第24話「昔話」

 温室の中は外よりもはるかに暖かく、まるで春のようだった。見たことのない果実を実らせた木や、道端に咲いていそうな小さな花まで、すべての草花が凛々しく生きている。


 ……誰かが毎日手入れをしているのね……。限られた人間しかここに来られないのなら、執事長とかかしら?


「リリアンさん、花好きでしょ?奥の方で色鮮やかな薔薇を栽培してるんだけど、いる?」


 わたくしが見たことのない美しい花に見惚れていると、横に立ったスパーク様がなんてことのないようにそう言う。


「え……いいえ、とんでもございませんわ。この温室で育てられているものは貴重ですもの。わたくしの私情で持ち帰ることなんて、できませんわ」

「そう?奥の薔薇は僕が試験的に育てているものだから、別に自由に持っていっても……」


「え?スパーク様が!?」


 驚きのあまり大きな声を出してしまった後、ハッと我に返って口を手で抑える。わたくしのそんな様子を目を瞬かせて見ていたスパーク様は、ふっと小さく息を吐き出すようにして笑い声をあげた。立て続けにスパーク様に醜態を見せてしまったわたくしは、恥ずかしさに彼から顔を逸らす。


「……この温室の植物はね、僕がメインで面倒を見ているんだよ。兄さんや信頼のおける庭師なんかもたまに来るけどね」


 いつも軟派で軽薄な言葉を吐いてばかりの彼の口から、珍しく真剣な色を帯びた言葉が出てくる。「ここはね、」と彼はどこか遠くを見つめるように言葉を続けた。



「この温室はね、僕だけの楽園なんだ。……わざわざ僕がここに招いてあげたのは、この学園でリリアンさんだけだよ」


 かろうじて聞こえるほどの、本当に小さな声でそう呟いたスパーク様は、瞬きをした次の瞬間にはいつもの調子で笑顔を作り「じゃ、ランチにしよっか?」とわたくしの手をとった。




 手を引かれて連れてこられたのは、美しい彫刻が施されている正円のテーブルと小さな椅子が2脚置かれている静かな空間だった。スパーク様はテーブルの上にバスケットを置き、わたくしに椅子に座るように手で合図した。

わたくしは彼に素直に従って控えめに背もたれのついた、小さく可愛らしい椅子へ腰を下ろす。普段お茶会で使われるテーブルや椅子よりも小さく作られているものだから、物珍しくてついまじまじと座った椅子を見てしまう。


 植物のツタをモチーフにしたような有機的な彫刻は美しく、椅子もテーブルも芸術作品のように思えるほどだった。温室の美しい植物がより一層雰囲気を高めているからかもしれない。


「いいでしょ?このテーブルセット。僕が職人にオーダーして作ってもらったんだ」

「……綺麗ね。この温室にぴったりだと思いますわ」

「だよね?よかった……見て、ここに薔薇の彫刻も入れてもらってるんだ」


 子供の頃のように無邪気な笑顔を浮かべながら、スパーク様は誇らしげにテーブルの彫刻の1部を指差した。指差されたテーブルの縁を見てみれば、確かに薔薇の花弁が美しく彫刻され色付けられている。普段から数多くの彫刻を目にする機会の多いわたくしには、この些細な彫刻がどれほど高度な技術を必要とするかがわかった。



「素晴らしい技術ですわ……それにこんなに色鮮やかな赤の調合は、誰にでもできるものではないわよね……」

「そう、そうなんだ!この彫刻を施してくれた職人はちょっと気難しいんだけど、それでもかなりいい仕事をしてくれるんだよね。……『お前のような奴には、どれだけ金を積まれても絶対に作らん!』なんてさ、初めて仕事をお願いしに行った時の剣幕、リリアンさんにも見て欲しいくらいだったよ」

「ふふ、スパーク様がそこまでおっしゃられるなら、さぞかし怖いお方だったんでしょうね。ですが、職人は往々にして気難しいものですわ」

「あはは!確かに一理あるかも」


 本当に楽しそうに笑うスパーク様を見て、わたくしも肩の力を抜いた。


 ……思えば、スパーク様は幼い頃から植物や彫刻に興味を示していたわね。わたくしも小さい頃から花や芸術品が好きだったから、こうしてよく一緒に花や絵を見て話をしたかしら……。


 わたくしが懐かしい日々の思い出を頭の中で振り返っていると、スパーク様は慣れた手つきでバスケットから食器を取り出しテーブルへ並べ始めた。


「あ、わたくしが……」

「いいのいいの。僕の方が慣れてるから」


 帝国の皇子に使用人のようなことをさせるわけにはいかないと手を出そうとすれば、やんわりと断られてしまい、わたくしの手はあわあわと宙を彷徨うことになってしまった。その間にスパーク様は手際良く食器を並べ、飲み物をカップへ注ぎ、軽食のサンドウィッチをそれぞれの食器の上へ置いていた。


「あ、そうだ。ちょっと待ってね」


 あれよあれよという間に全ての用意を済ませてしまったスパーク様は、そう言うと立ち上がって温室の奥へと姿を消してしまった。取り残されたわたくしは行き場なく彷徨っていた手を膝へ置き、大人しくスパーク様を待つことにした。

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