4、ルーミア

 鎖を引くと、ブラン・ダム全体がぎしぎしと軋むような音を立てだした。足元から、細かな揺れが伝わってくる――もしこのとき誰かが外にいて、ブラン・ダムの大時計を見ていたなら、二本の針が別々の向きに回って、真上で合わさり十二時の形になるのが分かっただろう。午後の九時前にいきなり時計台の鐘が十二も打ったら町中が大騒ぎになっただろうが、そんなことにはならなかった。


 十二時を指したブラン・ダムは、セオとブランカ――つまり時計台の中で正しく仕掛けを動かした人間――にだけ聞こえる、ささやかな祝福の音楽を鳴らした。大時計の何万分の一の大きさのベルが、讃美歌を演奏するからくりが作動したのだ。


 「何かしら」


 ブランカはうっとりしているような、ちょっと怖がっているような顔をして肩をすくめた。真っ暗な中で聞こえる澄んだ音の讃美歌は、美しさでも神聖さでも、それに不気味さでもこの世のものとは思えなかった。


 「作動する機構が切り替わったんだ。ブラン・ダムの大時計から、別の機構に」


 セオは胸がいっぱいになった。


 「僕らが謎解きする準備ができたってことさ」……



 『セオとブラン・ダムのおはなし』は、久しぶりに物語を手に取ったエドワードには手強い長さがあると思われたが、彼は順調に本に夢中になった。毎日大した時間が割けないこともあってか、続きが気になって仕方がないのだ。相部屋のホプキンス氏は大抵夜更かしだったから遅い時間になっても誰に迷惑がられるでもなく、セオと、彼の友だちのブランカは冒険を続けた。冒険のはじまりはこうだ――浜辺に打ち上げられた瓶の中に子どもの小指ほどの金色の鍵を見つけたセオは、その鍵に彫られていた模様を最初の手がかりに、幸運を探す旅に出るのだ。


 「ブラン・ダムは時計台の名前だったわけね」


 エドワードの報告を聞きながら、アーシアは言った。


 「もしかして、あなたの本は第一稿で、別の題名で出版されたんじゃないかっていう可能性を考えていたのよ。でもあなたの話を聞いてみた限りじゃ、似た話は思い当たらないわね。それに、これはわたしの好みの問題だけど、『セオとブラン・ダムのおはなし』って、結構ステキな名前よね。他のタイトルに変わっちゃったら、ちょっとがっかりだわ」

 「ブラン・ダムはからくり時計の時計台なんだ」


 エドワードは興奮して言った。


 「どうして父さんと親方に贈られたのか、分かったような気がする。ふたりとも大喜びしたに違いないよ」

 「ただお礼として贈るためにここまで手間暇をかけるとは思えないわ……表紙にこだわっている割に中は手書きのままだし、なんだか中途半端よね。……まあ、手書きのままの方が希少価値はあるかもしれないけど」


 アーシアは煌めく装丁を眺めた。


 「この絵だって、頼んで描いてもらったものでしょうし。あなたのお父さまたちって、一緒に仕事をしていたの? 」

 「職種は違うけどね。もともとはふたりで事務所を持ってたんだ」


 とエドワードは答えた。


 「親方はからくり職人で、父さんは建築家だったんだ。設計図を描いて、いろんなものを建てたんだって。ふたりでからくり時計を作ったこともあるって言ってた。かなり大きな仕事だったって」

 「それよ! 」


 アーシアはぱちんと指を鳴らし、軽快に作家情報台帳を開いた。


 「見て、これ。〈アンソニー・ティリパット氏は旧貴族階級に属するレイクフィールド家の嫡男として出生。晩年、跡継ぎを相次いで亡くし、鎮魂の意を表すため、死去した跡継ぎの名を冠した時計台をルーミアに建設、寄贈。存命中に何度か大がかりな改造が行われ、総資産のほとんどが費やされたと言われている。〉」


