矛盾……(8)
その気配に、彼は思わず立ち止まった。
遥か後方、常人では聞き取れるはずもない声が続いた。今まで彼が何度も無効化した幻想文学の枕だった。ゆっくりと振り返る。隣を歩く少女も彼を不思議に思ったのだろう、同じように後ろを見た。
「……嘘」
少女の驚きは当然だ。いや、未だ経験の浅い少女よりも彼の方が、驚愕を禁じえなかった。
……語り続ける少年を中心として、校庭に風が巻き起こっていた。
幻想文学を語る際に、周囲へ影響を及ぼすことはよくある。風はその中でも最たるものだが……彼が驚いているのは、その規模だ。
風が猛り、むき出しの大地を走り回る。舞い上がる砂埃が暴風の程度を物語っていた。
それだけではない。目を凝らせば、抑えきれないエネルギーが小さな稲妻として放出されている。彼の耳には電撃が爆ぜる音すら聞こえた。
――気付いてないのか?
少年は目を瞑り、周囲の様子を気にも留めていない。よほど集中しているのだろう。
問題は、これが幻想文学の力ではないということだ。あの力は完成していない。単に物語を口にしているだけ。
――ただの言葉が嵐を生み、雷光を帯びるとは何事か。
彼の内から怒りの感情があふれ出した。気付いてしまったからだ。
これではまるで。
――あの少年が、世界の主人公ではないか。
怒りに身を任せ、彼は無効化を試みる。
「――!」
……だが、出来なかった。
少年が今も語り続ける物語は、彼の愛する娘を全力で再現していた。そもそも彼は娘を取り戻すためだけに生きてきた。娘を否定することだけは、出来ない。
加えて、悔しいが――続きが聞きたいと思ってしまった。
怒りに震えながらも、彼はその小さな叫びを聞くことにした。他に出来ることがなかったのだ。声に耳を傾けながら娘を殺した少年を殺す算段をつけていると、
「……ごめん、なさい」
すぐ隣で、泣き声が聞こえた。
「……?」
彼が目を遣れば、娘の顔が涙を流している。
「娘の居場所を奪って……ごめんなさい」
彼は気付く。だからこの少女は、自分に付いて来たのだと。
「あたしはあんたを許せないけれど、大事な人達を傷つけたあんたを……絶対に許せないけれど。同じ理屈で……あんたはあたしを許さなくていい。
だって――あたしが生まれたから、あんたの娘は消えたんでしょう?」
――これほどまでに……いや、どうでもいいことだ。
「……」
彼が何かを返そうと、口を開いた時……題名が聞こえた。眩い光が校庭を照らす。次の瞬間には、世界が書き換えられていた。
無数の星に桜並木、そしてベンチ。
綺麗、と少女が呟いた。彼は呪いだけを返し、一歩踏み出した。
「……そんな」
その意味が分かったらしい。少女が絶望の声を出した。
「やめてっ。あたしはあんたと一緒に行くから――!」
答えはせずに、彼は走りだした。大剣を持っているとは思えない高速移動。これならばすぐに接近戦に持ち込める。そうなれば、彼の勝利は揺るがない。
星が、落ちた。
少年の隣で佇んでいる光は空から降ってきた。ならば、それは星に違いないだろう。
「――っ!」
前動作なしで、星が彼めがけて飛んできた。たまらず自身の呪いを強め、横へ跳ぶ。すぐ隣を飛んでいく光は彼でも視認が難しい速度で、さらに目も眩むような輝きだった。
しかし――
――光の中に、何か見えた?
彼には光の中心を成す何かがあるような気がした。だが、止まる暇はない。最速で体勢を直し、駆ける。もう一度、星が落ちた。
――あの星は何なんだ?
彼には相手の幻想文学が理解出来ない。威力は。数は。能力は。
疑問が渦巻く中、また星は飛んだ。予想していた彼は余裕を持って回避を成功させる。だが、僅かに高く跳んだ……星を観察するためだ。彼の下を抜ける星を、今度こそ確認する。
――紙飛行機?
よく見えたとは言えないが、それは確かに紙飛行機だった。だが……それならば疑問は深まっただけだ。少年は何がしたいのだろうか。彼は宙に浮きながら高速で思考を回転させる。
「――なっ」
だから、星がもう一つ飛んできた瞬間に彼は凍りついた。どうしても避けることは間に合わない。可能なのは防ぐだけ。あまりにも危険だが……彼は剣で星を受け止めた。
……途端。夢を見た。否、記憶が流れ込んだらしい。
それは、少女が少年に嘘を告白する姿だった。少女は泣いて謝って、少年は無関係なことを怒っていた。
――なんて懐かしく、望んだ姿だろうか。
時間は一瞬だったらしく、状況に変化はない。いや、彼は情報を手に入れていた。単純な話だ、あの星――紙飛行機は自分の記憶を書いて飛ばすだけ。触れれば紙飛行機の記憶が流れる。まるで手紙のように。それが、星の正体だった。
――驚いた。つまり、あの少年は。
「俺を説得して……止めようというのか」
確かに少女の姿を幻視した瞬間、彼の呪いは弱まった。当然と言えば当然だ。愛する者に呪いを吐くことは出来ないだろう……少なくとも、彼はそうだ。愛する者の物語を無効化出来ないように。
それから彼は星の回避に努めた。記憶を飛ばしていると分かった。ならば、必ず限界が来る。過去の出来事は決して無限ではないのだから。
しかし――少年の星は終わらなかった。終わる気配すらない。これほど多くの過去を築いたのか。その過去を、こんなにも鮮明に覚えているのか。驚愕は尽きず、やがて彼は根負けするしかないと決意した。大きく跳び、最後の突進を仕掛ける。
それはまるで、地上の流星群を逆流するようで。
二人の過去が頭に叩き込まれる。何気ない会話や、ちょっとしたハプニング。思わず笑ってしまう下らないネタもあった。父親である彼が知らない間にやっていた、少しだけ悪いこと。見たこともない笑顔も、思わず慰めたくなる泣き顔も。
全てが、呪いなんて吹き飛ばしていく。
気が付けば、彼はゆっくりと歩いていた。あれほど自由に駆け抜けた地面も、今は足を引きずらないと進めない。剣は重く、これでは辿り着いても振るうことが出来るかどうか。
「……ぐ」
でも、一番辛いのは今も物語を届けてくる紙飛行機だ。この美しい思い出の中で、世界を呪い続けるのは困難を極めた。
だが――彼は辿り着いた。
最後の力で剣を振り上げる。少年に迷いはなく、物語を届けるだけ。ならば勝利は貰ったと、彼は剣を落とす。
そこに、少女が割り込んだ。
――どうして。
――どうして、この剣が娘を殺すのか。
その時、彼は気が付いた。今自分が答えを得たのだと。
――そうだ。この少女も、俺の娘だったのだ。
答えを認めるように、剣は少女に触れると砕け散った。
その事実に彼は感謝して――朦朧とする意識の中、娘を撫でようとする。それを世界は拒み、彼もその判断をよしとした。
やがて少年が最後の紙飛行機を飛ばす――それは、かつて娘だった少女の遺した言葉だった。彼は粉々に砕かれながらも、少女の姿を誇りに思う。
なぜなら、少女が世界を愛していたことだけは事実だったから。
矛盾していると重々承知して、こんなことを願いながら彼は終わった。
なら――どうか……物語の結末まで、その在り方で。
ハッピーエンド・パラドックス 裏道昇 @BackStreetRise
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