第3話 不審な王子様

「じゃ、今日はこれで終わっから。鐘鳴ったら帰っていいぞ」


 ダウナー系の数学教員が気怠げな声で授業を切り上げると、ほぼ同時に終わりのチャイムが鳴り響いた。


 一日の終わりが数学なのはかなりヘビィだけど、終わればその分解放感もまた格別。

 私はすぐさま教科書をロッカーにぶち込んで、さっさと教室を後にする。


 澄衣さんは既に教室にいない。

 でも、それはいつものことだ。彼女は部活をするでもなく、取り巻きたちと遊ぶわけでもなく、決まって一人で帰る。

 取り巻きたちも帰る澄衣さんを無理に追いかけるようなことはしない。だから彼女が放課後に何をしてるのか、誰も知らない。


 とはいえ、澄衣さんが放課後に何をしてようが、別に私は興味ない。

 私が気になるのは『どうして彼女が私を抱きしめるように助けたか』という理由であり、そのことと『彼女が放課後何をしているか』というのは全く関係ないないだろうから。


 それに、今は私と澄衣さんに関して、水面化ではトンデモな噂が出回っている。そんな状態で彼女と関わろうものなら、私の高校生活は今度こそ間違いなく破滅に向かって一直線。


 今朝の一件以降、そんなに関わってない今日の段階ですら、常に視線を感じるようになった。みんなから監視されているような気がして、学校での居心地はもう最悪である。


 早く隠れ家にいこう。

 そこなら一息つけるから。


 学校を出て、最寄駅と逆の方向へとそれなりに歩くと私の隠れ家は見えてくる。

 閑静な住宅街にポツンと佇む、緑と白を基調としたコーヒーカップのロゴマーク。

 そう、スターズコーヒーである。


 隠れ家と言う割には、別になんてことない寄り道。そして普通に買い食いだ。


 うちの高校には校則がない。まぁ、始業時間に遅れないこと、下校時刻は守ること、っていう本当に最低限のものはある。けれど、それ以外にあるのは“諸君らの自主・自治・自律を重んじ、百合ヶ丘女学院生として相応しい行いをするように”という内容の120字ちょっとの文言だけ。

 服装も、学校に持ち込む物も、行動も、基本的には制限されない。ゆえに、帰りに買い食いしようが、ゲーセン寄ろうが、基本的には自由。


 他人に迷惑をかけなければ、こうしてスターズにも堂々と寄れる。そういうところは、この学校のいいところだと思う。

 そこに通う生徒については目を瞑らないといけないけども。


 でも、この店にそんな煩わしい奴らはいない。だって学校の最寄駅にもスターズはあって、基本うちの生徒はそっちに行く。学校の最寄駅から一から二駅ぐらいの距離があるこんな辺鄙へんぴな場所に来ようなんてのは、うちの生徒では私を除いて誰一人いない。


 だから、隠れ家。

 学校の連中を気にせず、思い切りリラックスできる。


 さてさて、今日の客の入りはどうかな。一応新作の発売日だから、ちょっと混んでるかも。なんて、そんなことを考えながら店にたどり着く。

 すると、


「……ん?」


 入り口の前に変な奴がいる。

 目元を黒いサングラスで隠し、鼻から下は白いマスクで覆われ、そしてダメ押しに季節外れな長い丈のトレンチコート姿。

 絵に描いたような不審者だ。このご時世そんな奴いるのかと思わずにはいられない。


 通報待ったなし。というか、私が通報した方がいいんじゃないだろうか。

 私は不審者のちょい後ろにいるが、向こうにはまだ気づかれてはいないよう。一応、何があってもいいようにポケットからスマホを取り出しておく。


 改めて不審者の姿を見ると、そこそこ背も高いことが分かる。少なく見積もって、170センチってところだ。

 しかし、顔も服装も、ものの見事に隠れされている。マスク越しにも分かるくらい鼻が高いって特徴はあるが、現状アレが男か女かどうかすら分からない。

 唯一手がかりになりそうなのは髪型だけど、短く切り揃えられた黒髪は男女どちらとも取れる。


 本当に通報してやろうかと思ったとき、ソイツの背負ってるバッグに目が留まった。

 それは意匠化された百合の花と『YURIGAOKA.High.School』という文字がデカデカとプリントされた、スクールバッグ。私が普段から死ぬほど目にしていて、そして今まさに私も持ってる。同じ物を。


