転……(4-14)

 雲一つないのに、やけに暗い夜だった。

 誰もいないことを確かめると、兵藤純一(ひょうどうじゅんいち)はかみ殺した欠伸をかいた。夜だけ設置される簡易テントの中は酷く退屈で、この当番が回ってくる日は騎士隊の同僚もうんざりしていた。ここは中隊長以上が警護に付く習慣があり、三十代前半という若さでその地位まで昇った彼も例外ではなかった。加えて騎士隊からの人員は彼一人であり、他は一般の警備員だった。

 端的に言えば、図書館警備を彼は疎ましく思っていたのだ。

「なんで俺が……分隊長で十分な任務だろう」

 誰にも聞こえないと分かった上で、兵藤は呟いた。それには理由がある。この第三世界図書館にはファンタジアを語っている最重要図書『幻想世界』の一つが保管されている。だが、ここで事件が起きたことは一度もないのだ。周囲を三十人以上が警護しており、侵入者はおろか窃盗未遂すら発生したことがない。

 狙われないのだから守る必要がないとすら、彼は思っていた。

「ふぁあ」

 だから大丈夫、と少しだけ図々しくなった欠伸をかいた時だった。

「失礼します!」

 テントの入口から飛び込んできた警備員が大慌てで叫んだ。

「……どうした?」

 兵藤が怠けていた様子を微塵も見せずに応じた。騎士隊中隊長のイメージに相応しい、凛とした表情を浮かべている。

「大通りをこちらへ向けて歩く不審者を発見しました!」

「ほう。具体的には?」

「はい! 浮浪者のようなローブを着ていて、武器のようなものを携えてました」

 それを兵藤はチャンスと捉えた。図書館で事件が起きた前例はない。それは同時に、図書館を守った人間がいないことも意味している。

 自分が図書館を守った初めての人間になれば……出世に繋がるかもしれない。

 内心では、どうせ酔っ払ったホームレスが酒瓶か角材でも振り回しているのだろうと思いながら彼は席を立った。

「俺が行こう。他の人員は必要ない、引き続き警備をしていてくれ」

「ですが――!」

 困惑する警備員を無視し、彼はテントを出ると大通りを進み始めた。

「まったく、誰かに見られたら手柄を捏造出来ないだろうが」

 十分に図書館から離れると、彼は一人で零した。

 彼の考えは単純なものだ。ホームレスをどうにか犯罪者に仕立て上げ、あわよくば世界の危機を救ったくらいに話を大きくしたい。

 そしたら出世して、また出世して……そんなことを思いながら、十分ほど歩いた頃だった。

 兵藤はゾクリと悪寒を覚え、大通りの先へと目を凝らす。

「……何だ、アレ?」

 なるほど、報告は正確だった。浮浪者のように汚れたローブはサイズが大きすぎて地面を引きずっている。右手には規格外に巨大な紅い大剣。口元まで隠れるフートは右目辺りが破けていて、そこから見ているらしい。

 そんな存在が、三十メートルほど先に立っていた。

 彼は間違いに気付く。

「どう見ても、浮浪者じゃねーな」

 ソレはゆっくりと彼の側へ歩き始めた。一歩、二歩、三歩と進んだら走りだす。問題はその速度だ。ぐんぐんと速くなっている。やがて人間の動きではなくなり、さらに速く。三十メートルを数瞬で詰めた。

