地獄の待合室

裏道昇

第1話

「……ん、ふぁ」

 私が目を覚ますと、そこは真っ白い部屋だった。

「おはよう、目は覚めたかい?」

「……?」

 どうやら私はこの部屋の床で寝ていたらしい。

「!? 誰……?」

「いやいや、怪しい者じゃないよ」

「ここどこ? 私は家に帰る途中で……」

 学校を出たのは覚えている。だが、家に着いた記憶はない。

 と言っても、こんな何もない部屋に入った覚えだってない。

 思考はまとまらず、混乱が高まっていく。体を起こして、叫んでしまう。

「あなた、誰! 私に何したの!?」

「まずは落ち着こう。ちゃんと話すから」

 彼は紳士的な様子で私の眼を見据えた。スーツ姿が様になっている。大きな瞳に、優しい笑顔、整った顔立ちは私の好みを具現したようだ。

 こんな状況だが、格好良い、と思った。

 とりあえずは彼が私に危害を加える心配はないと判断して、自分の格好を確認した。高校の制服を着ているが、不思議と洗い立てみたいに綺麗だった。

 次は部屋を見回す。十畳くらいの部屋だ。天井は高く、サイコロみたい。しかし床から壁、天井まで真っ白なタイル張りで、何も置かれていない。加えて、どこを見てもシミ一つなかった。

 良く言えば清潔だが、まるで生活感を感じない。

「ここはどこなの?」

 私は不安を押し殺して、冷静を装って訊いた。

「うん、はっきり言おう。ここは『地獄の待合室』と呼ばれる場所だ」

「えっと……どこだって?」

 地名の聞き間違いかと思った。それくらい、彼の言葉は理解しがたいものだ。

「……『地獄の待合室』だよ。死者が地獄に落ちるのを待つ場所だ」

「ははは……そんな、面白くない冗談はやめて?」

 冗談としか思えない。だが、彼の表情は真剣そのものだ。その表情を眺めているうちに、私は自分の言葉を疑い始める。

「……え、そんな、私が死者? だってさっきまで高校にいたんだよ。普通に授業受けて、これからテレビ見る予定だったのに」

「君は下校途中、交通事故に遭って即死だった」

「でも私、ちゃんと体動くよ? 心臓だって……」

 胸に手を当てれば、ちゃんと鼓動を刻んでるのが分かる。

「よく言われるよ。魂にも心臓があるんだ。そして、魂の心臓は止まらない」

「そんな……」

 つまり、ただ待つだけなのかな? 死んで地獄に落ちるのを……。

「なんで、なんで地獄なの?」

「そう、その話がしたかった。審査の結果、君は地獄に落ちることが決まった」

「嘘ッ! 私……そんなに悪いことなんてしてないよ!」

「その査定は僕の知ることではないよ、申し訳ないけどね。僕は君の担当をすることになった、君の言葉で『天使』みたいなものかな」

 彼は……『天使』は私に微笑みかけるが、私はまともに見ることさえ出来ない。私が地獄に落ちる。その事実がただただ恐ろしかった。

「あれ……。なんか、眠いな……」

 さっきまで寝ていたのに、無性に目蓋が重い。欠伸が漏れる。『天使』が私を床に横たえてくれた。床は汚い気がしたけど、そんなことは意味がないだろう。

 私はもう、死んだのだから。

「衝撃的な話が多くて疲れたんだよ、少し眠るといい」

 その言葉を聞きながら、私はすぐ眠りに落ちた。


 次に意識が覚醒したときも『天使』は前回と同じ場所に立っていた。

「……『天使』って寝ないの?」

「そりゃあ、『天使』だからね」

 少し砕けた態度で笑いかけてくれた。それは大変魅力的に思えたが、相手が『天使』なら当然かもしれない。

 よく見れば、彼の服装は前回と違っていた。今着ているのはスーツではなく、Tシャツとジーンズだった。ずいぶんラフだな、なんて思う。しかし、私が着ているのも制服じゃなくて、白のワンピースだと気付く。どうやらこの世界での服装は着替えなくても変わるらしい。

 理屈は分からないけど……体も汚れていない。いや、そもそも今の私は汗が流れないのかもしれない。まるで証拠を突きつけられているようだと思う。

 でも、体が綺麗なのは嬉しかった。すでに死んでいても。

「……地獄って、どんなところ?」

 座ったまま、つい訊いてしまった。彼は私の隣に腰を下ろして、答えてくれた。

「そうだねぇ、行ったことはないけど……とにかく辛いみたいだ。あらゆる痛みを受けるらしい。肉体的にも、精神的にもね」

「それは……嫌ね」

「でも本当に苦しいのは、それが永遠だってことだよ」

 息を呑む。私はこれからそこに行くのだ。ずっとずっと、苦しむだけなのだ。

「……どうにも、ならないの?」

 堪えきれずに、涙が零れた。前は混乱で取り乱すだけだったが、今は悲しみで泣かずにはいられなかった。

「方法が、ないわけではないんだ……でも」

「あるの……?」

 私は縋りつくように訊ねた。彼は目を反らしながら重そうに口を開いた。

「地獄の方が幸せかもしれないよ?」

 私は、それでも良いと、先を促した。

「悪魔を倒す存在になればいい。彼らは人間の世界で、人間の姿をして、人間のフリをして、人間の武器で、人間を殺すんだ。君は僕に監視されながら、彼らを倒す。

 ずっとずっと倒し続ければ、罪は軽くなって天国へ行ける」

「人間の格好をした悪魔を倒す……?」

 私の世界には悪魔が山ほどいたのだろうか。それを倒す。でもそれは、人間の姿をしたモノを倒すのは……。

「……勘違いしてはいけないよ、奴らは人間を殺す悪魔でしかない。そのままだと、人間が殺されるんだ。奴らを倒すことは人間を救うことだ。でもそれは辛いんだ。汚いことに、人間の皮を被ってるからね」