「マジかぁ……」


 つまり、不審者こいつ百合女うちの生徒ってことだ。


 ったく。何でこんなとこにうちの学校の生徒がいる。私の隠れ家に踏み込んでくるんじゃねぇよ。


 というか、誰だ。

 うちの生徒で? 背が高くて? 鼻が高くて、黒髪のショートカットで……


 そんな奴、一人しか知らない。それは今、一番会ったらマズイ人間。そして、今日の憂鬱の原因。


「最悪だ……」


 嫌な心当たりにため息が漏れる。


「澄衣さん?」

「ひぅッ……!!」


 私がその名を呟くと、不審者の身体がビクッと大きく跳ねた。


「なななな、なんッ!?」


 不審者はこちらを見て取り乱し、狼狽える。

 驚いたときか、振り向いたときにサングラスがズレたらしく、隠れていた目元がチラリと見える。隙間から覗いただけでも分かるほどにくっきりと力強い目は間違いなく澄衣さんのものだった。


「何でこんなところに百合女の生徒が……絶対来ないと思ってたのに!」

「それはこっちの台詞だよ。何でこんなところに澄衣さんがいるの?」

「す、スメラギ? 知らないなぁ、そんな名前」


 澄衣さんはこの期に及んで、とぼけたフリをする。その言い分は無理しかないんだけれど、それでも彼女はその無理を通そうとする。


「あのねぇ。最初の反応でバレバレだって」


 あっ、と澄衣さんは手で口を押さえる。


「いや、でも。どうしてバレたの……? 変装もバッチリしてたのに」

「変装……?」


 変装というのはもしかして、そのサングラスとマスクのことだろうか。その装備は変装としてはあまりにお粗末過ぎるが、澄衣さんは私を欺けなかったことを本気で不思議がっている。


「あのねぇ、まずそのバッグと髪の毛を何とかしないと」


 彼女がどれだけ顔のパーツを隠そうと、百合女生だと声高に主張しているスクールバッグと、その印象的な百合女で唯一無二の黒髪ベリーショートを隠さなければ変装として何の意味もない。


「それじゃ、頭隠して尻隠さずだから」

「そんなぁ……」


 澄衣さんは割と本気で残念がっていた。しかし、私にはそこまで変装したがる彼女の気持ちが分からない。


「大体、普通に入ればいいのに……」

「普通に入ったら私が頼んでるってバレちゃうじゃんかぁ!」


 澄衣さんは急に声を張り上げた。

 私の言葉はボソッと呟いた独り言でしかなかったが、彼女はそれに対してとても強い勢いで、しかしどこか泣き出してしまいそうな不安定さを見せだして。


 そこで、私は澄衣さんの気持ちをなんとなく察した。


「バレたくないってねぇ……それで入ったら多分通報されて、学校まで伝わる感じの大事になるよ」

「じゃあ、どうすれば!」

「まず、マスクとサングラスは外した方がいいと思う。その風貌で言い合いしてたら、店に入らなくても通報されかねないし」

「う、うん……」


 澄衣さんに不審者セットを外してもらうと、その下からは彼女の端正な顔立ちが現れた。私としてはそれで入ればいいと思うが、彼女はとても不安そうにしている。


「でも、これじゃ」

「分かってる」


 さて、どうするか。

 なぜバレたくないかは置いておくにしても、サングラスとマスクを外させた以上、どうにかしてバレたくないという澄衣さんの気持ちはフォローする必要がある。


 変装とは印象を隠したり、変えたりする技術だ。目的は違えど、その本質はスタイリングと通じるものがある。


 その昔、スタイリングの先生おかあさんは言っていた。


『その人らしさを印象づける上で、顔というのは大切なパーツではあるが、そこ以外の部分から受ける印象も意外と大きなウェイトを占めている。だから、印象を大きく変えたいのなら特徴的なメイクをするだけではダメで、全身のトータルを見ながらスタイリングをしなければならない』と。


 ゆえに、顔を隠すだけでは不十分。

 逆を言えば、特に印象的な箇所を変えることができれば、案外顔がそのままでも受ける印象は大きく変わるものだ。

 この場合、隠すべきはその髪型。そこさえ変えられれば、澄衣さんだと気づかれる確率はグッと下がるだろう。


 しかし……。

 髪型を隠しながら、変装する。その二つを達成できるようなアイテムが都合よく──あるわ。


 持ってんじゃん、私。いっつも肌身離さず、無駄に持ち歩いてるやつが。


 自分のスクールバックを開けてみる。


 ──うん、ちゃんとある。


 持っててよかった、ブロンドのウィッグ。今の私にとってはただの飾りでしかなかったけれど、誰かを飾れるときがちゃんと来た。


「ねぇ、澄衣さん。これ着けて」


 私はそれを彼女に差し出した。

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