第4話 変貌する王子様

「えっ? か、かつら?」

「ウィッグ!」


 私は澄衣さんにウィッグを差し出す。しかし、彼女は顔をしかめ、少し困惑しているようだった。


「ねぇ、藤原さんは何でこんなもの持ってるの?」

「それは……別にいいじゃん。とにかくこれ着ければ大体何とかなるから!」


 あまり聞かれたくないことは勢いで流すに限る。そして私は、その勢いのまま彼女にウィッグを押し付けた。


「でも、これ……すごい色」

「そう? そんなことないと思うけど」


 普段からファッション誌でいろんな髪色を見慣れている私からすれば、ブロンドぐらい大したことない。でも、ずっと黒髪の澄衣さんにとっては少しハードルが高かったかもしれない。


「普段から黒髪なんだから、変装するならこれくらいの方がちょうどいいよ」


 しかし、そう言っても、彼女は手元のウィッグを見つめるだけで何もしようとしない。


「うーん……」


 それどころか、今すぐにでもサングラスとマスクの方がいいと言い出しそうな始末。


「バレるか、ウィッグ着けるか、どっちがいいの!」

「でもでも、多分似合わないですし……」

「変装するのに似合う、似合わないとかないって。変わるか、変わらないか。ただそれだけだから」


 人間、誰しも変化することには抵抗がある。たとえ、自分から望んだことだとしても。


「変装したいんでしょ? なら変わらなきゃ」


 澄衣さんはまだ手にしたウィッグを見つめている。でも、その目の色は先程とは違って見えた。


「分かりました」


 そうして澄衣さんはようやく──


「あの。これって、このまま被ればいいの?」


 ……そりゃ、多分初めてだもんね。ウィッグって意外と着け方、分からないものだから。


「ちょっと屈んで」

「はい」


 低くなったイケ女の頭にウィッグを被せ、ちょちょいと髪型を整えた。


「はい! いいよ」

「ありがとうございます」


 彼女は俯いた顔を恐る恐る上げる。


「どう、ですか。ちゃんと変装できてます……?」


 不安げな声で慎重にこちらを覗う澄衣さんは少し怯えているようにも見えた。

 だけど、そんな彼女の変装姿はもはやボーイッシュな女子高生ではなかった。


 ブロンドヘアの澄衣さんはくっきりとした目鼻立ちが髪色と相まって、まるで北欧系のハーフのよう。身にまとう制服はメンズ感のあるスラックスだけれども、それもジェンダーフリーな感じがしてよく合っている。こうなればどこからどう見ても、今の澄衣さんは外国から来た留学生にしか見えない。


「……すごい」


 髪型を変えれば見え方も変わるとは思っていたが、たかが髪型一つで人はこんなにも変わるのかと驚いてしまう。


 その姿、息を呑むほど煌めいて。


「すごい……!」


 髪に、瞳に、唇に。彼女の全てが相まって放たれる雰囲気に、心が震える。お母さんが手がけた女性ひとの写真を初めて見たときくらいに、ドキドキしている。


 ただ、


「あの、それってどういう……?」


 澄衣さんはすごい、としか言わない私の反応の意図を掴み損ねているようで、まだ不安そうな表情をしている。だから、私のスマホのインカメを起動して彼女の前へと差し出した。


「ほら」


 パシャりと、その顔がしっかりと映るよう、写真に撮って見せてあげる。

 

「えっ?」


 澄衣さんは画面を見つめて固まった。その間、きっちり三秒。


「嘘。これ、……!?」


 彼女は最初、目にしたものを理解できない感じだった。だけど、ようやく状況を飲み込めたようで、カメラ越しに映る自身の姿に目を見開き、口に手を当てて驚いている。


「そうだよ。マスクとサングラスよりよっぽど別人だよ」

「それは、すごくそう思います」


 澄衣さんもどうやら納得してくれたみたい。これで押し問答も終わり、ようやく店に入れる。


「それじゃ、行こっか」

「へ?」


 しかし、澄衣さんはとぼけたような顔をする。その顔もまた綺麗に輝いていて、それはそれで一つ絵にはなるのだが。

 彼女は変装のところに意識が向きすぎて、肝心な目的を忘れているようだった。


「いや、スターズ買いに来たんでしょ?」

「あっ! そうでした」

「ほら、行くよ」

「はいっ!」


 澄衣さんは部活かなんかのように、やけに気合の入った返事をしてくる。そんなに意気込まなくてもとは思ったが、私は特に気にせず店に入ることにした。


 そんな時、ふと入り口のガラスに映る澄衣さんの姿が見える。私が背を向け、誰も見てないところで彼女はウィッグの毛先に触れつつ、自分の足元をじっと見つめていた。


 でも、澄衣さんはただ足元を見ているわけではない。彼女の視線が落ちる先はそこより少し先、足元から伸びる自分の影。


「すごく、女の子だ」


 喧騒に消えそうなほど小さな声だった。だけど、ガラス越しの澄衣さんは瞳を潤ませながら、確かにそう呟いていた。


 ◇


「わぁ……本当にスターズだぁ!」


 店に入るや否や、澄衣さんは興奮気味に声を漏らした。まるで見たことない場所に連れられたかのごとく、キョロキョロと忙しなく周囲を見回している。


「来るの、初めて?」

「はいっ! 一度入ってみたかったんです」

「そー、なんだ」


 彼女の返答にちょっとだけ驚いてしまう。

 だって、スターズが初めて進出することがニュースになるような田舎ならともかく、私らは東京のJKぞ? 澄衣さんがどこに住んでるかは知らないけど、その近くにだって店舗はあるはず。行きたければすぐに行けるだろうに。


