悪役令嬢は皇子様の心を射止めたいはずだったけれど……!?
きやま
第1話「悪魔召喚」
「ここに牛の心臓を置いて……よし。これで完成ね」
深夜、肌寒さを感じさせるほど人気のない学園内。机の上に置いた燭台の光だけが、漆黒に覆われた古びた教室を照らしている。足元には本の内容を見様見真似で描いた、理解不能な装飾をともなった大きな円があり、その中心にわたくしは使用人に命じて取り寄せた牛の心臓を置いた。
「本当にこれで呪いがかかるのかしら……」
強い決意を持って挑むのだから、わたくしが弱気になってはいけないわ、と気を持ち直して手元の本を見据えた。
動物の皮を使用して製本されている古い本には、人を呪い殺す儀式について詳しく書いてある……いわゆる魔術書と呼ばれるもの。わたくしは今夜、この本の内容を忠実に再現した。
わたくしは今夜、あの忌々しい女を呪い殺す。そして、わたくしの婚約者を取り戻す。
わたくしの血で描いた、わたくしが横になっても余裕がありそうなほど大きな円の模様を前に、最後の仕上げをするために口を開く。
「古の災いよ、現れたまえ。我が名はリリアン・ノーブル。主が命ず――みことを代価に汝の罪をも赦そう――?」
本に書いてあることをなぞって、怪文のような呪文を唱える。
……どうしてこんなに意味のわからないことをさせるのかしら?呪いの儀式って本当に面倒臭いわね。
そう思った時、床に描いた円が太陽のように眩い光を放った。眩しさに耐えきれず、腕で顔を庇い外方を向く。それでも光からは逃れられず、視界は白に覆い尽くされた。
「うっ……な、なんですの!?この光……っ」
この光が、呪いがかかった合図なのかしら?でもそういえばあの呪文、『主が命ず』とかちょっと呪いにしては誰かに命令するみたいで変だったわね――?
点滅する白に襲われながらそんなことを考えていると、左手首を何かにギュッと掴まれ引っ張られる。驚いて思わず目を開けるけれど、眩さが目に残っていて何がわたくしの手を掴んでいるのか、うまく認識できない。
「……ふむ、なかなか底意地が悪そうだ」
「だ、誰なの!?レディの手を許可なく掴むなんて無礼よ!」
「……“レディ”?」
思ったよりもずっと近く、耳元に響く低い声は聞き覚えがない。体の芯まで震わせるような迫力のある声は、怒っているようにも楽しんでいるようにも受け取れて感情が読み取れない。眩さに奪われていたわたくしの視力がだんだん戻ってくる。鼻と鼻がぶつかりそうなほどの至近距離に男はいた。
「きゃあ!?」
あまりにも近い距離感に、思わずわたくしは体を後ろに引いた。その勢いのまま尻餅をついてしまい、痛みに声が出そうになるけれどぐっと堪える。貴族たるもの、他人の前で無様な声を聞かせるわけにはいかないもの。それでも、転ぶレディに対して手を差し伸べるのは当然じゃないのかしら?と、悠々と目の前で立っている男を睨むために顔を上げ、言葉を失う。
「レディってのは、淑女のことか?見たところお前に品位を感じられないんだが」
闇に紛れそうなほどに深く、黒い髪。暗黒の中でもしぶとく光りそうなほど、鋭く美しい深紅の瞳。血の気を感じないほど白い肌は陶器のように滑らかで、凛々しくも繊細に整っている顔はわたくしを小馬鹿にするように笑っている。どこからどう見ても美しい男――けれど、彼の頭部には髪と同じく漆黒の、渦を巻いた羊のような角が2本生えている。背中には蝙蝠の翼のようなものが生え、臀部からは鞭のようにしなやかな何かが伸びている。明らかに不審な容貌に、わたくしはしばらく言葉が出なかった。
「……いかにもアホそうな女だ。まあ、こっちにとっては好都合だが」
男はわたくしのつむじからつま先までを物色するように眺めると、わたくしを蔑む言葉を口にした。
「あ、アホ!?あなた、いきなり出てきてなんですの!?無礼ね、わたくしを誰だと思っているのかしら!この帝国に最も貢献している貴族であるノーブル家の――」
「わかったわかった。リリアン・ノーブル、御託はいいから願いを言え」
「願い……?」
男の言っている意味がわからず、わたくしは首を傾げる。男はそんなわたくしの様子を見て、呆れたように溜息を吐いた。
こ、この男……なんなの!?不審者風情でこのわたくしを馬鹿にして、ただで済むと思っているのかしら――!
「あ、あなたねえ!さっきからなんなの?願いを言えだの、……不審者は学園に報告するわよ!!」
床から立ち上がり、ドレスの裾をパンパンと手で叩いてホコリを落とす。目の前の男はわたくしよりも頭一個分は優に身長が高く、キッと睨みつけても格好がつかない。この男のせいで転ばされるし、馬鹿にされるし、散々だわ……!