「……人間よ、滅べ」

 そんな声を発しながら、ソレは引きずっていた真紅の剣を上から兵藤に叩き付ける。

 必殺に相応しい一撃――だが、兵藤はその斬撃を軽く半歩ずれて避けきった。

 さすがに予想外だったのか、ソレは怒りに唸る。

「さて、とりあえず殺人未遂で拘束させてもらう」

 兵藤はそう言うと、


『語れや語れ』


 さらに正式の枕を重ねた。

 怠け癖があるとは言え、騎士隊の中隊長を若くして務める身だ。語り部としての実力は一級品だった。

 だが、ソレも負けてはいない。上下左右などお構いなしに目にも留まらぬ連撃を繰り出してきた。

 首、脇、肩、足、腕、兵藤の全身を紅剣は掠めていくが、どれも致命傷とはならない。


『――死にたくない。死にたくないよ。

 愛する彼女は涙を零す。

 その涙全てを拭えないことが悔しかった。拭っても拭っても、滴は溢れてしまう』


 全ての剣筋を見切りながら、彼は語り始めた。それはまるで演説のようで聞く者を惹き付ける魅力があった。

 雄大な響きを轟かせながら、完全に守る。

 それが彼の戦術だ。正式が完成するまで避けて躱して、とにかく凌ぐ。リスクは高いが、回避能力に自信がある彼にとっては最善の手法だった。


『だから彼は涙を止めようと思った。

 もうすぐ止まると知っていた。それでもいい、少しでも……。

 彼女の命が尽きて、枯れるのではなく。自分の力で』


 ソレの動きは異常としか思えない。最初は普通に走っていたが、今は左手も使って這うように移動している。

 まるで獣。だが、獣にしても速すぎる。彼を以ってしても、捕捉が精一杯だ。さらに扱っているのは大剣。兵藤が一撃でもまともに受ければ致命傷だろう。

 ……しかし彼はその程度の分析なら初撃の前に終えていた。

 だからとっさに、自身が持つ物語の中でも一番出来がいい幻想文学を選んだ。その判断力こそが、彼を今の地位に押し上げたのだった。


『彼女は花が好きだった。

 ただそれだけで、彼は生涯の仕事を決めた。大輪の花を咲かすのだと。

 彼女の病室から見えれば、それでいい。

 暖かさが涙を乾かせば、彼の望みは叶う。

 いつかその目が見えなくなったとしても、その力強い産声は届くはずだと信じた』


 その幻想文学は無骨な彼の風貌に似合わず、綺麗な物語だった。

 それが気に食わないのだろうか、ソレはさらに速度を上げる。嫌な光を放つ右目が縦横無尽に軌跡を描く。

 だが彼は動じない――右顔面を抉ろうとする剣を難なく避けた。


『……出来上がった花は、これ以上ないほどに歪だった。

 彼女は告げる。

 ――美しかった。

 苦渋とともに、彼は訊く。

 ――どこがだ。

 皮肉げに微笑み、彼女は応じた。

 ――貴方に、似ていたから』


 近頃は正式を語る者が少ない。騎士隊でも数えるほどしかいないし、若者は存在すら知らないだろう。

 兵藤はそれを仕方ないと思っていた。略式は簡単で速く、量産が出来る。この利点は大きい。これからの時代は略式が主流になるのは当たり前だと承知している。

 それでも彼が正式を扱うのには理由がある。正式は難しいし、遅い。加えて一度使えば、同じ物語は発動出来ない。

 でも――威力だけは、略式をはるかに凌ぐ。その威力のみを望むからだ。


『その最期を誇りに、彼は生涯花を射つ』


 そこで、攻守は逆転した。

 ソレが大きく跳ぶ。とっさに危険を察知したのだろう……正しい判断だった。

 ――題名が明かされる。


『大輪の花火師』


 兵藤が右手を伸ばす。

 途端、火花が散って爆音が轟いた。大通りの地面が爆発したのだ――打上花火によって。右手がソレを追う。呼応するように花火の爆撃も後に続いた。辺りはすでに昼のように明るい。色とりどりの花が大地にに咲き誇っていた。

 彼は火薬を扱うことに長けた語り部だった。特に正式ならば誰にも負けない自信がある。

 しかし相手も並ではない。機敏に回避を繰り返している。打上花火の威力と範囲を考えるならば、信じがたい動きだった。

 だが――一分もしない内に、連続する花火でローブを焦がしたソレは追い詰められた。兵藤が爆撃で建物の隙間にある袋小路へ誘導したのだ。

 彼は勝者の余裕を持って告げた。

「……さあ、投降してもらおうか」

 だが、ソレは答えない。

「今すぐ武器を――」

 兵藤は気付くべきだった。ソレの眼光がまったく衰えていないことに。


『……だが、少女を失った未熟な花火師の花火など誰も見向きもしなかった』


 ソレが何かを言った。

「?」

 しかし兵藤は理解が出来ず、

「最後だ。武器を捨てろ」

 突き付けた右手に力を込める。

 ――ソレが動いた。

 やむを得ず、兵藤は花火の爆撃を具現化しようとする。

「……なに?」

 出来なかった。爆発は起こらない。何度発動しても、火花すら出てこない。

 ソレは大剣を突き出す。首を狙った一撃。兵藤は酷く混乱していて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

「こ、の……!」

 それでも、避けた。普段からの鍛錬が功を奏したのだろう。首の皮一枚を斬って、紅剣は通り過ぎて行く。

 だが――


『世界が全てを奪うなら、私が世界を奪おう』


 たった一言で、ソレの速度は跳ね上がった。

 未だに兵藤が体勢を立て直していないというのに、次の一撃が放たれる。

 再び首への突き。それを防ぐ。寸前のタイミングで兵藤は両腕を交差するように首へ持ってきたのだった。

「ぐ、あ……」

 肉が切り裂かれ、骨が砕ける痛みに呻く兵藤。

 そこに追い打ちを掛けるような声が響く。


『世界が醜く生きながらえようと言うのなら、私が息の根を止めてやる』


 さらに速く。もはや兵藤にも視認不可能な三段目の突き。ただ闇雲に兵藤は跳んだ。何をされたかも分かっていないだろうが……奇跡的に剣は右肩を貫き、命を繋いだ。

「ひっ……」

 だが、この先の展開は読めたらしい。恐怖の表情を浮かべる。


『どうか世界よ、潔く死んでくれ』


 落下する兵藤が地面へ触れるより早く、その斬撃は彼の首を斬り落とした。

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