第6話 母親の悩み事 【七瀬 遥】
「久しぶりー、遥っ!」
律子は昔と変わらないハイテンションで両手を胸の前に上げる。
「久しぶり、律子」
変わらないなと苦笑しながらも、その変わらなさにどこか安心しながら私はその手にタッチする。
「それじゃ、お店入ろっ」
律子が先だってお店に入る。
「いらっしゃいませ」
「予約を入れた七瀬です」
出迎えてくれた店員さんに、私は律子の後ろから伝える。
「お待ちしておりました。席までご案内します」
案内してくれる店員さんに続いて、私達は移動して、席に着く。
「ご注文お決まりになりましたら、お呼びください」
店員さんがメニューを置いて、立ち去る。
「へー」
律子は無遠慮に店内を見回し、
「よさそうなお店ね」
無邪気に笑った。その笑顔は、やはり昔と同じでどこか健人のものと似てて笑ってしまう。
「うん。新しくできたのは知ってたから、来てみたかったの」
答えて、私達はメニューを見始める。
シェアのランチセットがあったので、それを頼むことにしてピザとパスタをあーでもないこーでもないと話し合う。食べるものに関しては、遠慮する気はない。
お互いの意見が一致したところで店員さんを呼んで注文。
「で?」
注文が終わり再び店員さんが去ると、律子は肘着いた手に片頬を載せて私の目を覗き込んできた。
「何があったの?」
律子は何かあったのを確信しているようにニヤついている。
「……なんでわかったの?」
最初から相談するつもりだったけど、こうも見透かされたような反応をされてしまうとちょっと抵抗したくなる。
「そりゃわかるでしょ! そもそも遥の方から誘ってくること自体が珍しいんだから」
律子は何を言ってるのと言わんばかりに笑った。
言われてみれば、いつも律子に誘われてばっかだった気がする。でも、それは私が薄情だからとかじゃなくて、いつも律子が誘ってくるから私から声を掛ける必要がなかっただけな気がする。
「前、誘ってくれた時は健人君と結婚する前。典型的なマリッジブルーな相談だったよねー」
律子はからかうようにニヤニヤとしている。
「で、また健人君絡み?」
返す言葉もない私に、律子は悪い顔のまま尋ねてくる。
「こちら温かい紅茶とコーヒー、サラダになります」
いいタイミングで店員さんが食事と同時で頼んだドリンクとサラダを持ってきてくれた。
私はほっと一息ついて、紅茶を口に運ぶ。
「葉月の……子どものことでちょっと」
ようやく私が切り出せば、律子は目を丸く見開いて、次の瞬間お腹と口元を押さえて笑い出した。
「なによ」
「アハハッ。いや、ごめん。別に笑うつもりはなかったんだけど」
口ではそんなことを言いながらも、律子はなおも笑いを止めずヒーヒーとお腹を押さえている。
「いやー、ゴメンゴメン」
憮然とそっぽを向く私に、律子はパンッと両手を合わせて拝み倒してくる。
「あの遥様でも、我が子のこととなるとそんな顔するんだなーって思うと感慨深くて」
「全然、感慨深いって反応には見えなかったんだけど?」
私はジト目で律子をにらむ。
「ホントホント。まあ感慨深いのと同じくらいには面白かったけど」
律子はまるで悪びれずにそんなことをのたまう。
「で、葉月ちゃんがどうしたって?」
続けて、私が口にした相談事を確認してきた。
「その……なんというか」
どう言ったものか、私は言葉に悩む。
「凄い賢い気がして」
けれど、結局適当な言葉が見つからなくて、私は率直な感想を口にした。
しかし、律子の応答がない。
私がチラリと律子の様子を見ると、律子は面白い顔をして、両手で口を押えていた。
「律子?」
不審に思った私が呼びかければ、もうだめだと律子が笑い出した。
「ご、ごめん……無理。謝った手前我慢しようと思ったんだけど……マジで無理。それは無理だって!」
他のお客さんがどうしたのかと振り返る勢いで、律子は笑った。ヒーヒー笑った。
「律子?」
私は今度こそ怒りの眼差しで律子をにらんだ。
しかし、律子はさらに笑いを重ねる。
店員さんがピザを運んでくる頃になって、ようやく律子の笑いは収まった。
「律子に相談しようとしたのがバカだった。私、帰ろうかしら」
