承……(3-7)
僕達は昼食を一緒に摂らない。患者には病院食が用意されていて、歩はそれを食べなくてはならないからだ。……歩が言うには、病院食は不味くて僕の食事を食べたくなってしまうのが嫌らしい。
よって、僕は元のベンチへ戻ってきた。未だに下手くそな猫で溢れた地面を見つめながら持参した昼食を広げる。
サンドイッチを口に運びながら、僕は苛立っていた。
――何が、素晴らしい世界だ。全て忘れる癖に。何も出来ない存在なのに……! 病人らしく苦しんでいればいいんだ。
気分が影響したのか、自作した昼飯も病院食に負けず劣らず不味い気がする。
……どうにも調子が狂う。普通の人なら落ち込むような話題だろうが、気分が沈む出来事だろうが、歩に真の絶望はない。苦しむ姿が見たいのに、むしろ彼女の笑顔以外を見ることが難しいほどだ。思ったより、ずっと強敵だった。
「彼女が強いのか、それとも僕が……」
思い出すのは、桜だった。
あの光景が僕を躊躇わせているのだろうか? いや、まさか。僕が風景ごときで心動かされる心配はない。
なぜなら、今まで一度たりともそんな救いはなかった。美しいと言われる情景くらいは見てきた。でも、感動なんてしたことがない。
沸いてきたのは、いつも破壊衝動だった。
――大切ならば、壊してみたい。美しいのだから、消える時は格別だろう。
そんな自分を嫌悪してはいるが、ここまで腐っているのだから認めるしかなかった。自分が《悪党》だと。本能的に世界を呪っているのだと。そんな時、
「おじいちゃんなんて、大っ嫌い!」
……やかましい声が響いた。甲高い、小さな子供特有の声。
少し呆気に取られていると、小さな女の子が病棟から出てきた。
長い茶色の髪を左右で結って、ドレスも気にせず大股で進む……が、少しずつ歩幅は小さくなり、同時に顔が歪んでいった。女の子は僕が座るベンチの前を通り過ぎようとするが――おいおい、勘弁してくれ。
まったくもって面倒なことに、女の子は僕の目の前で泣き始めた。それも大音声で。
「……」
僕は無視して目を逸らす。だが逸らした先では患者や看護師が冷たい視線を向けてくる。今席を立つと何らかの面倒に巻き込まれるだろう。
十秒ほど泣き声を聞いていたが、覚悟を決めるしかない。無視し続けてもいいのだが……正直うるさい。
「君、どうしたの?」
僕は女の子に声を掛けた。自分でも分かるくらいに不機嫌な声だ。
「え? ……ひっ」
女の子は初めて僕に気付いたようで、驚きながらこちらを向いた。そして僕の表情を見て、小さく悲鳴を上げる。おそらく表情も不機嫌だったのだ。
結果、女の子は泣き止まない。それどころか、さらに大きな泣き声を上げた。
「なんでも……ない、です……」
ほとんど泣き叫びながら、女の子はどうにか答える。そのまま背を向けたと思ったら、逃げるように走りだした。
――助かった。どうやら災難は去っていくようだ。……しかし、そこまで怖がる必要があるだろうか。そんなどうでもいいことを考えていると――
「ふぇ!」
「うわっとっと」
ドン、と何かがぶつかる音と一緒に女の子の悲鳴が聞こえた。
顔を向ける。腰をついた女の子と、歩が立っていた。
――災難は倍以上に増えたらしい。
その証拠に歩は迷わず女の子に手を差し伸べて引っ張り起こした。さらに嬉しそうな笑顔を浮かべて、
「初めまして。どうして泣いているのか、聞かせてくれないかな?」
単刀直入に女の子へと話しかけた。コイツの笑顔は子供の大好物らしく、だいたい打ち解けるという厄介な能力を保持している。
「……えっと?」
急な展開に付いていけない女の子は泣くことも忘れて、首を傾げた。
「あ、突然でごめんね。私は常無歩。あそこの格好いいお兄ちゃんは静夜だよ。お友達になろう。まずはあなたの名前を教えてくれるかな?」
歩は畳み掛けるように話しかけたが……【格好いいお兄ちゃん】とかはやめて欲しい。
「あたしは、刃間結(はざまゆい)……」
しゃくり上げながらも、女の子――結は事情を話し始めた。
どうやら結の祖父がもうすぐ亡くなるらしい。矛盾症候群の進行もあるが、直接的な理由は寿命のようだ。
人間の寿命は百年。少しの誤差はあれど、これは絶対に変わらない。この世界の人間は皆、そういう役割の登場人物なのだから。したがって、祖父の寿命も絶対のものだ。計算上は――残り三日。
一日二日ずれることがあっても、残された時間はほんの僅かであることは間違いない。その事実を、結は今日知ったと言う。
ショックは受けたが、結は祖父に何かをしたいと思った。だが、何をしたらいいかが分からない。そこで祖父がして欲しいことを探ったが……上手くいかず、逆に話がこじれて喧嘩へとなってしまった。
目に涙をいっぱい溜めて話す姿を見るに、結はいわゆるおじいちゃんっ子だったのだろう……そんな薄幸少女を、コイツが放っておくはずはない。
「偉いね」
「そんなこと……」
「いいや、偉いんだよ」
結が首を横に振る。
「でもあたし、おじいちゃんに何も出来てない……」
「違う、違うよ」
歩は真剣な表情を浮かべながら屈んで、結の瞳を見据えた。
「誰かの死を悲しめるってことはすごく、すっごく偉いことなんだよ。だから、否定しちゃ駄目。謙遜なんかで誤魔化しちゃいけないよ」
「あたしが……偉いの?」
不安そうに漏らした結の頭を、歩は撫でる――その理屈で言えば僕が偉いとは言えないだろうな。
「もちろん。胸を張っていいんだよっ」
そして、成り行きを見守っていた僕の予想は――
「そんなに偉い結ちゃんだから、私達が助けてあげる」
的中するのだった。
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