 それに、だ。たかがチェーンのコーヒショップに来るのに変装するという理由もよく分からない。


「はぁ……」


 澄衣さんという人間がイマイチ理解できなくて、考えれば考えるだけため息が出る。

 まぁ、そのへんは後でゆっくり聞こう。彼女の変装を手伝ったんだから、それくらいはいいと思うんだ。


「ほら」


 私は入り口から進もうとしない澄衣さんの腕を引いて、レジの前に連れてゆく。


「いらっしゃいませ。お決まりでしょうか?」

「えーと。新作の……バナナとミルクのフラペチーノ? それの普通のサイズで」

「はい。バナナナナナバフラペチーノのトールをお一つですね」


 新作のメニュー名が曖昧でちょっぴり緊張したが、店員さんには伝わっているようで一安心。

 でも、そういえば。澄衣さんは初めてスターズに来るって言ってた。ここのスタイルは少し独特で初見だと難しい部分はあるけど、注文は大丈夫なのかな。


「お連れの方はいかがなさいますか?」


 オーダーが澄衣さんへと振られる。大丈夫か、普通に注文できるのか。それが心配になって、なぜかさっき以上にドキドキしている。

 しかし彼女は、


「リストレットベンティツーパーセントアドエクストラソイエクストラチョコレートエクストラホワイトモカエクストラバニラエクストラキャラメルエクストラアーモンドトフィーエクストラクラシックエクストラチャイエクストラチョコレートソースエクストラキャラメルソースエクストラパウダーエクストラチョコレートチップエクストラローストエクストラアイスエクストラホイップエクストラトッピングダークモカチップクリームフラペチーノ、一つください!」


 一度も噛むことなく、慣れた口調でスラスラと流暢にクソ長いメニュー名を言い切ったのだ。


 私の心配はとんだ取り越し苦労だったようだ。というか、それは話には聞いたことのあるスターズで一番長いオーダー名ではなかっただろうか。理論上は存在するとは分かってたが、注文する人を初めて見た。


「……」


 それを聞いて、店員さんも笑顔で固まっていらっしゃる。多分彼女も初めて聞いて戸惑っているんだろう。


「えっ、と。リストレット、ベンティ、ツーパーセントアド、エクストラソイ、エクストラチョコレート、エクストラホワイトモカ、エクストラバニラ、エクストラキャラメル、エクストラ……」

「エクストラアーモンドトフィーエクストラクラシックエクストラチャイエクストラチョコレートソースエクストラキャラメルソースエクストラパウダーエクストラチョコレートチップエクストラローストエクストラアイスエクストラホイップエクストラトッピングダークモカチップクリームフラペチーノ!」

「で、ございますね。かしこまりました」


 もはや店員さんも、澄衣さんの言葉を借りてオーダーをとっている始末。メモをとるのも一苦労。まさに店員泣かせだ。


 ようやくレジに打ち込まれた金額にびっくりしつつも、私たちはお金を払って受け取り口へと歩みを進めた。


「あの」

「なんですか?」

「澄衣さんってスターズ来るの初めてって言ってたよね」

「そうです」

「よくさっきの頼めたね?」

「ああ、アレですか!」


 私が疑問を投げかけると、澄衣さんはニコニコ笑顔でとても上機嫌に、


「練習しましたから!」


 斜め上の解答を投げ返してきた。


「練習……?」

「いつか来る日のためにと思って、家でいっぱい練習してました。その成果、出せました!」


 そんな意気込まなくても。そう思わずにはいられない。


 でも、いつかの注文の機会に向けて彼女は家で人知れずオーダーの練習をしていたというのは、なんか健気だ。

 キザな王子様。それが澄衣さんの全てだと思っていたけれど、意外と可愛らしい部分もあるらしい。


「それと」


 気になるついでに、もう一つだけ質問をしてみる。


「どうして今日、スターズに来ようと思ったの? あんなバレバレの変装してまで」

「それは……その。青春が終わっちゃうから」

「えっ?」


 その意図、彼女の抱える背景が分からなくて、思わず聞き返してしまった。


「青春が終わっちゃうから!」


 そんな私を聞き取れなかったのだと思ったのか、澄衣さんはもう一度ハッキリとそう言った。


 どこからどう紐解いてゆけばいいのか分からない、その言葉を。

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