う。

 そして、またアオイの手を引いて歩き出した。


 ところが、カメレオウルフが現われたのは、偶然の類いではなかったらしい。

 異変は確実に起きている。

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