「ゴメン。本当にゴメンって。せっかく美味しそうなピザが来たんだから食べましょ?」
私のご機嫌をうかがうように、律子はピザを皿にとって私の前に置く。
「ん」
ピザに罪はないので、私は仕方なくそれを口に運ぶ。アツアツで美味しい。
「やっぱり、遥でもそんな風になるよね」
同じようにピザを食べながら、律子は昔よりもさらに深く優しい笑みを見せた。
「そんな風にって?」
からかっている風ではないので、私は素直に問い返す。
「子どもの心配して、自分の子は優秀だーって」
悪気はないのだろうけど、そのセリフにピクリとする。
「心配は当然だけど、私は葉月が優秀だーなんて言いたいわけじゃありません」
ピシャリと私は否定する。
「でも賢いって言ってたじゃない」
律子は指摘する。
「そうなんだけど……その賢いんだって言いたいわけじゃなくて」
ストレートな指摘に私は口ごもる。
「ただ賢いっていうか、賢すぎる気がして」
律子が再び口元を押さえた。
「ピザにタバスコかける」
「ごめんなさい」
律子が即座に謝罪した。私は辛いのは平気だけれど、律子は苦手だ。
「で。どうしてそう思うの?」
律子の確認に私は並べる。
「家の中でも外でも全然泣いたりしないの。夜泣きもないのよ」
「えー何それっ!」
律子が不満そうに叫ぶ。
「赤ちゃんって泣くものでしょ? うちの拓真なんてどこだってビービーうるさいのに!」
羨ましいと叫ぶ育児の先輩に私は苦笑いする。苦労してたもんな―と。
「やっぱりそうだよね」
私が呟くと、律子ははっと私を見る。
「でも、全然泣かない子って他にもいるって聞いたことあるわよ」
「うん。それは私も知ってるんだけど」
私は他にも思い浮かべる。
たとえばご飯を欲しがる時や粗相をした時。
他の赤ちゃんなら泣き叫んで親を呼ぶと聞いたけれど、葉月はまるで私達を呼ぶように手を伸ばして申し訳なさそうに控えめな鳴き声を上げる。
たとえばベッドの上で横になっている時。
葉月は泣き叫ぶでも何かを見るでもなく。まるで何かを考えこんでいるように微動だにしない。
たとえば健人が葉月の前でバカなことをした時。
葉月は子どもらしく無邪気に笑うのではなくて、どこか仕方ないなーとまるで愛らしい子どもを見るように微笑んでいる。正直、それは私もまったく同じ感情だから共感できるし、だからこそ葉月の反応がわかったのだけれど、葉月は私と違ってまだ赤ちゃんだ。
極め付きはあのスケッチブックだ。
あのスケッチブックいっぱいに描かれたのはどう見てもアルファベット。しかもスケッチブックに描かれたその文字は落書きのようではなく、文章のように規則正しく書かれている。
「なにそれ」
私が葉月の様子を吐き出すと、さすがの律子も驚いたように言った。
「遥、葉月ちゃんにアルファベットなんて教えたの?」
「教えてなんかないわよ」
「葉月ちゃんって何歳だっけ?」
「まだ0歳よ」
さしもの律子が大口を開けて、言葉を失った。
「で、でもまあ、年相応に子どもっぽいところもあるんじゃない?」
場を取り繕うように律子はパンッと手を叩いた。
「……言われてみれば」
クレヨンにやたら執着したり、スケッチブックを隠してみたり。子どもっぽい反応を見せることもある。
「それに」
私の顔を見て、律子は微笑む。
「可愛くないの? 葉月ちゃん」
律子に言われて、私はぱちくりと目を見開きした。
「可愛い」
ちょっと賢すぎるんじゃないかと思うこともあるけれど、葉月が私に懐いてくれてるのは伝わってくるし、最高の笑顔を見せてくれる。
「だったら自分の子どもなんて、それだけでなんでもいいじゃない」
律子のフォローに私は笑ってしまった。
「確かに」
葉月は、間違いなく私と健人の子どもだ。
「それじゃ、ほら。冷めちゃう前にパスタ食べましょう」
「そうね」
そして、私達は学生時代の話に華を咲かせながらランチを楽しんだ。
「そういえば、もし気になるなら、綾部教授のところでIQ測定とかしてみたら?」
「そうね」
別れ際、律子が言った懐かしい名前に、私は相談してみるのもありかなと頷いた。
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