第26話「昔話-3」

「謝るのは、もう……いいから」


 力なく呟くような言葉に、わたくしは目の前のスパーク様の顔をまじまじと見つめてしまう。苦しげに顔を歪めたスパーク様は、絞り出すように言葉を続けた。


「……リリアンさんは、そんなに兄さんが好き?」

「……え?」

「周りにどれだけ陰口を叩かれても、兄さんがノア嬢を選んでも……、どうして変わらず好きでいられるの?」



 ……“好き”?


 スパーク様の思いがけない言葉に、わたくしは膝の上に置いていた拳を握った。


「昔からそうだったよね。リリアンさんはいつも、兄さんだけを追いかけてた。……リリアンさんをいつものように遊びに誘ったのに、兄さんとの約束を優先されたこと。小さな子供の頃の記憶なのに今でも何度も思い出すよ」


 確かにわたくしは、昔からウェルター様を優先させていたかもしれない。それは……それは、ウェルター様がわたくしの婚約者だから。だから、何もおかしなことなんて……。


「でもね、リリアンさん。兄さんはリリアンさんの気持ちなんか一つもわかっていないよ。だからああして毎日ノア嬢と二人で過ごしてる。……ひょっとしたら、ノア嬢と結婚する気かもね?父上は許さないだろうけど、兄さんほどの実力者なら意外と簡単に認めてくれるかもしれない」


 平民と皇子が結婚……?現実味のない言葉に、想像することすらできない。そんなこと、あるはずがない。あるはずがないと、この帝国の皇子であるスパーク様だってわかっているはずなのに……。


「……ねえ、今なら取り消せるよ……兄さんとの婚約。だって僕らはまだ成人前なんだから。あと2年もすればリリアンさんは逃げられなくなる。もうやめようよ、辛い選択なんて」


 スパーク様は痛みを抑えるような苦しげな表情で、わたくしの手を取ってそう言う。痛いところを刺されているのはわたくしなのに、どうしてスパーク様がわたくしよりも辛そうな顔をしているのか、わからない。


 ……“辛い選択“?



「成人前に婚約破棄なんて、いくら上級貴族の令嬢でも今よりずっと敬遠されてしまうことだって、わかってるよ。下手したらもう結婚できないかもしれない。……だから、リリアンさんさえ良ければ僕は――」


「スパーク様、さっきから何をおっしゃっているの?」


「え……?」



 わたくしの言葉に、スパーク様は信じられないものでも見たような、大切な何かを失ったかのような、そんな形容しがたい表情をしていた。


「ウェルター様とわたくしは、幼い頃に両家の同意のもと婚約した身……。わたくしがウェルター様を何よりも優先するのは、当然のことですわ。婚約者ですから。婚約も結婚も2人だけの問題ではなく、家を巻き込むほど大きなお話ですもの」


 少なくともこの帝国の女性……令嬢にとって、婚約や結婚は大きな意味を持つ。家を継げない令嬢達は、結婚して子を産まなければ家系が途絶えてしまう。男性は結婚の見返りとして令嬢の実家に金品や土地を捧げるのが常だった。そして結婚相手の身分が高いほど、その見返りも大きくなる。だからこそ、令嬢達は舞踏会で少しでも身分の高い紳士を捕まえなくてはいけない。


「ウェルター様は婚約や結婚の重さを、わたくしよりも理解しているはずですわ。わかっていないのは、あの平民……ノア嬢だけ。ウェルター様がノア嬢と過ごしているのは、慈悲ですわ。ノア嬢のわがままにお優しいウェルター様が付き合って差し上げているだけ」


 ……ノアのわがままにウェルター様が付き合っているわけではないと、わたくしはわかっている。ノアと過ごしている時のウェルター様は、わたくしといる時よりもずっと楽しそうに笑っているから。それでも、上級貴族のわたくしはその事実を認めてはいけない。婚約や結婚は恋愛感情に左右されるような軽いものではないのだから。



「成人すれば、わたくしはウェルター様と結婚いたしますわ。ウェルター様もそう思っていらっしゃるはずです。……両家で取り決めた、昔からの契約なんですもの。今更破棄なんて、できるはずないわ」

「……ならどうして、きみはノア嬢に嫌がらせをしたの?兄さんと結婚できるとわかっているなら、どうしてそんな無駄なことを」


「……無駄?いいえ、必要なことですわ。無礼な平民に礼儀を教えるのも貴族の役割ですから。一介の平民がくだらない恋愛感情でウェルター様に近づくなんて、とても許せることではございません」



 スパーク様の顔から表情が抜け落ち、少しの間わたくし達を静寂が包み込んだ。かと思えば、「そうか」と小さく呟き、彼はそれから声を上げて笑い出した。声はだんだん大きく、この温室中がスパーク様の笑い声で埋め尽くされてしまうほどに大きく聞こえる。スパーク様の声は、道化が楽しくもないのに笑うような、無理矢理出す笑い声に似ている気がした。


「……そうだね、リリアンさんって本当にはっきりしてる。自分にとって何が有益で何が無益か。無意識に選別してふるいにかけて、無益なものはきみの視界に入ることすらできない。最初から存在することすらできない、きみに認識されていないんだから。……最初から無い。捨てたんじゃなくて気付かれさえしないんだ」


 急に話を始めたスパーク様の言葉が、わたくしには理解できなくて困惑してしまう。わたくしには言葉を許さないとでも言うかのように、スパーク様は笑顔で続けた。



「リリアンさん、もう出て行ってくれる?……それから、もう2度とここには来ないでよ」

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悪役令嬢は皇子様の心を射止めたいはずだったけれど……!? きやま @kiyamahajime

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