承……(3-5)

 結局はチームワーク皆無の状態で試合の時間が来てしまった。紗智はもちろん、へそを曲げた歩も自分の幻想文学を教えなかった。共有したのは僕の物語だけ。それでも全員が近接戦闘向けだということだけは分かった。そこから練った作戦はこうだ。

 僕が最前列に位置し、直進で急襲。その間に紗智と歩が左右から回りこむ。以上。

 何が酷いって、三人が自由勝手に突撃するだけ……作戦でも何でもないところだと思う。普通に各個撃破されて終わりそうだった。

「A13、B6、中へ」

 教師の一人が呼びかける。僕達と相手が三人ずつ白線内へと入った。先生達の趣味だろうか、戦場の形は様々だった。長方形や正方形、だだっ広いものがあれば狭いものもある。ここは直径五十メートルほどの円だった。

 予定通り僕が前で右後ろに紗智、左後ろは歩という陣形を取った。

 対峙する相手は前衛二人に後衛一人だ。紗智の前に金髪、歩の前は茶髪が身構えている。そうなると、僕の相手は短髪の大男か。

 金髪と茶髪はにやにやと嫌な笑みを浮かべている……あまりいい気はしない。

 物置裏での出来事を思い出す。あの状況になったら、お互い後には引けないだろう。二人も、そして歩も。

 ――さっきから歩が後ろで唸っている気がするけど、きっと幻聴だよね。

「準備はいいですか?」

 男性教師が訊ねる。全員が無言。彼は一つ頷いて、肯定と受け取った。

 ――狙うは一対一。

「では始め!」

 先手必勝。小さく呟いて、走りだした。あの大男が後衛ということは、接近戦は得意ではないはずだ。三人が同時に突撃したなら、一人は彼まで辿り着けるだろう。

 ――いや、辿り着かなければ勝ち目は薄い。

 円の中央までもう少し。相手は動かない。

「……?」

 違和感を覚えた。開幕で動けないのはともかく、ここまで接近されても反応がないなんて変じゃないか。倒すべき敵達はこちらをじっと見つめている――まるで、観察するように。


『煙球』


 それは至極単純な、罠だった。

 大男が低く語った題名によって、視界全てが一瞬で白く染め上げられた。一呼吸置いて、状況を把握する。

「……煙幕」

 足を止めた。この視界では方向も分からない。ましてや相手は移動したかも知れないんだ。下手に動かない方がいい。

「二人共、晴れるまで待つわよ!」

 歩の声。その判断は的確だ。視界が回復してから仕切り直しをすればいい。

 なぜならこんな煙幕を張ったら、相手も視界が塞がってるはずだから――

「……待てよ」

 本当に条件は一緒なのか?

 この罠は計画的だ。なら、狙いがあるのではないか。先ほど観察するようにこちらを見つめていたのは――僕達の立ち位置を正確に記憶していたのだとしたら?

「っ!」

 致命的な判断ミスだ。僕達はまず、考えるべきだったんだ。

 そもそも、この煙は晴れるのか……と。

 僕はとにかく走りだした。方向なんてデタラメだ。同時に声を上げる。

「歩、紗智! どこでもいいから、動け!」

「ちょっとっ! 適当に動いたら、迷うだけよ!」

 返事は返ってきたが、

「今は待った方が……えっ?」


『捕まえた』


 嫌らしい響きと一緒に、声が届いた。

「おい? 歩?」

「飛ばされたみたいですね」

「うおぉ」

 紗智が僕の目の前にいきなり現れる。驚いて一歩下がった。それだけで紗智を見失いそうになる。

「なんだ紗智か。大丈夫?」

「ええ、飛ばされてはいません」

 そんな軽口を叩きながら、紗智は僕の背に自分の背を当てた。

「おそらくはあの二人、戦闘物語を語ってますね。さすがに速い。でも――」

 視界の端に、相手を捉えた。だが顔を向けた時にはもう、右手の平が目の前にある。

 ――やばい、避けられるか?

 しかし避けるまでもなく、腕は逸れ……金髪が僕の横を吹っ飛んでいった。

 紗智がいなしてくれた、のか。

 金髪の舌打ちが聞こえる。

「サチなら煙の微妙な変化が分かります。まあ、避けるくらいなら楽勝。時間を稼ぐとしたら、三分が限度ですかね……二対一ですし。でも運がよければ倒せるかも?」

「時間を稼ぐって……」

「あのデカブツ倒してきて下さい」

 言いながら、一方を指さした。僕が進んでいた方向だろう。

「サチは静夜さんの力が知りたいです」

 僕は走りだした。背後から何かの題名が聞こえたが、理解する暇はない。

 ――声は続く。

「馬鹿みたい。戦闘でサチに勝てるとでも思ってるの?」

 走りながら、僕は一枚の紙を取り出した。『彼』に想いを馳せる。


 思い出す技術を磨き上げ、善いことも悪いことも全て忘れないと誓った。その中に奇跡があった。だから、彼は諦めることをしなくなった。

 奇跡があったことを忘れてはいないから。奇跡の存在を、知っているから。

 諦めてはいけない……そうすれば、きっと奇跡は起こる。

 そう信じた、一生だった。


 そんな『彼』の物語を綴った紙を握りしめ、自分とする――!


『メモリー・ダイバー』


 その略式で、世界が変わった。遠目に見た戦場の全容。開始直前の地面状況。奴が立っていた場所、目測でそこまでの歩数。あらゆる情報が思い出せる。

 同時に気付いた。

 なんて嘘っぱちで、くだらない。こんなものは僕の望む物語じゃない……!