「少しだけ……考えさせて」

「いや、ゆっくりでいいよ。ただ、時間が来たら……君は地獄へ行ってしまう。そうなったら、手遅れだ。その前に決めた方がいい」

 やがてまた眠気が襲ってきて、私は一時的に悩みを忘れて眠り込んだ。


 それ以降、私は起きている時間の大半を考えることに費やした。お腹が空かないので集中は出来た。

「私が地獄に落ちるまでの時間はどれくらいあるの?」

「ごめん、それは分からないんだ。地獄側による……というより、君が地獄に落ちる準備を整えているところだからね。個人差が大きいんだよ」

 なら、今すぐに地獄へ落ちるかもしれない。

「急がないと……」

 理不尽だとは思う。でも、一度地獄へ落ちてしまえば、救いはない。冤罪を訴える場所がそもそも存在しないのだ。

 ただ、永遠に苦しみ続けるだけ……。

 ぶるりと体が震えた。

「なんで、こんな酷い目に遭うの? 苦しみ続けるか、戦い続けるか、なんてどっちも嫌だよ。家に、帰りたい……!」

「……人間は勘違いをしているね。死後は天国と地獄しか存在しないんだ。単純に二分の一の確率で、地獄へ行くんだよ。皆が天国へ行けるなんてことはあり得ない」

「そんなの……」

 残酷すぎるよ、と言いたかった。でも、『天使』の悲しげな表情が私の口を止めた。

「でも、逆に言えば半分の人間が悩むことなんだ。皆悩んでる。それでも、戦うか、諦めるか、決めなきゃいけない」

 少しだけ微笑むが、『天使』の表情は自虐的に見えた。


 何度かの思考と睡眠を繰り返した後、

「私は悪魔を倒す」

 そう宣言した。

「いいの? 地獄から抜けるには、想像を超えるような数の悪魔を倒さなきゃ。覚悟はある? 君の目には奴らが人間に映るかもしれないよ?」

『天使』は真っ直ぐに私の眼を見る。覚悟を見極めようとしているんだ。

 それに私は応えた。

「うん、覚悟したわ。たくさんたくさん、悪魔を倒してやるんだ。皆を守るの。絶対に迷わない」

 目の前で彼は静かに微笑んだ。

「分かった……じゃあ、注意事項を言っておこう。

 僕に従うこと。僕は監視者だから、君がルール違反をしたら報告する義務がある。

 あと、僕の姿は今と違うかもしれない。それでも、僕は僕だ。間違えないで。

 最後に、君は素性を知られてはいけない。君が悪魔を倒す者であることは秘密だ」

 しっかりと頭に刻み込んで、私は頷いた。

「じゃあ、今からこの部屋を出て、悪魔で溢れる元の世界へ……」

「……」

 無言でもう一度、頷いた。

 すると、いつもの眠気がやってきた。世界を移動するのだろう。

 私は『地獄の待合室』で最後の眠りへと沈んでいった。


 戦争が絶えないある国の研究施設。

 彼らは大きなモニターがある部屋にいた。

 軍服や白衣に身を包み、モニターを凝視している。映っているのは、真っ白な部屋で少女が眠りにつく様子だった。

 白衣の者は日本人のようだが、軍服を着ているのは外人らしい。

 やがて、白衣の一人が口を開いた。

「……意識を失いました。催眠ガスの放出を停止します。今回もガスに気付いた様子はありません」

「上手くいったようだな」

「ああ、協力に感謝する」

「約束通り、この少女は我々が利用して構わないだろう?」

「問題ない。ただ、この件は他言無用だ……お互いのためにな」

 白衣を着ている人の中で一番高齢の男性が牽制した。軍服のリーダーらしき人物は日本語で答える。

「もちろんだ。しかし博士、あなたは天才だ。

 子供を誘拐して、死後の世界を演出する。対象を眠らせてる間に細工を繰り返す徹底ぶりだ。結果、子供は自分が死んだと思い込む。そこで恐怖をちらつかせ、悪魔を殺すという目的を強烈に刷り込んだ。

 これで、少女は『天使』の指令でいくらでも人間を殺すだろう」

「悪魔だと思い込んだまま、な。

 日本人での実験は大成功だ。高度な教育システムを持ちながら、あれだけ平和ボケした国は他にない。本来は教養のある子供を拉致することは難しいが……日本だけは例外だろうな」

「やはり日本人に愛国心はないようだ」

「研究の役に立たないからな」

 博士と呼ばれた白衣の男は鼻で笑い飛ばす。

「しかし、彼女を鍛えてから戦場に放り込んだら――戦況が変わる。なんせ恐怖も迷いもない。すでに一流の兵士だよ。

 ……『天使』役の彼も名演技だった」

「映画に出来ないのが残念だよ……これから、試験的に量産したいのだが」

「もちろん援助しよう」

 そう言って、本当の悪魔たちはほくそ笑んだ。

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