 エドワードは一瞬で口がからからになるのを感じた。


 「ブラン・ダムが本当にあるってことかい? それを、父さんたちが建てたかもしれない? ……それで、この本が? 」

 「ちょっと待って。もう少しで考えがまとまりそうなの……」


 アーシアはしばらく考えていたが、やがて威勢よくぱちんと手を打った。


 「いいわ。行ってみればいいのよ」

 「どこへ? 」

 「この、時計台のところへ。この文面から推測してるだけじゃ、これ以上何も分からないわ」

 「それじゃ、ルーミアへ? 」


 エドワードはぎょっとした。しかし、アーシアは少しもためらわなかった。まっすぐに船長室へ向かい、振り向いたマードックに向かって、開口一番言った。


 「ねえ、おじさま。ルーミアって、どの辺にある町かしら? 」


 マードックはノックくらいしなさい、と小言を言いながらも、大きな地図を広げてみせてくれた。立ち寄る予定の港に、赤いインクで印がつけられている。そのうちのひとつ、〈ソウルース〉と書いてある印を、マードックの指が差した。


 「この船は五日後に、このソウルースへ入る。そこから汽車が出ている。ソウルースから数えて五番目の駅だ。……アンソニー・ティリパット、か? 」


 エドワードは思わず何度も頷いた。


 「行ってきてみてもいいですか? 僕の父さんたちが、ティリパットさんとどういう関わりがあったのか確かめたいんです」

 「出発は風次第だが、滞在は二週間程度の予定だ。まだ船員をやるつもりがあるなら、寄り道せずに戻ってこい」


 マードックは地図を片付けながら言った。そして、机の一番上の引き出しから革の小袋を出してエドワードに渡した。エドワードがこれまで働いた分のお金が入っていた。


 エドワードは頭を下げ、アーシアと船長室を出た。


 「……君も来るつもりかい? 」


 エドワードはそっとアーシアに尋ねた。アーシアは思い切り顔をしかめて、今さら何言ってんのよ、と舌を出した。


 「もともとソウルースで一度下ろしてもらうことになってたのよ。あの町には、立派な古書店があってね。子どものお小遣いで買えるようなのから博物館が欲しがるようなのまで、何でもあるっていうから一度見てみたくて。でも」


 アーシアは目をきらきらさせてエドワードを見た。


 「こんなこと、失礼かしら。だけどあなたの〈物語〉って、とってもおもしろそうだわ」


 エドワードはためらった。無粋なことを言って水を差したくないと思うくらいに、アーシアは楽しそうだったのだ。だが、一時の楽しみは命には替えられない。


 「船に戻れなくなるかも――いや、それどころじゃないくらい危険かもしれない。それでも一緒に来るかい? 」


 アーシアはすっと真顔になった。


 「どういうこと? 」

 「僕がどうしてこの船に乗ることになったのか、まだ話してなかったよね」


 エドワードはクレイハーたちのことをアーシアに話した。アンメリー号での生活があまりに健やかで、あの忌まわしい夜からもう何年も経ってしまったような気さえしていたが、なかったことにするには危険が多すぎた。何より、クレイハーたちはエドワードのことを知っているようだったのに、エドワードはクレイハーたちが何者で、どんな目的があってドルトン氏を手にかけてまで『セオとブラン・ダムのおはなし』をつけ狙っているのかすら知らないのだ。


 アーシアは黙って話を聞いていた。そして、一緒に行動するのは危険だから、最初の目的の通りに古書店にだけ行くようにというエドワードの必死の説得を、難しい顔をしたままではあったが、鼻で笑ってみせた。


 「なるほどね。それであなた、売るつもりもないのにあの本を人が欲しがる理由なんか気にしてたわけ」

 「そうだよ。持ち主を殺してでも、自分たちのものにしようとしてるんだから……」

 「それなら、余計にルーミアに行ってみるべきだわ。まだ、わたしたちの知らないことがたくさんあるのよ。楽しみね」

 「僕の話聞いてた? もし、あいつらがルーミアにいたら……」

 「もし、いなかったら? もし、何もかもがうまくいったら? もし、信じられないような幸運が、そこにあったら? 同じ〈もしも〉なら、なぜ良い方を信じないの? 」


 エドワードはほんの一瞬言葉に詰まったが、すぐに「それじゃ危険だからだよ! 」と言い返せなかったことは致命的だった。アーシアはその一瞬にねじ込んだ一言で、話し合いを終わらせてしまったからだ。


