第5話 私的・秘密記録術
これでようやく創作に集中できる。
とでも思っていたのか?
甘い。ショートケーキにハチミツをぶちまけた物よりもなお甘いわ。
一に、生後半年の私が習ってもいない文字を書く。
これはどう考えても異常事態である。大騒ぎ待ったなし。間違いなく創作どころではない騒動になりそうだ。
二に、私個人としてはこちらの方が問題だが、紙に書いた私の創作物がダディーとマミーに読まれる。
なんの拷問だそれは。家族に自身の創作物、それもプロット、企画書レベルのものを読まれるなんて苦行以外の何物でもない。恥ずか死する。
ということで私は考えた。
要は私以外に内容がわからなくしてしまえばいいのだ。
となれば決まっている。ここは暗号だ!
フフッ、思い出す。某国民的推理漫画のバーローに触発されて自分だけの暗号を夢見た幼き日を。……あ、自分で言ってて古傷がっ。
しかし、私の残念脳みそではそう大したものはできなかった。というか、暗号は手段であって目的じゃなかった。危うく手段に没頭して、目的が頭から飛んでいくところだった。
ということで、私が作った私的・秘密記録術。
その名も簡略アルファベット記述法だ。オーパチパチッ! はいそこ、拍手! よっ!
と言ってもまあ、本当に大したことない。
要は日本式アルファベット表記で、二字以上の記述から二文字以降を省略するだけだ。
どういうことかと言うと。
例えば、私が自分の経験を基にした作品『転生作家の成功物語』というタイトルをメモするとする。これをそのまま日本式アルファベット表記でメモするとすれば、『tenseisakka no seikoumonogatari』だ。
このままでも十分わかりづらいが、読もうとすれば読めてしまうだろう。
でも、ここでこれをさらに変形させてしまえばどうだろう?
先に言った通りアルファベットを省略。アルファベットの一文字目の母音は残すが、子音に付属した母音や一文字目以外の子音も削除する。そうするとメモはこうなる。『tnsisk n sikumngtr』。
最初の『転生作家の成功物語』が頭の中にある私は、かろうじてこれを見れば何をメモしたのかわかる。しかし、その文面が頭の中にない人からしたら、ただの無意味なアルファベットの羅列だ。読めるわけがない。
ということで、勝利の確信に顔をニマニマさせながら、スケッチブックに考えに考えた企画案を次々に書き付けていった。赤ちゃんの手はすぐに疲れるが、なーにいくらでも時間はある。休んでは書き、寝ては書く。
「葉月! 英語が書けるのかっ!?」
私のメモに気付いたダディーが驚きに声を上げる。こうなるのは容易に想像がついたので、頑張って隠してきたのだが隠しきれるわけもない。
「英語っ!?」
ダディーの叫びに、マミーも驚いて駆け寄ってくる。うん、そりゃそうだよね。
両親がマジマジと私の手のスケッチブックを覗き込む。
「いあ」
私は覆いかぶさって、スケッチブックを両親の視線から守る。どうしてこんなにアルファベッドが書けるのかという話になれば厄介だし、万が一にでも私的・秘密記録術が解読されたら恥ずか死したくなってしまう。
「見せてくれないの?」
マミーが黒曜の瞳をうるうると揺らして聞いてくる。うっ、卑怯な。バカなダディーと違って、マミーの涙は私も堪える。
私は迷う。迷うが、ようやく諦めがついた。
スケッチブックもあっという間に終わりが見えていた。両親に次のスケッチブックなりなんなりのメモ帳を準備してもらわなければならなかったところだ。
私は諦めて体を起こす。
「ありがとう、葉月ちゃん」
マミーはさっきまでの悲しげな表情が嘘のように微笑んで、スケッチブックを手に取ると驚きに口元を手で覆った。
「凄いっ! やっぱりうちの子は天才だ!」
言葉も出ないマミーに代わって、ダディーは私を高く掲げてその場で小躍りするように回った。で、危ないでしょとマミーに怒られた。おかげで話が逸れた。
そんな能天気な親バカ振りが好きだよ、パパン。ちなみにそのスケッチブックは捨てないでね。あ、あと、次のスケッチブックもよろしくお願いします。
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