ライルはあんな目に遭ったにも関わらず、嫌な顔ひとつせず純粋に婚約者である私を心配してお見舞いにきてくれた。


 お花の香りは気持ち悪くなるかもしれないからと、かわいらしいぬいぐるみまで持参して。


 けれど、私はとうとうライルに会うことはできなかった。



 ライルが私に近づこうとすると、どうしても身体が拒否反応を起こすのだ。

 吐き気に身体中の発疹、勝手に身体がライルから逃げ出そうとしたり。


 何度試してみても、結果は同じだった。


 その度にライルは、悲しげにしょんぼりと肩を落として去っていくのだ。

 その後ろ姿をやるせない思いで見送り、私はさめざめと泣くしかない。


「一体何なのっ、これは! これじゃ……ひっく……、ちっとも……うぅぅ……ラ、ライルと……会えないじゃないのぉっっ! うわぁぁんっ」


 ぶつけようのない怒りとやりきれない悲しさに、思わずふかふかの枕をベッドから床の上へと放り投げる。

 せっかく使用人たちが一生懸命きれいにふかふかに洗い上げてくれた枕だけど、この感情をどうしていいのかもうわからない。


「リリお嬢様……。本当に一体どうしてしまわれたのでしょう……。お医者様はどこも異常はないとおっしゃるし、ライル様がいらっしゃるまでお元気でいらっしゃるのに……」


 メイドも両親も顔を見合わせ、戸惑うばかりだ。もちろん私も。


 ライルに会いたくて会いたくてたまらないのに、どうしてこんなに拒否反応か勝手に起きてしまうのかしら。



 ならばせめて手紙を、と涙ながらにペンを取ってみても。


 ライルへのあふれんばかりの愛を書き綴っていたはずが、便箋に書かれていたのはミミズがのたくったような怪文だった。


 こんな呪詛のような手紙を送り付けたら、今度こそ間違いなくライルに嫌われてしまう。もしライルとの婚約が破談でもなったら、生きていける気がしない。


 その後何度書き直してみても、だめだった。


 しかも不思議なことに、他の人宛ての手紙ならばいつものように何の問題もなくすらすらと書けるのだ。書けないのは、ライルに宛てて書いた時だけ。


「最初は吐き気、次は発疹、ライルの手紙だけ書けないなんてやっぱり変よ……。絶対におかしい。これには何かあるに違いないわ……!」


 考えられる可能性は、魔力しかない。

 この世界には、生まれながらに魔力を持って生まれる者がいる。その人たちなら、その魔力を使っておかしげな術をかけることもできるはず。


 私にはひとかけらの魔力もないから、詳しいことはまったくわからないけど。

 でも少なくともこのまま手をこまねいて、泣いているわけにはいかない。


「サラ! 急いで支度を手伝ってちょうだい! それと馬車の用意もお願い。ベリアンのところに行くわ!」

「えっ? 王立魔術研究所でございますかっ? でもそれならば先に、訪問のお約束をしませんと……」

「平気よ。今までだって何度も勝手に押しかけてるもの。皆ベリアンに恐れをなして妹の私も顔パスだから、問題ないわ。でもそうね……。ご機嫌取りにミートパイを急いで焼いてもらえる?」


 サラは困惑顔を浮かべつつも、急ぎ厨房にその旨を伝えてくれた。


 ベリアンお兄様ならきっと、これが魔力使いによる仕業なのかどうか、突き止めてくれるに違いない。


 なんたって、この国唯一の魔術研究機関、王立魔術研究所のエリート研究員なのだから。もうあれは、研究所の主と言っても過言ではないわ。だって、屋敷にも帰らずほぼあそこで寝泊まりしてるくらいだもの。


 好物のミートパイで釣れば、きっと協力してくれるはず。なんたって、妹の婚約の危機なんだから。……多分。



 にやり、と口元に仄暗い笑みを浮かべて、ふっふっふっふっ……と笑う主人を、メイドのサラが怯えた顔で見つめていた。







「おい、リリ。お前また勝手に人の研究室でくつろぐなよ。まったく、またこんなにお菓子を持ち込んで……。あ! おい、砂糖をこぼすな、砂糖を! 術によっては化学反応を起こすんだぞ?」

