第二話 ポストモダンなんて、無かった
そして文芸にとっても最重要の課題。
「ポストモダン」
つまり超・現代なんてものはなく単に時代遅れのじいさん・ばあさんが1960~1980年代に流行だった思想をありがたやと言ってるのです。何を言ってるのか。脱工業化社会が実現してもう約30年経ってるんですよ。
つまりじいさん・ばあさんにとってだけこの「情報社会」(「情報化社会」などと言ってる者が居たらそいつはロートルである)が「ポストモダン」に見えるだけである。
したがってポストモダン文学やらポストモダン建築なんてものは後期近代社会の幻想。近代文学というのはは無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性が原則なのね。一言でいうと「コスモス」(秩序)だ。そして大きな物語があるとしてきた。それが消失したからポストモダンなんですって。
そうか?
だからポストモダン文学というのは「二人称文学」という実験小説を作ったのだが。しかし、普及したか? しなかったでしょ? 実現したのはむしろ中世型ファンタジーへのあこがれでむしろ逆走したわけ。
じゃあ今の時代は「カオス」か? それは帝国主義時代・冷戦時代がコスモスだったわけでそれも幻想なんだよ。人類の歴史は常にカオスであってコスモスである方がおかしいわけ。
したがって「ポストモダン」というのは後期近代社会が生み出した幻想でしたというのが今日の結論なわけ。
なろう系文学というのは見事に無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性だ。某番組で8時45分に印籠が登場する「お約束」のようなものですらある。つまり2020年現在で40歳以下の者は「ポストモダン」なんて概念はない。
それどころか「上級国民」とか「社畜」という言葉に代表されるように前近代あるいは近代初期の状況に戻ってしまった。
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