第9話
玉藻の体が光に包まれるのと、右近、左近が刃を突き立てるのはほとんど同時だった。葛葉は想定外の出来事に思わず後ずさった。
葛葉はお母様より玉藻を殺せと命じられていた。しかし、自分が仕掛けた簡単な呪術程度で死ぬほど玉藻が弱くもないことを理解していた。ある程度の術式をかけて脅し、紺右衛門を回収する。そしてお母様には彼女が力を失ったと報告する。そうすれば命までは取る必要はないと考えていた。しかし、玉藻の力は葛葉の想像を遥かに超えていた。いま倒さなければ葛葉が危ないと判断した右近、左近が、葛葉の命令を無視して切りかかるほどには強大な反応だった。
玉藻を殺してしまったのだろうか?葛葉の脳裏に様々な記憶が流れる。それは決して不快な記憶ばかりではなかった。確かに玉藻は憎い。自分とは違い自由に暮らしてきた。キツイ修行もほとんどなく、プレッシャーも少ない。期待されないという辛さと引き換えに自由を得た妹がうらやましかった。だが、殺したいほどではない。後悔と絶望が募る。でも、葛葉は玉藻のようにお母様に逆らうことはできなかった。お母様の命令は絶対だ。どんなに辛いことであっても、仙狐の家と血筋を守るためにはやらなければならない。葛葉の頬を涙が伝った。
「なんのこれしきぃ!」
声が聞こえて葛葉は、はっと顔を上げた。
そこには右近と左近の刀を腕で受け止めている玉藻がいた。だが、先ほどまでの姿とは異なる。
よく見ると右近、左近の刃先は皮膚に触れることすらできず、金色のエーテルによって弾かれている。
「うそ……」
葛葉は絶句していた。それは自身がいまだ習得できていない神格化の術式とうり二つだったからだ。見たところ、玉藻は紺右衛門と同化することでその領域に到達しているようだが、玉藻にそんな高度な術式が扱えるとは思っていなかったのだ。
一方、玉藻も焦っていた。玉藻は確かに術式の才はあまりない。しかし葛葉とは異なり巫女としての才を生まれつき極めていた。神に匹敵する力をその身に降ろし、自らの力として上書きする。さらにもとよりその身にわずかに宿る太陽神アマテラスの力と合わさり、凄まじい力を獲得していた。このオリジナルの術式を彼女は「オーバーライド」と名付けていた。格を限りなく神域に近づけるため、あらゆる呪術に対して絶対的な耐性を持ち、ただの眷属では傷をつけることすらできない。しかしその分消耗も激しく、この姿を維持できるのはもってあと六十秒。しかもそのあとは一時的にほとんどの能力を失う。紺右衛門の実体化もしばらくできない。それゆえの奥の手だった。
「そりゃ!」
玉藻が両手で受けとめていた刀を弾き、右近と左近に掌底を撃つ。右近と左近はとっさに防御する。しかし、その一撃は凄まじく、二人は数本の樹木をへし折りながら吹き飛ばされた。そして地面に倒れる直前にポンっと音を立てて消えた。体を維持するだけのエーテルを失い、霊体に戻ったのだ。それを確認して、玉藻は葛葉に歩み寄る。葛葉は腰が抜けたのか、その場にへたり込んでしまっていた。葛葉の目の前まで来ると、玉藻はオーバーライドを解除した。金色の衣や体を覆っていたエーテルが大気中に溶けるように消えていく。現界時間まで残り20秒ほど残しているので、玉藻は何とか動けているが紺右衛門は姿を消していた。
「お姉ちゃん」
玉藻が声をかけると、葛葉は顔を上げた。
「私と一緒に暮らさない?」
「……え?」
あまりに予想外の提案で葛葉は驚く。
「そんなの……そんなの無理よ!」
葛葉が言うと玉藻は笑った。
「何とかなるよ」
「でも、あの家は、家はどうするの?千年以上の歴史があるのよ?私の勝手でどうにもできない!」
「今日からお姉ちゃんが当主になればいいよ」
玉藻は葛葉の手を取る。
「あの土地もお母様も、古いものは全部捨てて、新しい仙狐家をお姉ちゃんが作るの」
「そんな、そんなこと……」
「できるよ。お姉ちゃんなら。本当はお母様より強いじゃん」
玉藻はほほ笑んだ。
その後ろにゆらりと右近が現れる。
「…!待って!」
右近は葛葉の命令を無視して刀を玉藻に突き立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます