第2話「悪魔召喚-2」
翌朝、鳥の楽しそうなさえずりと窓から差し込む朝陽の眩しさに目を覚ます。結局ぐるぐると色々なことを考えてしまい、今日も深くは眠ることができなかった。わたくしは溜息を一つ吐いて、クラスへ行く準備をするためにベッドから体を起こす。各部屋に1つずつ置かれている小ぶりなベルの柄を手に持って鳴らせば、学園が雇っている使用人が扉の前で「リリアン様、いかがいたしましたか」とわたくしに声をかける。
「顔を洗うためのお湯を持ってきて」
わたくしの命令に、名前も知らない使用人は「承知いたしました」と答えると、何処かへと洗面用具を取りに向かったようだった。使用人がわたくしを起こさなかったことを考えると、クラスへ向かうにはまだまだ早い時間のようだけれど、あの女の様子も確認したかったのでちょうど良かったのかもしれない。そんなことを考えていると、使用人が戻ってきたようで「ご用意できました」という声と共に扉をノックされる。
わたくしはそれを許可し、一通りの準備を済ませたのだった。
廊下の壁に設置されている時計の針を確認すると、ずいぶん早い時間を指し示していた。平民は基本的に貴族よりも早くクラスに入ることが義務付けられているから、おそらくあの女ももう席に着いているにいるはず。自分のクラスの教室へ足を踏み入れながら、一番後ろの席を確認すれば、容易にあの女を見つけることができた。
「あら、相変わらず早いのねえ。ノアさん」
憎たらしい女の席の前に立ち、座っている彼女を見下ろして声をかける。手入れが行き届いていないのか、少し荒れている紅葉のような髪は肩まで伸びていて、肩の流れに合わせて毛先がカーブしている。わたくしを見上げた、彼女のサファイアのような青色の瞳と目が合った。わたくしとは全然違う髪色も、瞳の色も、顔立ちも……見るたびに体の底から震えるような怒りを覚える。
「あ、リリアンさん!おはようございますっ」
「……いつも言っているけれど、リリアン“様”と呼んでくださる?わたくしとあなたとでは、立場の違いがありますから」
「え?でも、先生たちは貴族も平民も同じように扱ってくれます。だから、この学園ではそういう階級?みたいなものは無効だと思うんですけど」
この女……ノアの言葉に思わずわたくしの完璧な笑顔が崩れそうになった。わたくしがノアの無礼をいくら指摘しても、今のように何も問題じゃないような態度で適当にかわされる……わたくしにとって、それはこの上ない屈辱だった。たかが平民に、この帝国を代表する貴族であるわたくしの一族が汚されたような感覚。到底分かり合えない相手であるノアが、ウェルター様の興味を惹いていることが何よりも許せない。彼女から見えない位置で拳を強く握りしめ、至って平然を装いながら口を開いた。
「あら、平民の方には到底わからない感覚でしたね。わたくしが配慮しなくてはいけなかったのに、ごめんなさいね?」
「あ~、全然大丈夫ですよ~!それよりリリアンさん、昨日フォーミュラ先生が課題で出していた数式、解けました?」
「お馬鹿さんと課題について話し合うつもりはございませんので、失礼いたしますわ!」
一刻も早くわたくしの視界からこの女を消すため、わたくしは身を翻して自分の席がある教室の前方へと颯爽と立ち去った。着席し、授業の準備をしながら顔を顰める。
やっぱり呪いなんて迷信ね……!性懲りもなくわたくしを馬鹿にして、あの女……次こそ絶対に痛い目に遭わせてやるんだから……!!
あの女が死ぬまで、わたくしは絶対に諦めないわ――!
