結……(5-5)
「紗智……?」
僕と歩は静かに扉を開き、屋上の様子を窺う。少女は簡単に見付かった。
「さ、ち……?」
大きな音を立てて、歩が屋上へ飛び出す。そのまま広い屋上の中心に横たわる紗智の下へと走る。
「紗智……紗智! 大丈夫!?」
歩が取り乱して叫んでいる。どうやら紗智は気を失っているようだったが……無傷ではなさそうだ。確認しようと、僕も慎重に周囲へと気を配りながら屋上へ出る。
幸運なことに、朧月が出てたおかげで反応出来た――真上からの真っ赤な一撃を示す影に。
「っ!」
横に跳び、勢いを殺しきれずに転がる。急いで体勢を立て直し、ソレを観察した。
サイズ違いのローブに深く被ったフード。身の丈以上ありそうな紅い大剣。星のない夜によく映える――射殺すような眼光。
――どう考えても、あり得ない事態だ。
この学校は街単位で見ても、指折りの堅固な守りを誇っている。そこを自由に歩きまわっているだけでなく、武器所持の上で発見すらされていない。理論的に不可能だと思えるほどだ。
『妖刀――賢殺刀』
「歩……! 落ち着いて」
すでに歩は略式を語り、斬りかかろうとしていた。僕の話に耳も傾けず、相手の剣よりさらに大きな刀を居合の型で構えている。
――これは言っても無駄だ。いや、冷静さを失う幻想文学なのか?
判断を下し、思考を切り替えた。
『マルチ・ワーカー』
僕も略式を語る。書き換えた自分の人生は、複数のことを同時に行える一生だった。
『はじまりはじまり』
――枕も口にしてみたが……間に合うか?
僕が語ろうとしているのは、かつて自分が痛めつけた同級生の話。とっさに、用意しておいた物語を語ることにしたが……本来はその権利などないだろう。
ここに出てくる悪い人間は、僕だから。
でもこれから僕は他人を助けるために生きるから……どうか、君の話をさせて欲しい。
『また彼女は傷ついた。悪い人間が傷つけた。
……だから彼女は微笑った』
歩は未だに力を蓄えているのか、居合の体勢を崩さない。ソレも攻めることはせずに待っていた。嫌な膠着状態だ、悪い予感が募る。
均衡状態の中で、僕の物語だけが響いていた。
『いつも少女は微笑う。
まるで微笑わなければいけないと言うように。
……その通りだった。少女は微笑わなければいけない』
痺れを切らしたのだろう、歩が動いた。ドスン、と大きく屋上が揺れる。それほどの踏み込みと共にソレへと歩が突撃したのだった。僕も合わせる。今僕が果たすべき役目は援護だろう。
『――私が微笑えば、きっと皆も微笑えると思って』
歩が間合いに入り、捨て身と言うべき一刀を繰り出した……そういう性質の妖刀だったのだろう。一撃に全てをかけると言っているようだ。証拠として、屋上の石壁がガラガラと切り崩されていく。
走りながら、僕も正式の最後を語る……これくらいの並列作業は出来るように略式を語ったんだ。
『少女にとっては、悪党でさえ……自分を写す鏡だった』
歩の一撃がソレに迫る。防げるはずがないと思った。鞘を置き去りに放った斬撃は威力だけなら本物の竜をも殺しうるだろう。標的は避ける素振りも見せない。ならば、倒したはずだ。
……ソレが小さく何かを呟いた。
爆音を響かせて、常識を遥かに超えた一刀が振り抜かれた。
――爆音?
一瞬を経て、目に映った光景は寒気がするほど驚愕的なものだった。
ソレは、片手の紅剣一本で完全に妖刀の居合を防いでいた。
――嘘だろう? 今の一撃を放つために特化した幻想文学なのに。
だが、その場合を考えて僕は走っていた。ソレの左側から殴りかかろうと――
ソレがこちらへと向き直る。
『君が嘲笑えば私は微笑い、君が嗤っても私は微笑う(ミラー・ミラー・ミラー)』
慌てて題名を唱えた。
本能的に目の前へと展開した魔法鏡は敵の斬撃を止めてくれたらしい。……僕には見切ることさえ出来なかったが。
この鏡は相手側から見たら上下左右が逆に映るが、僕からはただのガラスだ。それだけで視界の有利くらいは稼げるだろう。
ソレは鏡を迂回しようと動き出した。……非常に速い。そのまま僕の左肩から袈裟に斬り付ける――鏡を再度展開し、防いだ。
――この鏡は絶対に割れない。
どれだけ威力が高い攻撃でも理論上、割れない。理屈は簡単だ。この鏡の向こうでは、触れた地点を中心に上下左右逆で、完全に同じ状況が再現される。
――まったく同じ力が上下左右で加われば、相殺されるのは道理だろう。
もう一度、ソレが斬りかかってきた。無駄だと分からないのだろうか。でも、好都合だった。先ほどの一振りは体力の消耗が激しいらしく、歩は息が上がって動けずにいた。妖刀はすでに維持出来ていない。
――このまま防いで機会を待つ。歩が回復すれば勝機は必ずある。
同様に鏡を再現して、気が付いた。
――歩が回復すれば? 何故、歩を狙わない?
「待て……よ?」
――先ほどから、僕のことしか攻撃していないのではないか?
それはあまりにも、遅すぎた。……僕も冷静じゃなかったということだろう。大剣がなぎ払われる。
『だが、少女は悪党ではなく。悪党は所詮、汚れた鏡にすぎなかった。
――そんな鏡は、何も映さない』
「――え」
その言葉で、鏡は消え去った。割れたのではなく、消えた。まるでその物語は嘘だと言われたようだった。
消えた鏡は僕を守ることをせずに……ソレの大剣が僕の右脇腹にめり込んだ。
間髪入れずに吹っ飛ばされながら、僕は一度意識を失った。
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