第25話「昔話-2」

 少しして、どこからか戻ってきたスパーク様は、見たことのない色の薔薇の切り花と筒状の長い陶器を腕に抱えていた。スパーク様は筒状の陶器をコトリとテーブルの中央へ置き、その中に何輪かの薔薇を差し込む。白、黄色、ピンク、黒……初めて見る色とりどりの薔薇に、わたくしは目を瞬かせた。


「これが……スパーク様が栽培されている薔薇、ですか?」

「……うん。まだ試験段階だから、安定した栽培にはなかなか成功してないんだけどね」


 椅子に座ったスパーク様の手元には、緑色の薔薇が一輪綺麗に咲いていた。彼はおもむろに花弁を数枚取ると、ティーカップの中の紅茶へ浮かべた。揺れる緑色から、ふわっと華やかな香りが鼻腔をくすぐる。


「まあ、綺麗……」

「こうして紅茶の上に花びらを浮かべるとね、香りが良くなるんだ。ほら、飲んでみてよ」


 スパーク様の視線に促され、わたくしはカップを手に取り一口飲んでみた。香ってくる甘い薔薇の香りが、紅茶の後味を柔らかくしている気がする。……美味しい。


「……普通の赤い薔薇と香りが違うのかしら?より甘いような香りがするわ」

「色によって香りもちょっとずつ異なるからね。今紅茶の中に入れた緑の薔薇は、一応食べることもできるよ」

「食べる!?」

「そう、花が食べられるなんてなんだか魅力的じゃない?好きなものを体内に取り込めるなんてさ」


 しみじみと語るスパーク様にわたくしは少し引きながら、食器の上に置かれたサンドウィッチを手に持ち小さく食べ進める。ハムとチーズとレタスとトマトが挟まれたベーシックなサンドウィッチは、朝食を食べそびれたわたくしには、いつもよりもずっと美味しく感じられた。好きな花に囲まれて食事をしているというのも、食事を美味しくしている理由の一つかもしれないけれど。


 わたくしが食べ始めたことを確認して、スパーク様もサンドウィッチを頬張った。いつもの上品な振る舞いではなく、年相応の青年のようなスパーク様の食べっぷりに少し驚く。


 彼にとってこの場所は、唯一何も気にしなくていい場所なのかしら。



「スパーク様は、薔薇がお好きなのね。このテーブルの彫刻もそうですけれど、ご自分でも栽培されるほどだなんて」

「……そうだね、好きなんだと思うよ。多分、すごく」

「なんだか不思議な言い方ね……」


 釈然としないスパーク様の口ぶりにわたくしがそう零せば、スパーク様は少し微笑んだ後に強引に話題を変えてしまった。



「そういえばリリアンさん、昨日はすっごく……それはもう目も当てられないほどに具合が悪そうだったけれど、もうずいぶん元気になったんだね?」


 温室にやってきてからは昔の頃のような、優しい態度でわたくしへ接していたスパーク様はどこへやら。あっという間にいつもの憎まれ口をたたくような調子を取り戻してしまい、わたくしは彼のその変化にたじたじとする他なかった。


「……昨夜は、大変ご迷惑をおかけいたしました。お詫び申し上げますわ」


 食事の手を止め、椅子から立ち上がったわたくしは謝罪のために一礼をする。顔を上げてスパーク様の様子を伺えば、どこか不機嫌そうに眉を歪めているのが見えた。


 ……一体何が、スパーク様の逆鱗に触れたのかしら?


 わたくしは温室へやってきてから今までの出来事を思い返してみるけれど、原因を見つけることはできずにただ困惑していた。


「……ま、いいよ。座って食事の続きをしよう」


 貼り付けたような笑顔を浮かべたスパーク様に促され、わたくしは再度席へ着く。スパーク様の雰囲気から、もう先程のように素直な彼と話はできないのかもしれないと、わたくしはなんとなく感じていた。


「リリアンさんは、そんなに兄さんと舞踏会に参加したかったの?僕とのダンスは途中で逃げ出すほど嫌だった?」

「……ウェルター様はわたくしの婚約者ですから、一緒に参加するのは当然ですわ。ですが、わたくしは……スパーク様とのダンスが嫌で具合が悪くなったわけではありません。ただ……」

「……“ただ”?」


 スパーク様はテーブルに肘をついて、疑うような視線をわたくしに向けている。彼の眼差しに、わたくしは昨夜の舞踏会のことを思い出していた――。



『だってあの悪評高い一族だ、愛想を尽かされても仕方ないよな』……関係のない貴族の嘲笑を、あの時どれだけ頭の中で意味もなく繰り返しただろう。


『……そうか。よく似合っている』……スパーク様に合わせたわたくしの格好を見てそう呟いた、ウェルター様の真意を疑ってしまったわたくしの醜さにまた打ちひしがれて。


 グローブをつけていなかったノアの素肌に口づける、ウェルター様の――。



『今更、怖気付いたのか?』


 あの土砂降りの夜に、明るい月を無理矢理引きずり出した悪魔の言葉。月光に照らされたどこまでも深い赤色の瞳に見つめられたあの夜……あの夜のせいよ。


 今朝だって何食わぬ顔で人間のふりをして、そんな風だから……、グースのせいで頭の中の計画や思考が全て吹き飛んでしまったのよ。だからこそこうして、スパーク様に言われるまで謝罪のことさえ頭から消えてしまっていたんだわ。



 思ったよりも長考してしまっていたのか、ふと気づけばスパーク様は様子を伺うような眼差しをわたくしに向けていた。わたくしは手元のティーカップの中の紅茶を一口飲み、口を開く。


「ただ、無礼な貴族やウェルター様と踊るノアの姿に、あの時は少し動揺してしまっただけですわ」


 誰にも言えないような恥だと思っていたことを、すんなりと口にできたことに自分でも驚いていた。そしておそらく、スパーク様もこんなことを口にするわたくしに驚いているのか、目を見開いていた。


「……ですが、もう終わったことです。今のわたくしは気にしておりませんわ。……スパーク様には、大変ご迷惑をおかけしてしまいましたね。本当に申し訳ございません」


 椅子に座ったまま頭を下げると、スパーク様は「頭を上げて」と慌てたような声を出した。そしてわたくしの肩へ手を触れ、頭を下げていたわたくしの上体を無理矢理起こしてしまう。

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