「学園の怪異だなんていうから、わたくしとしたことが信じてしまったわ……本当、あんなデマカセを誰が言い出したのかしら!」
人気のない中庭のベンチに腰を掛けながら、放課後にわたくしは独りごちていた。
「呪いだなんて、やっぱり嘘っぱちじゃないの!図書室に本があったからって、少しでも信じてしまった自分が恥ずかしいわ!何が学園の怪異よ!!“図書室には憎い相手を呪い殺せる本がある”なんて嘘ばっかり!もう信じないんだから!!……ふう」
鬱憤が溜まると、わたくしは時々こうして好き勝手に叫ぶことで気持ちを晴らしていた。何年か前に寮の自室でも叫んだことがあるけれど、事件と勘違いされて警備隊を呼ばれてしまい、散々な思い出となってからはこの中庭の人のいない時を狙って、こうして発散している。授業が終わると令嬢は自室やパーティールームでお茶会を、令息は令嬢と同じくお茶会や闘技場で鍛錬などに励むことが多いため、まだここで誰かと出会したことはなかった。
「……また何か方法を考えないとダメね。高貴なわたくしが直接危害を加えるわけにもいかないし、本当に厄介な女……」
「さっさと殺せばいいだろ?」
頭上からかけられた声には、聞き覚えがあった。急に声をかけられた驚きで一瞬身を硬らせたものの、すぐに振り返って相手を確認する。
「あなた、あの時の悪魔……不審者じゃない!不法侵入は重罰対象よ!!」
「……くどい女だな。昨日お前が勝手に帰るから、仕方なく日を改めて契約の続きをしにきたんだろうが」
「またそんな面白くもない冗談を――んみっ!?」
パチン、と男が指の摩擦で音を立てると、どういうことかわたくしの口が開かなくなった。「ん、ん!んん!!」と、どうにか口を開けようとしても、口の中に声が閉じ込められたままで自分の意思では開くことができなかった。
そうこうしているうちに男はしれっとわたくしの隣に腰を掛け、余裕そうな笑みを浮かべながら、困惑するわたくしを観察し始めた。悪戯に光る紅い瞳を睨み返し、わたくしは男から距離を取るように座り直そうとする。しかしそれも男が指を鳴らすと、体が固まって動かなくなってしまう。
「どうだ?これで俺が悪魔だって信じられるか?」
「んんん!んんんんー!」
「ん?俺が美しいって?知ってる」
“この変態“って言ってるのよ!!そう言い返したいのに、いくら言葉を話そうとしても口の中に声が篭って相手には届かない。男はわたくしのそんな状況を見て楽しんでいるようで、腕を組みながらベンチに持たれかかり口元に笑みを浮かべている。……この男、顔立ちだけは整っているようだけれど、目が笑っていなくて不気味だわ。まさか本当に……悪魔だっていうの?
「その状況のお前もなかなか面白いが、アホ相手には話せないと事がややこしくなるからな」
パチン、その音を合図にわたくしの体と口に自由が戻ってくる。反撃しようと体に力を入れていたから、突然解放された反動で男の方に転がってしまう。受け止めてくれればいいものを、男はすっと立ち上がってわたくしを避けた。左肩に鈍い痛みが走る。勢い余って頭をぶつけてしまったのか、一瞬視界がぶれて白く染まった。
「……っ、ちょ、ちょっと!どうして避けるのよ!普通支えるでしょ!?何考えてるのよ!変態!悪魔!!」
「その通り、悪魔だ。ようやく理解したか?」
「そっ、ういうことじゃ……、本当に悪魔なの?それも、わたくしが呼んだって言っていたわね……?あの本、本当に悪魔召喚のやり方が書いてあったの?」
「……理解が遅すぎるな。人間の中でもお前ほど愚かなのは少ないんじゃないか?お前が呪いの本と勝手に勘違いしただけで、元から悪魔召喚の本だった。短絡的すぎる思考だと生きていくのにも苦労するだろうな」
ベンチから転がり落ちたわたくしは、ようやく頭が揺れるような感覚から解放されたので立ち上がる。昨日に引き続き、この男のせいで二回も転んだわ。おまけに手を差し出さないどころか、このわたくしを見下してくるし……一体何様なのかしら!
「あなたの方こそ、わたくしの話を全然聞いていないのね!昨日はっきり申し上げたはずよ!わたくしはどんなことがあっても、悪魔の手なんて借りない……わたくしの力だけであの女を始末してやるんだから!!契約は破棄よ!!」
「その割には呪いの儀式だなんだって言ってたけどな」
「そ、それはわたくしの意思で利用しているんだから、実質わたくしの力よ!」
「まあその“呪いの儀式”とかいうのも、全部お前の愚かな勘違いだったけどな」
……ああもう、この男本当に嫌いだわ!いちいち人を見下して嫌味を言わないといけない理由があるのかしら!いくら悪魔だからって、人間の生きる世界に来たのならこっちのルールに合わせるのが常識じゃないのかしら……!
「あ、あなたねえ!いくら常識知らずの悪魔だからって……」
「“わたくしの意思で利用しているんだから、実質わたくしの力”なあ……。だったら俺のこともそう考えればいいだろ?」
男はそう言いながら座っていたベンチから優雅に立ち上がり、わたくしの前まで来ると、その長身を腰から折るようにして目線をわたくしと合わせた。ぞっとするほど紅い瞳に見つめられると、わたくしの全てを見られているように感じて身がすくむ。
……いいえ、こんな男を恐れる必要ないわ!まして自分の全てを見られたところで、わたくしは恥ずかしいことなんて一つもしていないんだから、胸を張っていればいいのよ!
わたくしが男の目をキッと睨み返せば、その紅は愉快そうに歪んだ。
「俺の力もお前の実力だと思えばいい。召喚した時点で、契約破棄なんてできないんだよ。……さあ、願いを言ってみろ」
男の綺麗な長い指が、わたくしの顎の下を面白がるように撫でる。柔らかで冷たい肌の感触と、鋭い爪が肌に食い込む不快感に、わたくしは顔を歪めながらも口を開いた。
「結構よ!!」
男はわかりやすく溜息を吐いたのだった。
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