承……(3-8)

「ああ、猫は踏まないでっ」

 結がベンチへと近付くなり、歩が妙な声を上げた。

「猫?」

 結の疑問はもっともだ。どこに猫がいる。

「地面だよ。たくさん描いてあるの、踏まないで!」

「これ……?」

「そうらしいよ。僕が思うに、踏んだら罠が発動するんだろう」

「発動しないよっ! 踏んだら猫が可哀想なの」

 真面目な性格だからか、結は器用に猫を避けながら進む。いや……踏むのが怖いだけかもしれない。

 結は少しウェーブが掛かった茶髪と同色の瞳で優雅な印象を抱く。服装は黒いドレスが似合っていて、いかにもお嬢様といった雰囲気だった。だが恥ずかしげに下を向いているため、端正な顔立ちが鳴りを潜めている……さっきまでは興奮から饒舌になっていたみたいだ。

 歩は結より慎重に一歩ずつ前へ向かう。どことなく楽しそうなのは人助けが出来るからかもしれない。……ちなみに僕は結を助けるつもりなんてまったくない。ただ、歩のそばにいるだけだ。記憶を失うその瞬間を見るために。

 二人がベンチまでやってきて、僕の両隣に座った。

「地面の落書きはどうするんだよ?」

 ムスッと不機嫌そうな表情を浮かべると、歩は辺りを見回した。

「出来る限りは残したいな……この、猫!」

 猫を出来る限り強調する。だがすでに、半分近くは踏まれて消えている。

 ――残してどうする。そんな疑問を吐き出す前に、

「で、結ちゃんはどうしたい?」

「おじいちゃんに、何かしてあげたい……」

 そっか、と歩は頷いてから考え込んだ。

 大人しくなった歩を見て、何となく僕は気になったことを結に訊ねてみる。

「おじいちゃんって、どんな人?」

「へ!? あ、あの! おじいちゃんは、何だか偉い人みたいで……あたしには優しいけど、他の人には厳しくて。その、ごめんなさい」

 涙目で謝られた。どうやら最初の態度が悪かったようだ。完全に怖がられている……別にどうでもいいが、ここまで露骨だといい気はしない。

 しかし、おじいちゃんが偉い人ってどういう意味だろう。服装を見た限り裕福そうだから、何かしらの権力者かもしれな――

「そうだっ」

 歩が拳を握って立ち上がった。何か考えがあるらしい。裏付けるように、僕と結の視線に気付いた歩は自信ありげな笑顔を向ける。

「……結ちゃん。私は複雑なことをする必要はないと思うよ」

「え? どういうこと?」

「結ちゃんの、何かしてあげたいって気持ちを伝えればいいんじゃないかな」

 数秒だけ呆然としてから、結は大きく頷く。

「……そっか。そうだよね……でも、どうしたらいいのかな?」

「私は手紙がいいと思うの」

「手紙?」

「うん、結ちゃんの気持ちを文字で伝えるのはどうかな」

 それがいい! 結は何度も何度も頷いて、まだ書いてもいない想いに感情を高ぶらせていった。

「じゃあ、私と一緒に書こう?」

 歩の言葉で二人は手紙の内容を話し合い始めた。

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