 「できるかどうかは二の次よ。わたしの基準はやりたいかどうか、なの」


 だが、エドワードも引き下がるわけにはいかない。似た押し問答がソウルースで汽車に乗るまで何度か繰り返されたが、結果は同じだった。ソウルース駅に入ってきた汽車にさっさと乗り込んでしまってから、アーシアは言った。


 「もっと堂々としなさいよ、エディ。金髪に緑の目なんてざらにいるわ。びくびくしていると、悪いことをしていなくても変に思われるわよ」


 『セオとブラン・ダムのおはなし』は、アーシアが肩掛け鞄に入れていた。汽車の中は大変な混雑で、ふたりに注意している人はいない。目につくのは普通の家族連れや労働者ばかりで、他の誰にも、エドワードほどの重い事情はなさそうだった。


 僕も彼らと同じだ、とエドワードは自分に言い聞かせた。エドワード・コーディはどこにでもいるごく普通の十五歳の少年で、ルーミアにいる祖父母を訪ねてたまたまソウルースから汽車に乗った。アーシアは幼なじみの少女で、エドワードの母に頼まれてエドワードについてきてくれたしっかりものだ――。ああ、この〈物語〉が全部本当だったら、どれほど安らかでいられたことか!


 不安がまったくなくなったわけではなかった。エドワードの知らない事情によってクレイハーたちは動き、何の前触れもなくエドワードの人生を捻じ曲げた。波止場でエドワードを見失った彼らが、そのまま諦めていてくれたならいいが、もしかしたらエドワードが想像もしていなかったような方法ですでにエドワードを見つけ、本を奪う隙ができる瞬間を、今もどこかでじっと窺っているのではないか……。


 「エディ、口開けて」


 ふいにアーシアがエドワードの口に放り入れたものは何やら甘く、噛むと、口の中で柔らかく溶けた。チョコレートだ。金の包み紙に書かれた名前は、〈星のひと粒〉。


 「わたしの町のお菓子屋さんで売ってるチョコレートなの」


 アーシアは自分でも一粒頬張りながら言った。その一瞬心に滑り込んできた甘やかさが、エドワードを暗い想像からほんの少し遠ざけた。


 恐怖や、怒りや、屈辱が一緒くたに襲ってくるような最悪の状況でも、希望は目の前に無造作に座っていたりするものだ――エドワードの目の前には、アーシアが座っていた。エドワードを信じ、味方をしてくれるアーシアが。



 〈アンソニー・ティリパット文学記念館〉みたいなものがルーミアにはあるのではないかとエドワードは期待していたのだが、ルーミア駅の地図看板や申し訳程度の観光案内を見る限り、記念館どころか記念碑も見当たらなかった。唯一ティリパット氏と関連のありそうなのは彼の生家であるレイクフィールド邸で、その説明すら、アンソニー・ティリパットの生家であるというごくあっさりとしたものでしかなかった。


 町の出身者というだけで、ルーミアの人々はティリパット氏に関心などないのかもしれないとエドワードは思ったが、アーシアの意見は違った。アーシアは駅の周りに植えられたバラの木の前に立っている名札を指差した。細かい字でこう書かれている――〈このバラは、ルーミアで生まれた新しい品種です。〉。


 「見て、あれ。赤いのがイライザ、白いのがプティ・マリ、黄色いのがブライア、ですって」


 それがどうしたんだいと言う代わりに、エドワードは聞いた。


 「じゃ、向こうのピンク色のは? 」

 「モナ・ローザ」


 アーシアは目を細めた。


 「なるほどね。表立って宣伝しない方が、伝わる想いもあるってことだわ」

 「何の話? 」

 「この町の人が、どれほどティリパットさんに親しみを感じているかって話。イライザは『聖剣伝説』、プティ・マリは『マリ姫とドラゴン・ラース』。ブライアとモナ・ローザは『塔の町』に出てくる女性の名前よ。ルーミアの人たちは記念館なんか作るより、普段の暮らしの中にティリパットさんのおはなしを取り入れているんだわ」