「お兄様ったら、相変わらず細かいんだから。ほら、お兄様の好きなミートパイも焼いてきてあげましたから、一緒に食べましょ? やけ食いでもしなきゃやってられないわよ、こんなの!」


 腹が立っている時って、どうしてこんなにお腹がすくのかしら。


 食べても食べてもちっとも満足しないし我慢した方がいいって分かっているけど、そんなことをしたら余計にストレスがたまるばっかりだもの。思い切って好きなだけ食べちゃった方がいいに決まってる。


 後でお腹についた贅肉に泣くことになるとは分かっていても、今だけは許して欲しい。

 だって、ライルにもうかれこれ二週間も会えていないんだもの。寂しすぎて、このままじゃ頭がおかしくなってしまう。


「で、何の用だ。リリ」

「お兄様にお願いがあってきたのよ。どうやら、私誰かにおかしな術をかけられてしまったみたいなの」

 

 一瞬私をつまみだそうと伸ばしかけたベリアンの手がぴたり、と止まった。


「術……だと?」


 あら、興味を持っていただけたみたいね?


 ニヤリとほくそえみ、私はベリアンに事の次第を説明した。


「……ほぉ。なるほど。それはまたなんとも地味だが効果的な嫌がらせだな」


 ベリアンの目が好奇心にキラリと光った。


「このままじゃ、ライルとの婚約がダメになってしまうわ! だからお願い、この呪いをちゃちゃっと解いちゃって欲しいの!」


 私の懇願にベリアンは面倒臭そうに顔をしかめつつも、わきあがる好奇心とせめぎ合っているらしい。


「……いや。ライルとお前の婚約がダメになるなんて、天地がひっくり返ってもありえない。あいつはお前命だからな。呪いかなんか知らんが、俺は研究で忙しい。他を当たってくれ」

「そんなぁっ! ベリアンお兄様っ! 後生だから助けてっ」


 確かに、ライルは私をとても好きでいてくれている、と思う。

 婚約してからずっと一度だって私が嫌がることなんてしないし、たまに意見や気持ちが行き違うことがあっても、いつも優しく私のことを理解しようとしてくれる。


 だから、ちょっと安心してもいたのだ。このまま順調に、私とライルの恋は結婚へと進んでいくのじゃないかって。

 でも――。


「だって、考えてもみてよ? もし好きな人に会う度に避けられたり逃げられたり、拒否反応を示され続けたらどうなると思う?」

「そりゃ嫌われていると思って身を引くか、こっちも気持ちが冷めるかするんじゃないか? さすがに」


 そうだよね、やっぱり。私もそう思う。


 もし私が今ライルに取っているような行動を何度も繰り返されたとしたら、きっと自信をなくしてしまうと思うの。


 もしかして、もう自分のことを好きじゃないんじゃないかって。その気持ちが行動や症状として現れているんじゃないかって、きっと勘ぐってしまうもの。


 だから、きっとライルだって今頃――。


「確かにお前がライルを避けたり拒否しているなんて、想像もできないが。しかしなぁ……」


 ベリアンも、ようやく事の異常性に気がついてくれたらしい。

 よっしゃ! もう一押し。


「そうなの! 私がライルを避けるとか逃げるなんて、絶対にありえないもの。だ、か、ら! これはきっと、とんでもなく強力な呪いか何かに違いないのよっ」


 私はがしっとベリアンの手をつかみ、ぎりっと力を込めて握りしめた。

 

「だから、ベリアンお兄様! 一生のお願いよ。私とライルの恋路を邪魔してる大馬鹿者を、どうか見つけだして! そして私を呪いを取り払って! お願いよっ」

  

 沈黙が続くこと、しばし。


 何やらしばし考え込んだ後顔を上げたベリアンの口元には、にやりとした笑みが浮かんでいたのだった。


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