起……(2-1)

「うへぇ……」

 自分のものとは思えないほど汚い溜息が喉から零れた。玄関に仮設された巨大掲示板の前だ。

「やったぁ」「ぎゃー」「……はあ」

 どうやらクラス分けに一喜一憂するのは僕だけではないらしい。あちこちから歓声やら悲鳴が上がっていた。

 飛剣歩(ひつるぎあゆみ)。

 張り出された紙の、この名前が問題だった。僕と同じく彼女が今日からここに通うことは知っていた。だが、同じクラスにはならないだろうと楽観してたのだ。

 負け犬の気分で僕は廊下を歩き出す。死ぬ気で勉強して、ギリギリアウトをお情け同然で入学出来たのに……なんだろこれ。

「罰が当たったのかな」

 呟いたものの、何の罰かは分からない。ひょっとしたら昨日、妹の菓子を盗み食いしたからだろうか……?

「いや、それは理不尽だ」

 だって、怒り狂った妹に十分殴られたんだから。もう一度、溜息。

 災難を嘆きながら道なりに進むと僕の教室が見えた。物語科一年のAクラスは校舎の端でざわついているようだった。

 開いていた扉から中を覗いてみれば、意外と広い。にも関わらず、指定の制服を着た生徒でほとんどの椅子が埋まっていた。どうやら席は自由らしく、僕は目立たないよう静かに入った。

 一番後ろがいい。しかし皆考えることは同じらしく、例外なく埋まっていた。

 ――なんで皆、こんなに早いんだよ? まだ予定まで二十分以上あるのに……。

 なんて思っていたから負の力が働いたのだろう。窓際最後尾の席が空いた。友達の隣に移ったらしい。

 不自然じゃない程度に大股で急ぎ、意中の席に着いた。周りは顔見知りと話しているが、僕は知り合いを探す必要はない。僕を知っている人は誰もいないはずだから。少しだけ虚しい。

 まあ、歩と同じクラスなのは不幸だけど……なってしまった以上は仕方ない。出来るだけ関わらなければいいだけだ。

「うん、問題ない」

 左隣の窓へ視線を移してから、誰にも気付かれないように言い聞かせた。

 ――あれ?

 窓に反射して見える、隣の席……まさか。ゆっくりと正面を向く。万が一にも気付かれないよう、横目で隣を窺った。

 前の席の女子に話しかけてる女の子。まっすぐな黒髪を腰辺りまで流して、あの時と変わらずに瞳で微笑んでいる。月すら反射していた白い肌は少し焼けたようだ。

 いつかの物語は、今でも暗唱出来る。

 ……本当、ツイてない。隣に座るだなんて間抜けにも程があるだろう。頭を抱えて呻く。

「はい、おはよう」

 せめてもの救いは、そこで担任が入ってきたことくらいだ。予定よりも早かったけど、文句なんてない。仕方ないだろう? 歩に話しかけられたら困るしさ。

「えー、皆さん。ご入学おめでとうございます。修正者(リライター)養成所へようこそ」

 どこから見てもスーツを着たチンピラにしか見えない担任だったが、声だけは美しいテノールだった。……まあ、物語を語る上ではプラスだよね。そう考えることにしよう。慣れるまでは大変だ……笑わないようにしないと。

「さて、さっそくだが班分けをするから。ウチは優れた修正者を輩出するために、班単位での競争を重視してる。優秀な班は候補生としての活動権限が強くなる。要は……経験積みたけりゃ、班の中で協力しろよってことだ」

 担任は淡々としたテノールでシステムを説明する。班分けは実力を考慮した上でのランダム。人数は三人で、再編成等には申請が必要らしい。

 ……完全な運じゃないか。不公平だと思う。非常に思う。

 でも文句を言う勇気など僕にはなく、担任は班員を読み上げ始めた。四十人前後の生徒が三人ずつ呼ばれて手を挙げる。しかし、しばらく待っても僕は呼ばれない。

 ――頼むから、変な人と一緒になりませんように。

 終盤に差し掛かり、やっと僕の名前が呼ばれた。

「十二班……刃間静夜(はざませいや)、高音沙智(たかねさち)、飛剣歩」

 呼ばれたのだが、それは余りにも残酷だった。愕然とする。絶望としか言いようがない。もちろん、隣の席に座る少女の件だ。二人共呼ばれてなかったから、もしかしてとは思ったが。同じクラスの同じ班だと……! 呪われてるとしか思えない。

「おらぁ! 手挙げろっ、成績下げてやろうか?」

 職権乱用だと思いながら、僕は慌てて右手を跳ね上げた――歩が隣の僕に気付く。驚いた表情には少し笑みが残っている。思い浮かんだのは……。

『桜の英雄』

 酷く懐かしい、桜の林だった。

 ――分かってる、分かってるんだ。悪いのは全部僕で、歩に非はなかった。それでも会いたくなんてなかった。

 決まってるだろう。

「あんたが刃間静夜ね――初めまして」

 君は僕のことなど、微塵も覚えてはいないのだから。

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