 「でも、それじゃあ、どうやってティリパットさんのことを調べたらいいんだろう? 時計台のことだけなら、分かるだろうけど」


 エドワードは町の方を振り向いた。赤い屋根の並ぶルーミアの家並みの中に、背の高い時計台が白く遠くに見えている。きっとあれが、台帳に書いてあった時計台だ。


 その建設に携わった職人がどこの誰で、どういった経緯でその仕事を引きうけたのか、ティリパット氏がなぜその職人に依頼したのか、ということくらいなら、時計台を見に行けば分かるかもしれない。だが、そのことと『セオとブラン・ダムのおはなし』にどう関係があるのか、あるいは関係ないのか、クレイハー一味がどこで関わってくるのかということまで知っている人がいるはずがないし、推し量れるだけの情報があるとは思えない。下手に聞きまわって、かえってこちらのことをクレイハーたちに知られてしまうということもありうる。


 アーシアの目は地図看板に戻っていた。


 「そうね、時計台のことなら時計台に行ってみればいいわ。作家のことだったら、時計台より詳しく教えてくれそうなところがあるじゃない」


 ほら、とアーシアが地図を指差した。〈ルーミア中央図書館〉と書かれた上に小さな字で、〈メイガス〉とルビがふってある。


 「メイガスっていうのはね」


 アーシアはバラの名前のときと同じ調子で言った。


 「ティリパットさんの作品をまたいでよく出てくる、魔法の書庫の管理人の名前なのよ。時間を超越した賢者として、主人公にヒントをくれるの」


 ルーミア中央図書館メイガスは図書館というより、貴族の邸宅のようだった。いたるところにフクロウの彫刻が飾られ、両開きの大きな木の扉が、来館者のために片方開かれている。前庭は噴水と花壇のある公園として整備されていて、エドワードとアーシアが行くと、木陰で本を読んでいる人が目を上げてふたりをちらりと見た。あまり本になど親しまないような、鋭い目つきの男性だった。だが、誰であろうと、何を読もうと、それが静寂を侵さない限りは、図書館の中庭にいる権利があるのだ。


 「すごい建物だわ」


 アーシアがもう五度目になる台詞を呟きながら、館内を見回した。アンソニー・ティリパットの名は、探すまでもなく見つかった。扉から入ってすぐの本棚は、彼の書いた物語や彼にまつわる研究書でいっぱいだったのだ。


 「すごいわ」


 アーシアはこの称賛に飽きることはないようだった。エドワードをそっちのけにして、小声で呟きながら本棚の前を行ったり来たりしている。


 「『白銀のカテドラル』まで置いてあるわ……これ、新人時代に自費出版したやつじゃない……」

 「そのとおりよ」


 アーシアの声は図書館で出すものとしては常識的な大きさだったが、そばのカウンターにいた司書のおばあさん――エルダーと書かれた名札を胸につけている――にはちゃんと聞こえたらしい。ふたりへかけた声は嬉しそうだった。


 「あなたたち、メイガスへは初めて? ティリパットさんのお話が好きなの? 」

 「ええ、まあ……」


 『セオとブラン・ダムのおはなし』以外はよく知らないエドワードは曖昧にごまかし、そういう微妙な返事を咄嗟に返しがちな自分を苦々しく思ったが、幸い彼はひとりではなかった。アーシアには、エドワードの口下手をすべて補って余りある会話の才覚が備わっていたのだ。


 アーシアはあながち大袈裟でもなく声を弾ませた。


 「驚いたわ。この町の図書館ならもしかしてとは思ったけど、こんなにたくさん扱ってらっしゃるなんて! 」

 「アンソニーは、この町の誇りよ。この図書館を建てたのも、彼なの」


 アーシアはエドワードに目配せした。エドワードは話の輪に加わる機会を逃さなかった。


 「ずいぶんお金持ちなんですね」

 「そうね」


 とエルダーさん。


 「なにしろ、ティリパットというのは筆名でね、本当は、アンソニー・レイクフィールド卿とおっしゃる旧伯爵家のご当主だった方なのだもの。あなたたちなら、当然知っていることでしょうね。でもね、彼はとっても気さくな人で、作家として評価されたいからといって、素性を明かすことはめったになかったのよね……」


