第三話 災後(さいご)という時代も来なかった
よく文壇が「東日本大震災以後は『災後』という時代になった」とか言います。本当にそうでしょうか?
結論から言います。ありません。
そもそも「さいご」と変換して「災後」とは出ないくらいにタコツボ化した世界です。厳密に言うと筆者はそうなってほしくて「脱原発社会」になってほしかったのですが喉元過ぎればなんとやらで日本人というのは10年も過ぎたら「無かった」ことにされます。だから原発再稼働なんですし。しかも火力発電依存のまま、つまりカーボンニュートラルも出来てないですし。この国だけ永久に20世紀のままなのでしょう。
前の大震災つまり関東大震災でも文壇だけ『災後の時代』と喚いて居ましたがやって来たのは遅れた帝国主義発想、つまり軍国主義の時代です。そして我が国は無謀な戦争によって破滅しました。
したがって『災後』という時代は今も昔も幻想であった。大災害ぐらいでは日本人は何も変われない。それどころか高台だけ作って放置。超高齢化→無人化という形で震災復興は事実上不可能となりました。潤ったのは土建業者だけ。
それどころか時代遅れの国威発揚で『東京オリンピック2020』を2021年にコロナ禍で強行し、お粗末な開会式・閉会式・無観客で行い世界中に恥を晒したのです。
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そして2024年元旦に例の能登地震がやってきた。まだ「歴史」とするには早いのかもしれないがこのままだと大規模災害によって放置された日本初の地域となる。『災後』という概念があったらこのような仕打ちはしないであろう。それどころか何かの産業を誘致してしかるべきである。しかし現実は家屋解体すらままならない。
よって結論は「
また、「2011年から『現代』とする」ことも出来ない。
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