結……(5-7)

 ――従うから、時間をちょうだい。

 それが歩の答えだった。僕と紗智を治療したいと言った。夕人は僕の治療だけを認め、紗智は彼自身が治療すると約束して拒否した……人質らしい。

 与えられた時間は、十五分。

「……時間稼ぎは、いい考えだと思う」

 保健室で歩と二人きりになると、すぐに僕は切り出した。全身はズタボロで激痛が走り回っているが、時間を稼げたことだけは救いだった。

 歩は幻想文学や包帯などで、僕の傷を診てくれている。肋骨は砕けているが命に別状はないはずだ。激しい運動は出来そうにないけれど、戦うつもりだった。

 敵は校庭で待つと言っていた。ならば、奇襲は可能だろう。

「……ねえ、静夜」

「なに?」

「あいつに勝てる人間はいないと思う」

「どういう、意味……?」

 脇腹の痛みで再び気を失いそうになりながら訊ねる。

「矛盾の指摘だけじゃないのよ。自身が『矛盾』となったことで、世界との繋がりも強くなってる。結果、あいつが語ってるのは物語じゃなくて……呪いよ」

「呪いを語ってる?」

「そう。呪いを語ることで、身体能力を強化している。おそらくは呪いを吐くことで矛盾を――自身を強くしてるんだわ。きっとあの剣も呪いから創られた物よ。そうでもなければ、あたしの妖刀は防げない」

 歩がここまで言うのだから、おそらく確証に近いものを感じているのだろう。

 その事実に僕は押し黙ってしまうが、

「いいえ、そもそもあの男自体が呪いの塊と考えた方がいいわね。だとしたら、すでに肉体すら持っていない。

 ――そんな化け物には」

「? ……まさか」

 歩が言おうとしていることを理解して、頭が沸騰したかと思った。

「勝てないって言うのか……?」

 返事はない。ただ、僕の傷に集中している。

「なら、どうするんだよ! このままだと皆死ぬんだよ? それとも、君だけが……犠牲にでもなるつもりか!?」

 歩は顔を上げて、

「……ごめん、弱気になってた」

 気まずそうに頭を下げた。どこか歩らしくない素振りだが、先ほどまでの取り乱し方を考えれば無理もない。色々ありすぎたのだろう。

「だけど……」

 数秒経って、歩はもう一度口を開いた。

「静夜、無理してない?」

 その一言で、頭を大きく叩かれたような衝撃を受けた。自分でも理由は分からないのが余計に不気味だった。

「そんな、ことは……」

 反射的に否定した。舌が渇く。頭が急に空回りを始めた。いや、今までも空回りしていたのだろうか……?

「あいつの話を聞いてから、泣きそうな顔してるよ?」

 その言葉で理解した。理解出来てしまった。

 ああ――僕は。

 右脇が痛むのも構わず、僕は右手で額を押さえた。急に体がガクガクと震え始める。

「どうしたの?」

「あの人が……【常無歩】を生き返らせると言った時」

「……」

「僕はきっと、同意したんだ……心の底で喜んだんだ。たくさんの犠牲が出ると承知していたのに、縋ってしまった。数多くの命を奪うことを、よしとした……」

 気付いてしまえば、絶望は止められなかった。

「変わって、ないじゃないか。何が――《善人》だッ!」

 歩は答えない。手を止め、ただ静かに僕を見ている。

「幻想文学の勉強も! 【刃間静夜】の名前も! 学校生活も!

 全部、無駄だったんだ……」

 視界が歪み、頬を雫が伝った。

「僕は《善人》になんてなれない――!」

 もはや、分からなかった。僕が誰で、少女が誰なのかも。この世界が正しいのか、常無夕人が正しいのか。この口で語る物語が何を意味するのかすら。

 分かるのは、自分が《悪党》だという事実のみ。

 そんな僕を歩は微笑って、

「馬鹿ね。そんなことは最初から分かってたじゃない」

「でも、僕は」

 次の言葉が見付からない。貴重な時間を浪費していると、歩が呟いた。

「学校生活……」

「え?」

「あたしは楽しかったよ。あたし、昔から嫌われてたから……。何故かは分からないけど、誰も彼も助けようとしたのが悪かったみたい」

 ……悪いわけがないだろう。

「だから本当に友達みたいで……ずっと続けばよかったのに」

「そんなこと――」

 言うなと告げる前に、コツンと歩の額が僕の額にぶつかった。こんな時だというのに、緊張してしまう。

「あゆ……」

「目を、閉じて?」

 息遣いも聞こえる距離でそんなことを言う。僕は従うしか出来ない。

 ゆっくりと、目蓋を下ろした。


『はじまりはじまり』


 歩の声が、聞き慣れた台詞を紡いだ。


『少年は自分を悪党だと言います』


 ――違うだろう。それは僕の物だ。君がこの場で口にするべき話はそんなことじゃない。


『でも、私の目には善人に映りました。

 少なくとも……善人になれると思いました』


 悔しいけど、その言葉は嬉しかった。

 ――そちら側に行けたような錯覚が出来るから。


『だって、少年は人を助けることが出来たのです。

 ……だからきっと大丈夫』


 歩も目を閉じていることを祈る。おそらく僕は顔が真っ赤になってるから。


『遠い未来の、善人へ』


 それが題名だったのだろう。最後に歩が微笑んだように感じた。

 だが、何も起こらない。当然だ。これは僕の物語の形式だから歩が語っても発動はしない。

 ――だからこれは、歩が僕に送っただけの物語。親が子に聞かせるような寝物語だ。

「違う」

 歩の声。僕の考えを読んでいたのだろうか。混乱する僕に続けた。

「これは必ず現実になるの。あたしが語った幻想文学なんだから、当然よ。

 だって語り部は物語を現実にするんだもの」

「それは――」

「頑張りなさいね」

 僕が目を開ける。歩の顔は変わらず目と鼻の先にあった。

 ――しかし、その手は略式を握っていた。


『眠り詩』


「待、て……」

 歩の幻想文学の力で急激な眠気が襲ってくる。

「こういう時には、安物の略式も十分使えるわね。おやすみなさい」

 意味を理解して、絶望する。

 ――これで終わりはないだろう! こんな最後は、許さない。絶対……に……。

 意識が遠のいてゆく。眠りに落ちながら、声を聞いた。

「……さよなら」

 もう目は見えないのに、その顔は泣いてる気がした。

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