 それでも、勝たなきゃ。僕にはどうしても成し遂げたい目的がある。

 まずは彼がいた場所まで行ってみよう。さすがに動いただろうが、近くにいる可能性は高い。

 迷うことなく――五秒で辿り着いた。

「……」

 彼は、いなかった。

 僕の足元に転がる石があった場所を思い出す。ここは間違いなく彼が立っていた地点だ。移動したということだろう。ならば、近くにいる。そして必ず彼は仕掛けて来るだろう……だってこれは鬼ごっこなんだから。捕まえなければ勝てない。

「落ち着け……」

 僕が頼るべきは――音だ。視界が悪い状態では一番信用に足る。特に足音と声。この二つは絶対に聞き逃してはならない。なぜなら相手は僕がここに来るまでの足音を聞いたはず。つまりは僕の場所を知っている。


『黒箱』


 小さな声に踏み込んだ。言い終わる前に二歩目を刻む。右手を引き絞り……さらに前へ。

「な――!」

 彼の驚愕した表情が飛び込んできた。彼の脇で漂う、子供が入れそうな黒い箱も嫌と言うほど目に付いた。

 しかしそれら全てを無視して、顔面を殴りつける――だが、僕が殴ったのは彼の顔ではなかった。僕と彼の間に移動した黒い箱に全力の拳を打ち付けていた。

「痛っ……」

 信じられないほど箱は硬く、右手に激痛が走る。使えないことはないが、拳の威力は大分落ちるだろう。

 普通ならそこで退くところだが――今の僕は普通じゃない。略式の効果で、諦めることをしない。出来ない。

 残る左手で殴った箱の上を掴む。そのまま体を支え、痛む右手も伸ばす。懸垂の要領で体を跳ね上げると、黒い箱を飛び越える。一回転して、着地点は彼の後ろだ。

「何が……?」

 驚いて振り向く彼に、迷いなくタックルをかました。二人揃って、もみくちゃになりながら転がる。最終的に僕は馬乗りになって、傷ついた右手を彼の胸に乗せた。もちろん相手の両手を踏むことも忘れない。

「僕の勝ちだね」

 そして彼を飛ばそうと、


『捕まえ――』


「待て、待ってくれ!」

 止まる義理なんてない。だが反射的に僕は止まってしまった。短髪は続ける。

「君の勝ちでいい。何ならこのままの体勢で構わないから……オレを飛ばさないでくれ」

「……なぜ?」

「情けない話だが……皆に弱いと思われたくないんだ」

「だからなぜ?」

「それは――」

 彼は口ごもる。

「本当は不良とは程遠い、善良な生徒だから?」

 つい口をついて出た僕の一言は、彼の瞳に驚愕を浮かばせた。

 僕はそれが気に食わない。

「見た目こそ怖いけど……僕には分かるよ」

「どう、してだ。皆、オレを見て不良だ悪党だと言うのに」

「だって、僕とは違うから」

「……そんなことは、初めて言われた」

 そう言って、僕の下で自嘲した。

「皆が皆、そうなんだ。何もしていないのに、オレは悪党だって後ろ指さされる」

「……」

 その言葉に腹が立つ。

「でも、オレは悪いことをするつもりなんてないんだ。むしろ誰も傷つけたくない」

 こいつはきっと、何も分かってない。本質的なものは何も気付けていない。

 僕の様子にも気付かず、短髪はさらに続ける。

「だから示したさ。自分に悪意はないって伝えた。その結果は……迫害だった。オレを勝手に怖がっていた連中が、仕返しに来たんだ。何もされてないのに、オレが悪意も戦意も持っていないって……強くないって分かったから」

 怒りで心が埋め尽くされる。紗智。こいつのどこを見たら、僕と同類なんだ。こんな幸せな悩みを抱えてる奴と僕は全然違うじゃないか。

「……だから、強いと思われたいんだ。今君に飛ばされたら、きっと繰り返す。同じ班の二人がまたオレを――!」

「でも、君は物置裏で歩を助けたよね」

「見てたん、だな。それは……」

 助けずには、いられなかったのだろう。そう思った瞬間、気が緩んだ。

 ――君にとっては当然のことかも知れない。

「ガッ……はっ、あ」

 僕は彼の顔面を残る左手で殴っていた……もう勝負は着いたのに。

 ――でもソレがどれほど尊いものか、分かっているのか?

「ぐ、あ! なん、で」

 また殴ってしまう。……必要以上に傷つけたら、負けになるって聞いた気がする。

 さらにゆっくりと左拳を引き絞っていく。殴ったら、マズイのに。

 ――僕が……どれほどソレを!

「だ、誰か! 殺され――!」

 自分の声が、聞こえた。

 ――こんな煙の中、二人しかいない。殴るに決まってるだろう。誰も気付かないさ。

 ――悪党の面を被った善人なんて君が殺せばいい。善人の面を被った悪党なんだから。

 ――人を殴るのは気持ちいいよな? 聞くまでもないか。

 ――駄目だ。僕には、

「僕には、目的が……」

 まるで心のない声だった。僕は無感情に相手を眺めていて――左拳を、振り下ろした。

 だが、一秒待ってみても、相手の顔を殴りつける快感は訪れない。誰かが僕の左手を止めたんだ。邪魔しやがって。まあ、いいか。

 ――そいつも、殺してしまおう。

 視線を移し、僕の左手首を握る人物を睨みつけた。

 顔を見ただけで、感情を失った心が息を吹き返す……正直、泣くかと思った。

 ああそうだ。そうだった。


 僕は――《善人》になりたかったんだっけ。


 そんな目的を、思い出した。

 最後の日。全て忘れたあの瞬間の面影を残したまま、歩はそこにいた。

「ああ、なんだ。また僕は」

 一拍置いて。

 パアンと、僕の左頬が平手で殴り飛ばされた。

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