「……まさか、本当に何も知らないで俺を呼んだのか?馬鹿にもほどがある……。いいか?お前は悪魔を召喚した」
「悪魔?何を馬鹿なことを……」
「その悪魔が俺だ。お前が持っている本……そこに“悪魔召喚の儀式”と確かに書いてあると思うが……まあ、お前アホそうだし誤読したんだろ」
「なっ――!!」
「お前の描いた魔法陣もクソみたいな出来だしな。あれで来てやったんだから感謝してほしいくらいだが……まあいい。本題だ。お前は俺を呼び出した……その時点で悪魔との契約は完了している。俺はお前の死後の魂をもらう代わりに、お前の願いを何でも一つ叶えてやろう。それが悪魔と人間との契約だからな。――これで、ようやく理解できるか?」
悪魔だという男は、優雅に腕を組み、口元に微笑を浮かべながらわたくしを見下す。男の頭にある角も、背中から生えている翼も、臀部から生えている尻尾のようなものも……悪魔だというのなら説明がつく。手にもっているこの本を探しているときに見つけた、悪魔の容姿について書かれている本には確かにこの男のような容姿が記されていた。……美しいとは書いていなかったけれど。
「死後の魂って、どういうこと?わたくしが死んだ後、わたくしの魂はあなたの好き勝手にされるということ?……そんなの御免だわ!」
「お前が拒否しようが、俺を呼び出した時点で契約は完了している……さっきそう言ったはずだが?想像よりアホな女だな。貰うったってどうせ死後の魂なんだ、生きているうちはどうでもいいだろ?嫌いな人間を殺すでも、国を滅ぼすでも、なんでもいいぜ?愚かなリリアン・ノーブル、お前の望みを叶えてやろう」
怒りが骨頂に達すると、言葉が出ないということを初めて知ったわ。わたくしは軽薄な笑みを浮かべる悪魔を正面に見据え、正々堂々と言い退けた。
「結構よ!!わたくしリリアン・ノーブル、悪魔の手を借りるほど落ちぶれていませんもの!!ノーブル家に生まれたこの身は、たとえ死後であっても高潔でなくてはいけないのよ!!」
「は?いやお前、だから……」
「ついてきたら学園長に突き出すから!!」
わたくしは机の上に置いていた燭台をパッと手にとり、本を落とさないように抱え直して悪魔から逃げるように走り出した。暗闇に飲み込まれた、人気のない廊下を一人走ってゆく。廊下にはわたくし一人の足音が聞こえるだけ……おそらく、悪魔はついてきていない。ヒールを履いているのに無理をして全力疾走していたので、速度を落として早歩きで廊下を進む。もうすぐ寮と繋がる通路に出る……見回りの方にバレないよう、足音をなるべく殺しながら自分の部屋まで戻った。
自室の扉を音を立てないようにゆっくりと開き、誰にも見られていないことを確認してからスッと素早く室内へ身を隠す。部屋に入ってきたと同時に今までの緊張が解れ、わたくしはドアの前で膝から崩れ落ちるように床に手をついた。手に持っていた燭台が床に敷き詰められた絨毯に引火でもしたら危ないので、かろうじてそれだけは壁の引っ掛かりにかける。
……手もドレスも汚れてしまうわ。そう思っても体には力が入らない。床についた手が小刻みに震えている。
「……なんだったのかしら?夢……、じゃないわよね」
悪魔だという美しい男――、今まで出会った人間の中で一番整った顔をしていた。それこそ、本当に人間だとは思えないほどに。
「悪魔だなんて、いるはずないわ。不審者が咄嗟の言い訳で口にしただけよ……はあ、最悪ね。どうしてあんなしょうもない嘘に、本気で対応してしまったのかしら……」
思い返せば恥ずかしい自分の行動に、今度は怒りと恥ずかしさで体が震えてくる。正気に戻ったわたくしは、就寝の準備をするために立ち上がり、クローゼットへと向かった。ネグリジェに着替えるため、複雑なリボンを一つずつ解きドレスを脱ぐ。この学園に入学した12歳の頃までは、メイドにわたくしの全ての身支度を任せていたけれど、学園では一人で出来なくては不便なことも多いので、この5年間ずいぶん練習して今では難なくこなせるまでに成長した。多くの貴族の令息や令嬢が入学するこの学園は、貴族としての礼節や社交を学ぶため、そして貴族同士の交友を深めるために存在する。ごく僅かながら平民も条件さえ満たせば、特別に入学が許されていた。
「本当、目障りだわ……」
わたくしの婚約者と、立場も弁えずに毎日のように過ごしている平民の女の顔がふと脳裏を掠めて、思わず顔を顰めた。わたくしがいくら咎めても、全く言うことを聞かずにウェルター様と歓談しているあの女……。一体何様のつもりなのかしら?婚約者であるわたくしに断りもなく、毎日毎日二人きりで過ごすなんて――。ついに耐えかねて呪い殺そうと儀式を行ったのが今日だった……しかし呪いというのもきっと効果はなかったに違いない。念のため明日確かめに行くけれど、きっとまた違う方法を考えなくてはいけなくなるはず。
「はあ、散々ね」
ふかふかのベッドに身を投げて目を閉じる。夜が明ける前に眠りにつけるように――。
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