第7話「不穏へ誘う-5」

 一礼をしようと頭を下げていたわたくしは、スパーク様の言葉に驚きのあまり顔をこわばらせてしまった。わたくしは慌てて顔の緊張をほぐし、なるべく不自然に見えないように下げていた頭を上げてスパーク様へと微笑んだ。


「あら?スパーク様にお手紙を書く用事なんて、わたくしにはございませんわ。人違いじゃないかしら?差出人のお名前は書かれていらっしゃらないの?」


 わたくしはスパーク様を正面からまっすぐ見つめ、気遣うような声色で返事をする。大丈夫……、普通にしていればわたくしが書いた手紙だとバレるはずがないんだもの。そもそもちゃんと封筒にノアの名前を表記しているのだから、こんな風に詰められるのもおかしな話だわ。


「あ、ほら。ここに『親愛なるノアより』と書かれているわ。わたくしのクラスメイトのノア嬢が差出人じゃないかしら……」

「いいや?ノア嬢じゃないね。この手紙の差出人は、間違いなくきみ……リリアンさんだよ」

「ええと……?でもほら、こちらにお名前が」

「間違いなくきみが出した」


 埒があかないスパーク様の返答に、笑顔が少し引きつったのが自分でもわかった。


「ノア嬢は平民だよ?こんなに綺麗に字なんて書けない。それにほら、ここを見てみなよ」


 スパーク様は封筒の中から手紙を取り出し、それを広げてわたくしに見えるように突き出す。



「『どうか私を、今度の舞踏会でエスコートしてくださいませんか?』……ほらここ、文字の癖が君と一緒だ。華やかで繊細な文字なのに、文章の最後に力強く右上に跳ねる筆跡……間違いなくきみの文字でしかない」


 彼はわかりやすく手紙の中の一文を指差し、わたくしの目を真っ直ぐ見てくる。その目を負けじと見返しながら、わたくしは口を開いた。


「……そうかしら?仮にこれがノア嬢の文字でないとしても、こういう文字を書く貴族は他にもたくさんいるわ」


「いや、この文字はリリアンさんのだよ。僕にはわかる……それに、封筒にわずかに残っていた香りがきみのものだった」


 封筒の香り……!わたくしはその単語にハッとして、手紙を書いた昨夜のことを思い返していた。


 差出人はノアにしたから、いつもの手紙のように香水を振りかけたりはしていないはず。それなのに、封筒からはわたくしの香りがする……?卓上に置いていた薔薇の花の香りがうつってしまったのかしら……?


 わたくしが普段手紙に吹きかける香水の香りを、スパーク様が覚えていることも計算外だったけれど、不手際で手紙に香りをうつしてしまった自分の迂闊さに、わたくしは思わず唇を噛んだ。


「おや、レディが唇を噛むなんてはしたないな。淑女の唇は紳士とのキスのために整えておかないといけないのに」


 スパーク様の指がわたくしの唇を優しく撫でる。鳥肌が立ちそうなほどキザなセリフも、地位も美貌も持った彼が口にすると甘い響きを持つのだと思った。


「……わたくしには婚約者がおりますので、そういう軟派な声かけはやめてくださらないかしら」


 ふい、と顔を逸らしてスパーク様のスキンシップを拒否する。彼はウェルター様とは違って、女性であれば誰にでも優しく声をかける遊び人。わたくしはそんなスパーク様の、誰にでも行われる恋人同士のようなスキンシップが非常に苦手だった。



「手厳しいなあ。でもリリアンさん、兄さんに全然相手にされてないじゃない?そろそろ他の相手を考えた方がいいと思うけど」


「っ、いいえ!わたくしはスパーク様とは違って一途ですので!ウェルター様以外の男性なんて、考えこともございません!!」


 いくらスパーク様が第二皇子だからと言って、わたくしが侮辱されるいわれはないわ!

 キッとスパーク様の目を鋭く見つめ返し、わたくしははっきりと言い退けた。そんなわたくしの様子を間近で見たスパーク様は、つまらなさそうな何か言いたそうな目でわたくしを見下ろし、軽く息を吐き出した。


「ま、いいよ。リリアンさんがそう言うならそれで。……でもさ、この手紙。リリアンさんが書いたって認めたってことだよね?さっきの様子だと」


 にこり。そんな効果音が聞こえてきそうなほど綺麗に、令嬢の間で素敵だと騒がれている笑顔をわたくしに向けたスパーク様。わたくしはどうにか反論しようと必死に頭を働かせたけれど、結局口から言葉は出てこなかった。



「えーと、なんだったかな。『スパーク様、ずっと前からお慕い申し上げておりました。エメラルドの輝きのような上品な瞳も、雪解けのような美しい髪も、あなたの全てを愛おしく思ってしまいます。どうか私を、今度の舞踏会でエスコートしてくださいませんか?』……ねえ。いいよ、そんなに言うなら今度の舞踏会……僕がリリアンさんのエスコートをしてさしあげよう」



 手紙の内容を読み上げた後、スパーク様はわたくしの腰をその長い腕で自分の体へ引き寄せて微笑んだ。急に抱き寄せられたものだから体制を崩してしまい、わたくしは思わず彼の胸に手をつく。


「え、あ……え?あの、ですから!その手紙はわたくしでは……」


「うんうん。たとえノア嬢の名前を借りたとしても、君が書いたんだよね?……だったらこれは、リリアンさんから僕へ差し出した手紙だろ?」


「え?あの、いえ、違います」

「大丈夫。たくさんのご令嬢から誘われている僕だけれど、今回は特別にリリアンさんを1番に優先してあげる。だって本当は僕のことが愛おしくてたまらないんだものね?」


「はい!?!?!?」


 凄まじい勘違いをしているスパーク様の言葉に、思わず淑女らしくない大声を出してしまったわたくしはハッとしてすぐに口を押さえた。


「“はい“……うん。いい返事だね。じゃあ次の舞踏会、リリアンさんは僕と一緒に参加するということでよろしく」


「え?スパーク様!今のは誤解です!」



「あ、そうだ。兄さんにはちゃんとリリアンさんから“舞踏会にはスパーク様と参加します”って言っておいてね!」



 スパーク様は言いたいことだけ言うと、わたくしをパッと腕の中から解放して足早に立ち去ってしまった。


 日の暮れてきた中庭に1人取り残されたわたくしは、唖然と身送ることしかできないのだった。

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