 アーシアのもうひと押しは非の打ちどころがなかった。


 「わたしたち、ティリパットさんがどういう方だったのか知りたくてこの町に来たんです。だから、もし他にもそうやって彼が関わったものが残ってるなら、ぜひ見てみたいわ」

 「あらまあ、そうだったの。ちょっとお待ちになってね。レイクフィールド卿の寄贈品目録があるから、ひとつずつ話してあげるわ」


 エルダーさんはカウンターの内側にかかっていた鍵束を持ってどこかへ行き、古い革の表紙で綴じられた大きな目録を持って戻ってきた。半分以上が黄ばんだ羊皮紙だ。


 「ごめんなさいね」


 埃が舞うのを他の来館者に謝りながら、エルダーさんは目録を開いた。


 「レイクフィールド家はもともとルーミアの領主の家系で、代々学校や修道院、大きな農園なんかを作って運営していたの。アンソニーは作家の仕事をするために、早いうちからご子息に跡を任せていたのだけど、悲しいことにご子息の方が早く亡くなってしまってね。それに、お孫さんも」

 「まあ……」

 「それでもう、全部自分の手から放してしまおうと思ったのかしらね。奥様はもうお亡くなりになっていたし、お嫁さんを家に帰してしまってから、持っていた施設の権利を他の人に渡してしまったのよ。だけど、どこも綺麗なままみんなに利用されているわ」


 代々のレイクフィールド卿が町に贈ったものを古い順に説明してもらいながら、エドワードはじりじりする気持ちを必死で隠した――病院、薬草園、学校、美術館、新しい駅舎、橋、農園、教会、修道院、石畳の補修などなど。大雨の年、町民を救うために配られたパンと毛布の話は興味深くはあったが、求めている情報ではなかった。


 三十分後、ついに目録の一番手前のページ、つまり、アンソニー・レイクフィールド卿が寄贈したものが分かるページが現れた。一番上にメイガスのことが載っている。新しい図書館と、蔵書五千冊。設計者は、R・マロウ氏。


 だが、時計台のことはどこにも載っていない。エドワードはついにしびれを切らした。


 「あの、広場のところに、大きな時計台がありますよね。ティリパットさんは、時計台も寄贈したって聞いたんですけど」


 エルダーさんはまだレイクフィールド家の高貴な歴史について話している途中だったが、嫌な顔ひとつせずエドワードに答えた。


 「ええ、〈ヴィクトリア〉のことね。よく誤解されるのだけど、あれはアンソニーが建てたものじゃなくて、アンソニーのおじい様の、クロード・レイクフィールド卿が寄贈したものなの。アンソニーが息子さんとお孫さんを亡くしたときに少し改造して、そのときに名前を新しくつけたのよ。〈ヴィクトリア〉は、お孫さんの名前なの。お美しいお嬢さまだったのに……」

 「改造? 」

 「昔は普通の時計台だったのだけど、アンソニーがからくり時計の時計台にしたのよ。遠くから職人さんを呼んでね」


 エドワードとアーシアは顔を見合わせた。


 「そ、その職人さんの名前って、ご存じありませんか? 」


 エルダーさんは申し訳なさそうな顔で首を傾げた。


 「さあ、何ていう方たちだったか……ふたり連れで、同じ事務所で働いてるという話だったわ。黒い髪の大柄な方と、金髪の背の高い方と。そのくらいね。アンソニーは、改造工事のことは派手に宣伝したけど、誰が関わっているかについては、一切発表がなかったのよ――彼の功績のひとつとして目録にも残したかったのだけど、アンソニーはそれもだめだと言ってね……結局、許可をいただけないまま彼は亡くなってしまったの。ごめんなさいね、お役に立てなくて」

 「いえ、十分です。どうもありがとうございました」


 エドワードは走り出したい気持ちを抑え、アーシアと図書館を出た。もう間違いない。コーディ氏とドルトン氏は、ティリパット氏の依頼で〈ヴィクトリア〉の改造に携わったのだ。


 だが……エドワードは、ふと何か不吉なものを感じた。確かな予感ではなかったが(というより、エドワードは予感とか直感とかいうものをあまり信じてこなかったのだが)、ティリパット氏が時計台を改造し、〈ヴィクトリア〉の名をつけたのには、死者への悼み以上の理由があるのではないかという気がしたのだ。それも、あまり安らかだとか、神聖だとかとは言えないような理由が。

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