承……(3-6)
「遅いよっ。暇つぶしで描いていた子猫が五十匹以上の大群になっちゃったんだから」
「……なんだこれ」
あれから十日間。僕達は毎日、同じベンチで待ち合わせた。休日にも関わらず、僕は約束通りの午前十時に来たのだが……それでも遅いらしい。何が楽しいのか、歩は必ず僕より先に座っている。
風景は秋。一度は消え去った落ち葉もすっかり元通りだった。もちろん、桜の花びらなんてあるはずがない。朝日に照らされた、小綺麗な印象を受ける普通の広場だった。
ただ一つ。落ち葉の山と、ところどころ覗く地面に描かれた――気味の悪い模様以外は。
「なんだこれ、じゃないよ! 猫だよ、それも子猫だよ。五十匹もいるんだから可愛いよね」
どうやら待ってる間に、落ち葉を退けて絵を描いていたようだ。しかし――近くを通りかかった老人が、絵を見て「ひぃ」と声を上げて引き返した。
「……」
無理もない。耳は角としか思えず、瞳孔の開いた眼は正面からこちらを見つめている。鋭い牙と一緒に【微笑っている】つもりなのだろうが【嗤っている】という表現がぴったりだった。
それが地面に五十匹以上。善意的に判断しても黒魔術。悪意的に考えるなら、病院への嫌がらせだった。……画才はないらしい。だがそれに気付かない歩は、
「可愛いのになぁ?」
なんて首を傾けていると思ったら、
「静夜も病院に泊まろうよー」
突然そんなことを言って口を尖らせる。
「……何度も言ったはずだよ。僕は見舞いしかしないって」
さすがに一晩中、母親の泣き言を聞き続けるだけのモチベーションはない。楽しいことだってやりすぎはよくないだろう。
「あー、冷たいなー。お母さんが泣いてるよ?」
「別に、何が出来るわけでもないし」
出来てもやらないけど。
「一緒に泊まったら……き、きっと楽しいよっ」
「いや泊まらないから」
僕の一言で歩はガクリと肩を落とす。どうやら今の発言は勇気が必要だったらしい。……よく分からない価値観だ。
「で? 今日は何する?」
訊いてはみたが、答えは予想出来ていた。僕達はあの夜から欠かさず、病院内で遊び回っている。基本的には病院内を散策しているだけなのだが……歩はそれを【人助け】と呼んで譲らない。おそらくは今日も――
「決まってるよ! いつも通り、困ってる人を助けるの」
僕はあからさまな溜息を見せつけると、
「いい加減、普通に遊ばない?」
「……普通なんて、つまらないよ」
「そんなことはないと思うけど……」
「つまらないのっ! それに、普通に遊んでも誰一人として助からないでしょ!」
そうだね、普通に遊んでいて誰かが助かったら斬新な遊びだ。でも、普通じゃないって分かった上で【人助け】にこだわるのか……まあ、僕も他人のことは言えないか。誰かが苦しむ姿を鑑賞することが普通じゃないことは、さすがに知ってる。
「……分かった。要は病院を歩き回ればいいんだろう?」
「歩き回るんじゃないよ! 助けを求める人を探してるの」
「分かった分かった」
僕は立ち上がり、病棟内へと向かう。
「ちょっ……待って、待ってよー! リーダーは私なんだよっ。さ、先に行かないでぇ」
百人近い患者が収容されている大規模な病院とはいえ、朝から困っている人が都合よくいるはずもない。
よって、人影もまばらな廊下を歩き回るのが【人助け】の大部分を占める。
僕は経験がないから分からないが、これが人助けというものらしい……楽でいいな。
うたた寝する受付の前を通る。不意に、前を行く歩が振り返った。僅かに憂いを帯びた笑顔で、両手を後ろで組みながら後退する。
「あのね。昨日、隣のおじいちゃんが死んじゃった」
「……そうか。どう思った?」
僕は少しだけ期待しながら聞き返した。歩はきっと悲しんだと思ったから。
「んー、寿命だったんだけど、身寄りのないおじいちゃんでさ。誰も最期を看取る人がいなかったんだよね。だから私が手を握ってあげたんだけど……」
予想通り、表情が憂いを増した。
「苦しそうにもがいて……いっぱいいっぱい、酷いことを叫びながら逝っちゃったんだ」
「……それは、辛かったね」
僕は真剣な表情を装いながらも、次の歩が見せてくれるであろう表情が楽しみだった。
だが彼女を見遣ると、
「まったくもって、この『世界』は悪いコだよね」
仕方ないなぁ、と言わんばかりに苦笑していた。
「きっと、誰も『世界』を愛してないから……不良になっちゃったんだろうなぁ」
「……何を」
「おじいちゃんが最期に告げた呪いは、多分正しい……正当な権利があると思うんだ」
声すら出せない僕は立ち止まって、一歩一歩下がっていく少女を見つめるだけだ。
「でも――誰かが『世界』をちゃんと見てあげれば、いつかね」
――『素晴らしい世界』になれると思うんだ。
そう言うと、くるりと回って歩は前を向いた。
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